「時代は斉藤由貴に染まった」 計算し尽くしたデビュー秘話

4月21日(日)7時0分 NEWSポストセブン

現在も斉藤由貴の音楽活動をサポートする長岡和弘氏

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 潤んだ瞳で一点を見つめながら、秘めた思いを直立不動で切々と歌う──1985年に歌手デビューした斉藤由貴は、どこか古風で特別なオーラを放っていた。芸能界入りのきっかけは最終選考まで残った1984年の「東宝シンデレラオーディション」。同年、「ミスマガジン」のグランプリを獲得し、『青春という名のラーメン』(明星食品)のCMで注目を浴びる。


「カメラマンの野村誠一さんの事務所で打ち合わせをしていたら、『ミスマガジンで、こんな可愛い子がいるんだけど』って写真を見せられたんです。『歌も歌うんですか?』と訊いたら、すごくいい声をしていると。ぜひ担当したいと思って会社に戻ったら、部長のところにも同じ写真が来ていたんです(笑い)」


 運命的な出会いをこう語るのは、現在も斉藤の音楽活動をサポートする元ポニー・キャニオンの長岡和弘氏だ。甲斐バンドのベーシストからディレクターに転身して5年目。その間に石川ひとみを『まちぶせ』(1981年)でブレイクさせるなど、着実に実績を重ねていた。


「すぐに『役者の仕事に繋がるような曲づくりをします』という企画書を書いたら、幸運にも担当することができて。私はかねがね、作家やアレンジャーは一定の期間固定して、統一感のある世界を作っていきたいと思っていたので、真っ先に筒美京平さんのところに行って、松本隆さんとのコンビで書いていただきたいとお願いしました」


◆計算し尽くしたひと足早いデビュー


 ゴールデンコンビには、斉藤が歌ったテープを渡した。


原田知世さんの『時をかける少女』、松田聖子さんの『夏の扉』、中島みゆきさんの『悪女』、あみんの『待つわ』などが入っていたと思いますが、お二人とも『待つわ』がよかったとおっしゃった。それで路線が決まりました」


 さらに長岡氏は当時新進のアレンジャーだった武部聡志氏を起用し、『卒業』『初戀』『情熱』の“漢字二文字”の3部作を作り上げる。


「京平さんから『このプロジェクトは詞先でいこう。そうすれば松本くんが素晴らしい詞を書いてくれるよ』と提案されたので、松本さんにそうお願いしたら『まずタイトルを決めましょう』と。それでご自宅にお邪魔して徹夜で話し合ううちに『初めてで最後のものがいいよね』ということになって『卒業』や『初戀』というタイトルが出てきたわけです」


 1980年代は毎年春に一推しのアイドルが各社から出ていたが、斉藤はひと足早く2月にデビュー。それは「先陣を切った方が有利だろう」という長岡氏の計算だった。果たして『卒業』は発売2週目でトップ10入り。その後もヒットを連発した斉藤は、シングルもアルバムも新人でナンバーワンの実績を残す。キャッチフレーズは「時代だって、由貴に染まる。」だったが、その通りになったわけだ。


「実は『卒業』のサビに入る前の『ああ』という歌詞は、最初はなかったんです。でも歌入れの時に京平さんの提案で入れてみたら、すごくよくなって」


 スタッフの英知の結晶である『卒業』は今も歌い継がれるスタンダードソングになった。


【プロフィール】ながおか・かずひろ/1951年生まれ。キャニオン在職中は石川ひとみ、斉藤由貴、中島みゆきらを担当。現在はフリーの音楽・映像プロデューサーで、長崎県大村市「シーハットおおむら」の館長も務める。


取材・構成■濱口英樹


※週刊ポスト2019年4月26日号

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