“軍曹”永瀬拓矢七段の「千日手伝説」——やはり出現率はダントツトップだった

4月19日(金)11時0分 文春オンライン

 そもそも、千日手とはどのような状況で起こり得るのだろうか。勝負が決まる最終盤のお互い譲れない局面ならば、手を変えたらすぐの負けとなるので、これは千日手もやむなしだ。だが序盤の千日手だとどうか。駒がぶつかる前に攻撃のタイミングを図り、お互いに少しでも有利な態勢を取ろうとした結果、戦いが始まらずに千日手となることもある。


「角換わり」は千日手模様になりやすい


 駒がぶつかっていないので、「つまらない将棋」と捉えられる可能性はある。また無気力将棋と言われかねない部分もあるだろう。かつて日本将棋連盟の会長を務めた原田泰夫九段は、その点を心配して「千日手は将棋を滅ぼすガンだ」とまで言ったことがあるそうだ。


 ただ、以前と比較して盤上の技術が発達した結果、特に最終盤での逆転勝ちが難しくなった。序盤でリードすることが、特に重要となったのが現代将棋と言える。勝負の世界であるから、その結果としての序盤における千日手はやむを得ない部分も多い。特に最近の主流戦型である「角換わり」は、お互いに間合いを計った結果、千日手模様になりやすいのだ。



「千日手」の対局としても有名な、谷川が羽生の「七冠」を阻止した1995年の王将戦第7局 ©文藝春秋


40手目まで千日手局と同一の進行だった


 千日手の対局として有名なのは、羽生善治が七冠を懸けて谷川浩司とぶつかった一戦だろう。羽生は1996年2月14日に谷川から王将を奪取して、史上初の同時七冠を達成したが、その1年前にも羽生六冠が谷川王将に挑戦していた。お互い相譲らずに3対3で迎えた最終第7局(1995年3月23・24日)は76手目に千日手が成立して、即日指し直しとなった。


 先後を入れ替えて、谷川の先手番で始まった指し直し局は何と40手目まで千日手局と同一の進行だったのだ。谷川が前局の羽生側を、羽生は谷川の側をもって指し続けた。結果は41手目に手を変えた谷川が勝利し、羽生の七冠を寸前で阻止した。



 また2012年10月3日の王座戦第4局、渡辺明—羽生戦では、最終盤で渡辺が抜け出したかと思った局面で、羽生がただ捨ての銀を指し、千日手に持ち込んだ。そして深夜に及んだ指し直し局では羽生が勝利し、前年に失冠した王座のタイトルを渡辺から取り返した。この王座戦第4局は千日手局・指し直し局を合わせて2012年度の将棋大賞名局賞を受賞した。




3局目でようやく決着がついたことも


 当然ながら、千日手の多い棋士がいれば、少ない棋士もいる。現役棋士の中でもっとも千日手を多く経験しているのは阿部隆八段だ(通算1343局中、57局。2019年4月19日時点、以下同)。


「私が最多ですか。多いなと思った時期はありますね、若い時は体力的な意味でも、千日手をいとわなかったんです。特に印象に残っているのが、日浦さん(市郎八段)と指した順位戦(C級2組、1988年2月9日)ですね。夜の8時過ぎに千日手になりましたが、指し直し局は夜中の2時前に今度は持将棋、3局目でようやく決着がつきましたが(日浦勝ち)、5時になろうとしていました」



 また、阿部は羽生とのタイトル戦でも2局連続で千日手を指している(竜王戦七番勝負第1局、2002年10月23・24日)。


「初めてのタイトル戦でした。大舞台に慣れたいという意味では、多く指せる千日手になってホッとしたという部分はありますね。ただ関係者の方は大変だったでしょうね」と振り返った。


「『手段』として確立されてきたと感じます」


 出現率の高さがダントツなのは、「軍曹」とあだ名される永瀬拓矢七段だ。永瀬の千日手率は約8.5%(通算435局中、37局)で、全棋士平均の実に4倍以上である。



 永瀬はかつて自著で「対局にあたっていくつか罠を用意しておくが、その罠に引っかからなかったら千日手を目指す」と書いた。このことについて現在の視点を聞くと「相居飛車だと先後の差が少なからずあるとの印象です。ですので、狙いの局面があるとしても千日手にするのはどこまで有効かわかりません。千日手は当時よりは『手段』として確立されてきたと感じます」という。


 冒頭の原田九段の言葉は極端な例だが、「千日手を意図的に目指すのは良くない」という風潮は少なからずあった。そのような中でハッキリ目指すと書いたことについて、永瀬は「当時は厳しい視線を感じていました。ただ、棋士ですから自分の行いは自分で責任を取る気概でいました。結果を出すことが一番の証明ですから」と振り返る。


 永瀬の千日手として有名なのは、NHK杯戦における佐藤康光九段との一戦(2011年5月9日)だろう。テレビ放送の対局で2局連続千日手が出現したのは、後にも先にも例がない。


「NHK杯の千日手はいまだにファンの方に聞かれます。やはりインパクトがあったんだなと思いました。個人的にはそれ以降、NHK杯の担当の方から無言の重圧を感じた様な気がします(笑)」


 尺の都合で、超長手数になると放映時間内に紹介しきれない。テレビ番組に付き物のジレンマと言える。



通算対局数929局のうち千日手局がわずか1



 対して千日手が少ない棋士は誰か。デビューからそれほど経っていない棋士を除くと、ゼロという棋士は居ない。だが、1という棋士は数名いる。その中でダントツのキャリアがあるのが山崎隆之八段だ。


 1998年4月にデビューを果たした山崎は今年の4月12日の対局を勝ち、通算600勝を達成。将棋栄誉賞を受賞した。通算対局数は929局だが、その中の千日手局がわずか1なのだ。他の千日手1局という棋士はいずれもデビューから10年も経っていない。キャリアが20年を超える山崎の千日手数は、恐るべき少なさである。


「20代前半のころはやらないと決めていました。基本、先手が打開すべきものと。ただ30を間近にして、少し柔軟になりましたね。私が絶対に千日手を選ばないことがわかってしまえば、相手の有利になりますので。ただ、自身の1局は振り返ってみると、打開できた千日手なので、それは後悔しています。ゼロのままだったら、生涯やらないというこだわりが続いていたでしょうね」


 千日手を避ける理由については「基本、将棋は先手が有利なんですよ。だから後手番がより工夫をする。千日手にすることで、その工夫が生きなくなるのがもったいないと思いました。あと、天邪鬼的な反発心もありましたね。ただ、ある対局で負けるとわかっていて打開したことがありました。その対局は相手の大ポカで拾ったんですが、負けがわかっていて打開するのはダメと、気持ちが入れ替わりました」と語った。


藤井九段は「美しき千日手なら良い」


 他に千日手の少ない棋士の代表格は田中寅彦九段だろう。キャリアは40年を超え、通算対局数は1506だが、千日手は8局しかない。棋士番号が1つ違いである東和男八段の千日手が26なので、やはり相当に少ない。また、田中の得意戦法の一つに居飛車穴熊があるが、穴熊は終盤での千日手になりやすい戦型だ。


「私の穴熊は千日手になりません。基本、千日手が嫌いなんですよ。棋士人生初の千日手も不本意なものでした。ただ、改めて振り返ってみると、もう少し勝負に辛く指すべきだったかな。永瀬君がうらやましい(笑)」と田中は語った。



 最後に、筆者が観戦を担当した一局で千日手となった時、その千日手について語った藤井猛九段の言葉を挙げる。


「後手番だから仕方なくもあるが、美しき千日手なら良い」


「本局のように渋く深みのある応酬からの千日手ならば双方納得で、棋譜としても意味がある」


 千日手に対するこだわりも含めて、棋士の個性が表れていると言えるだろう。



(相崎 修司)

文春オンライン

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