小泉今日子 「3番手」を狙う為に与えられたキャッチコピー

4月19日(金)7時0分 NEWSポストセブン

元ビクターの田村充義氏

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 のちに「花の82年組」と呼ばれるアイドルの1人としてデビューしながら、女優やエッセイストとしての才能も開花させ、現在は演劇プロデューサーとしても活躍する小泉今日子。その小泉がブレイクするきっかけを作ったのが、デビュー2年目から担当した元ビクターの田村充義氏だった。


「当時の小泉さんはトップ10に入るヒットも出ていて、女性アイドルでは5番手グループくらい。そうした状況で前任者の敷いた路線を継続すべきかどうか、最初は悩みました。でも『担当が変わった以上、新しいことをやっていかなくては』と思い、まずは5番手から3番手にすることを考えたんです」


 1983年のアイドルシーンは松田聖子中森明菜が2トップ。田村氏はその次を狙ったわけだ。


「当時の流行り言葉でいうと“良い子悪い子普通の子”の“普通の子”のポジションです。でも普通の子はいろいろなことをやらないと注目されない。ほかのアイドルと同じことをしていたら3番手にはなれませんから、常に変化を持たせて目立つことを考えました」


 時を同じくして小泉は自らの意思で「聖子ちゃんカット」からショートヘアに変身。当時17歳のキョンキョンは自発的なアイドルとして注目され始める。


「僕は『音楽は時代とともにある』という考えを持っているんですが、小泉さんを担当した80年代はコピーライターの糸井重里さんたちが活躍していたキャッチコピーの時代。ですから、彼女を目立たせるには遊び心のある言葉で存在感を示すのがいいんじゃないかと考えたわけです。その第1弾が『まっ赤な女の子』で、その後も初期のシングルA面のタイトルはインパクトを重視した小泉今日子のキャッチコピー風タイトルにしました」


◆小泉の才能を認め作詞を勧める


 田村氏の狙いはずばり的中。1983年から1984年にかけて、小泉は『艶姿ナミダ娘』、『渚のはいから人魚』、『迷宮のアンドローラ』、『ヤマトナデシコ七変化』など、ユニークなタイトルの曲を次々とヒットさせ、聖子・明菜に次ぐポジションを獲得する。その人気を決定づけたのが『なんてったってアイドル』(1985年)だった。


「小泉さんは当時、映画やドラマ、CMにも活躍の場を広げていて、いろんなクリエイターから注目されていました。楽曲制作に関しても『面白くて新しいことをやる人』というパブリックイメージを生かした挑戦を続けていきましたね。バンドサウンドを意識した『木枯しに抱かれて』(1986年)や、近田春夫さんと組んでハウスにチャレンジした『Fade Out』(1989年)はその代表例です」


 1982年組の同期が徐々に勢いを失っていくなか、小泉は1990年代もヒットを連発。1991年には自ら作詞を手掛けた『あなたに会えてよかった』がミリオンヒットとなるが、小泉に作詞の才能を認め、書くように勧めたのも田村氏だった。


 トップアイドルには、やはり名プロデューサーの存在が不可欠なのである。


【プロヂール】たむら・みつよし/1974年ビクター音楽産業に入社し、制作部で小泉今日子、とんねるず、広瀬香美らを担当。1997年、音楽制作会社「田村制作所」を設立し、SMAP、ポルノグラフィティ等を手掛ける。


◆取材・構成/濱口英樹


※週刊ポスト2019年4月26日号

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