20歳時の山口百恵 周囲も舌を巻いたセルフプロデュース力

4月20日(土)7時0分 NEWSポストセブン

音楽プロデューサーの吉田格氏(左)と川瀬泰雄氏(右)

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 1970年代を駆け抜けた伝説の歌姫・山口百恵と、“ナンノ”の愛称で今も一線で活躍する南野陽子。ともにトップアイドルとして一時代を築いた彼女たちのヒット曲を手掛けた音楽プロデューサーの川瀬泰雄氏(元ホリプロ)と吉田格氏(元CBS・ソニー)に、とっておきのエピソードを聞いた。


──百恵さんは「時代と寝た女」とまで言われました。


川瀬:彼女は並外れた集中力の持ち主で、レコーディングは大体3テイクでOK。過密スケジュールの中での歌入れは毎回真剣勝負だったので、ある時その様子を撮影した篠山紀信さんが「すごい緊張感だ」と驚いたほどです。とはいえ、仕事が終われば普通の女の子なんですけどね。


 そういえば「スター交歓図裁判(*)」(1979年)で、百恵が原告として出廷したことがあったじゃないですか。記者会見では落ち着いていましたけど、その直後に会って「どうだった?」と訊いたら「本当は怖かった。でも泣いたら山口百恵じゃないもんね」って。当時20歳ですよ。そのセルフプロデュース力はすごいと思いましたね。


【*月刊誌が掲載した、芸能人たちの性的な行為をイラストなどで表現した記事に対し、山口百恵や桜田淳子西城秀樹らが告訴。裁判に証人として出廷し、編集長らに有罪判決が下された】


吉田:南野さんも映画やドラマで忙しくて、レコーディングはいつも夜中。ほとんど寝ていなかったと思うけど、集中力で乗り越えて、表現力もどんどん上がっていきました。2年目からは自分が気に入った曲を集めたカセットテープをくれるようになって、制作にも意見を出すようになりましたね。歌以外にも映画やCMなどで大勢の大人たちと付き合うわけですから、会うたびに「こんなに成長したのか」と驚くことが多かったです。


川瀬:ホリプロの堀威夫社長(当時)は「売れているタレントは1年で3つ年をとる」と言っていた。百恵が絶頂期の時は「今の山口百恵なら、会おうと思えば総理大臣にも会える。俺は会えないけどね」と笑っていました(笑い)。僕たちの仕事って、まず綺麗な造花を作るんです。でも売れてきた子は自分で茎を作って水を吸い込んじゃう。そうやって成長して、やがて本物の花になるんです。


【プロフィール】

◆かわせ・やすお/1947年生まれ。1969年ホリプロ入社。和田アキ子、井上陽水、山口百恵、堀ちえみなど、現在までに約1600曲をプロデュース。新著『ビートルズ全213曲のカバー・ベスト10』発売中。


◆よしだ・ただし/1953年生まれ。1976年CBS・ソニー入社。1978年より邦楽ディレクターとしてSHOGUN、原田知世、南野陽子、郷ひろみ、知念里奈など50組以上の楽曲制作を担当。現在は音楽制作会社の代表。


【取材・構成】濱口英樹


※週刊ポスト2019年4月26日号

NEWSポストセブン

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