朝ドラ「なつぞら」演劇部編 広瀬すずを支える“俳優のバイブル”とは?

4月22日(月)6時0分 文春オンライン

 広瀬すず主演のNHK連続テレビ小説「なつぞら」。物語は第4週に突入し、主人公の奥原なつは演劇コンクールに向けて演劇部顧問の倉田先生(柄本佑)の下で仲間と練習を重ねていく。なつが演劇部に入るきっかけとなったのが、同級生から手渡された1冊の本「俳優修業」だった。


実在する世界的な名著



スタニスラフスキー「俳優修業」 ©NHK「なつぞら」より


 実はこの「俳優修業」、 演劇メソッドについて書かれた実在する世界的な名著だ。著者はロシアの俳優・演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキー。彼の名前にちなみ、この演劇メソッドは「スタニスラフスキー・システム」と呼ばれている。1936年に出版された「俳優修業」は、80年以上経った今もなお世界中の役者に愛読されている。


 演技の訓練方法はさまざまだが、スタニスラフスキー・システムを「演技の基本」と推薦するのが日本の劇作家・演出家の鴻上尚史氏。著書「演技と演出のレッスン(白水社)」で鴻上氏はスタニスラフスキー・システムについて解説している。その「はじめに」の一部を紹介する。



世界で初めて演技の秘密を解明


 日本の演技の歴史をご存知でしょうか?


 明治末期、西洋の演劇の影響によって、歌舞伎や能など伝統的な演劇ではなく、《新劇》と呼ばれるジャンルの演劇が始まりました。


 現在、僕たちが知っているタイプの演技の始まりです。


 第二次世界大戦後も、1970年前後の《アングラ演劇》が盛んになるまで、日本の現代演劇といえば、《新劇》でした。今も「文学座」「俳優座」「青年座」などが《新劇》に分類されます。


《新劇》では、スタニスラフスキー・システムという演技の訓練方法が採用されていました。スタニスラフスキー(1863-1938)とは、ロシアの俳優であり、演出家の名前です。彼は、世界で初めて、演技の秘密を解明し、演技へのアプローチを科学的に体系化した人と言われています。それまでは、演技はセンスや閃きの結果と思われるか、または、見せ物としてどう観客にアピールするか、という視点でしか考えられていなかったのです。



《アングラ演劇》が否定した技術的アプローチ



 スタニスラフスキー・システムが日本の《新劇》で採用された理由は、その時、世界の主流だったからでしょう。日本人は、シェイクスピアを輸入するように、スタニスラフスキー・システムを導入したのです。


 初期の映画もテレビも、俳優の多くは《新劇》出身でしたから、映像の演技もスタニスラフスキー・システムでした。


 その《新劇》を、《アングラ演劇》という存在が否定しました。寺山修司(1935-1983)さんや唐十郎(1940-)さんの名前を聞いたことがあるでしょうか?


《アングラ演劇》は、揺るぎない権威だった《新劇》を乗り越えるために、激しく《新劇》を攻撃し、やみくもに全否定しました。


 その時、否定してはいけないものまで、勢いで否定してしまったと僕は思っています。


 それは、二つ。「正しい発声とは?」という考え方と「スタニスラフスキー・システム」です。


 また、テレビや映画は発展するにつれて、その業界独自に俳優を集めるようになりました。結果、テレビ界や映画界もスタニスラフスキー・システムとの縁が切れました。


「正しい発声」と「演技システム」が俳優を育てる


《アングラ演劇》が激しく攻撃した結果、スタニスラフスキー・システムは格好悪いもの、積極的に取り入れる必要のないもの、というイメージがディレクターや俳優の間で定着したことも理由のひとつだと思います。といって、演劇、テレビ、映画の分野で、俳優を育てるための別な方法が主流になったわけではありません。


 1970年代の《アングラ演劇》のブームの後、1980年代には、《小劇場演劇》というブームが起きました。筆者である僕はここに分類されます。すでに《新劇》は否定されていたので、「正しい発声とは?」という考えも「スタニスラフスキー・システム」も《小劇場演劇》には受け継がれませんでした。



 その後、短い時期、《静かな演劇》という傾向が注目されたこともありましたが、ずっと、「正しい発声とは?」と「スタニスラフスキー・システム」は無視されつづけてきて、現在にいたっている、と僕は思っています。


 この状況はどうしてもおかしいと考えて、『発声と身体のレッスン』(白水社)という本を書きました。まず「正しい発声とは?」ということを見直すように提案したのです。


 幸いなことに、この本は広く受け入れられ、発売以来、十年近くたっても毎年版を重ねています。


 そして、今回、もうひとつ無視してはいけなかったもの、「スタニスラフスキー・システム」をベースにした演技技術の本を出そうと思ったのです。


スタニスラフスキー・システムは「演技の基本」


〔ちょっと専門的な言い方をします。難しいようなら飛ばしてもらってかまいません。


 スタニスラフスキー・システム以外の演技訓練法は、他にもたくさんあります。《新劇》でも、ブレヒトの俳優トレーニングや異化効果をスタニスラフスキー・システム以上に大切にする流れがありました。


 フランスでは、ベラレーヌ・システムが有名ですし、アメリカではマイズナーやアドラーなど訓練方法はいくつもあります。


 スタニスラフスキー・システムを含め、どのシステムにも、長所短所があると僕は思っています。この本がスタニスラフスキー・システムの主に後期の教え方を採用したのは、「基本的な演技術」という目的のためで、他の訓練方法がスタニスラフスキー・システムより劣っているとかダメだということでは、もちろんありません。〕


 小劇場出身と言われる鴻上が、スタニスラフスキー・システムをベースに演技訓練方法を説明するということに驚いたり、疑問を持つ人もいると思います。


 厳密な意味では、僕の志向する演技はスタニスラフスキー・システムより、ブレヒトに近いものです。ですが、俳優にまず必要なのは、特殊な技術ではなく、スタニスラフスキー・システムによって獲得できる、きわめて広範囲に応用の効く基本的な演技術だと僕は考えています。


(鴻上尚史著 「演技と演出のレッスン」 白水社「はじめに」より抜粋)





こうかみ・しょうじ/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。




(鴻上 尚史)

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