「大学受験をナメるな」と批判も…18歳だった広末涼子(44)が“大騒動の早稲田大初登校”前に起こしていた“知られざる事件”
2025年4月22日(火)18時10分 文春オンライン
さすがにあのヒロスエの名に「容疑者」がつくとは誰も思わなかっただろう。
4月16日の早朝、勾留されていた浜松西警察署から姿を現した広末涼子(44)。黒の上下で周りを見渡してから数秒間、深々と頭を下げ、迎えの車に乗った。逮捕から実に9日目の釈放だった。
「迎えの車の助手席に座る男性が髭にサングラス、両耳ピアス姿。その違和感からも、これまでの彼女の波乱万丈な人生を彷彿とさせました」(芸能記者)
その直後、昨年移籍した広末の個人事務所は公式サイトで、薬物検査や家宅捜索において違法な薬物などは一切検出・押収などされていないことを説明したうえで、
〈〈本人は、被害者をはじめ多くの方々に多大な迷惑と混乱を与えてしまったことを大変申し訳なく思っており、深く反省しております。また、本人には、精神的に不安定な状態がみられたこともあり、今後は適切な医療機関にて診断を受けた上で、医師の指導のもと、慎重に治療と健康回復に努めてまいります〉〉
と、謝罪の文章を公開した。
病院で看護師を蹴ったりひっかいたり…
今回の第一報は、4月8日の午前5時頃。その数時間前、静岡県島田市内の病院で看護師を蹴ったりひっかいたりなどしてケガをさせたとする傷害容疑の逮捕だった。
「徐々にわかってきたことによると、7日夜に掛川市の新東名高速道路で大型トレーラーに突っ込む事故を起こしたのが広末の運転する車だった。同乗していた仕事関係者もおり、そちらは骨折の重傷で、ふたりは治療のため別々の病院に搬送されていた。落ち着かない様子の彼女をなだめようとした看護師に対しての“暴行”で、事情聴取のために病院に来ていた警察官により傷害容疑で現行犯逮捕されたのです。その後、危険運転致傷罪の疑いで自宅の家宅捜索までされたが、結局は処方薬その他も見つからなかった」(同前)
広末が、「広末涼子容疑者」とあらゆるメディアに報じられたことで日本中に激震が走った。
異例の早稲田大学入学も“大騒動”に
高知県で生まれ育ち、中学2年のときにCMオーディションでグランプリを獲得。ニキビ治療薬クレアラシルのCMで鮮烈にデビュー。高校進学を機に上京してからの世間の「ヒロスエブーム」は、まさに無双状態だった。
「ポケベルのCMや写真集は話題を呼び、1997年春のデビューCD『MajiでKoiする5秒前』は60万枚を売り上げる大ヒット。大晦日には、セカンドシングル『大スキ!』を引っ提げてデビュー年にもかかわらず紅白にも出場しました。
いつもニコニコと取材相手にも気を遣うコで、『暑いけど夏バテは大丈夫ですか?』なんて声をかけてくる。若手の見本のようなタレントでした」(同前)

CDデビューの年の出演ドラマ『ビーチボーイズ』は、若き広末の代表作となった。透明感を備えたかわいらしさが当時のアイドル界でピカイチだったのだ。
1999年春には、アイドルとしては異例の早稲田大学教育学部入学も大きなニュースとなった。自己推薦入試で合格し、吉永小百合の再来と話題に。4月の入学式には出席できず初登校は6月末。学生、マスコミそして野次馬に揉みくちゃにされるという大騒動に——。
高校3年生の夏休みに「大学受験をナメるな」と…
「広末が大学受験を目指していることはよく知られていました。受験生だった高校3年生の夏休みに“初スキャンダル”がFOCUSされ、いま思えばあの時から、彼女のお騒がせぶりは始まった気がします」(テレビ局関係者)
押しも押されもせぬ国民的アイドルだった広末が写真週刊誌「FOCUS」に撮られたお相手は、当時20歳のモデル。彼の住む都内の古い六畳一間の木造アパートを訪ねて夜まで過ごし、着替えて帰った様子が報じられたことで、「大学受験をナメるな」とあらぬ方向からの矢も飛んだ。
「そのモデルが、当時MITSUUという芸名でしたがのちに神田沙也加さんと結婚した村田充でした。その次は、早稲田入学直前に、当時東京藝術大学在学中でモデルの伊勢谷友介。2001年に入ると、同郷の専門学校生に俳優の金子賢、そして元夫・岡沢高宏と立て続けに男性が替わり、浮名とともに広末の“気がかりな行動”が報じられるようになったんです」(同前)
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後編 では、「状況を変えるためには、妊娠しちゃうしか思いつかなかった」と周囲に語り、2003年に早稲田大学を退学して23歳で長男を出産、シングルマザーの時期を経て、キャンドル・ジュン氏との再婚など、2000年代に入ってからの広末涼子の波乱の半生を振り返る。
〈 3児の母、広末涼子(44)は「休みたくても休めなかった」と…早稲田大を退学→23歳で妊娠→40代で“非常事態”を迎えた真相は 〉へ続く
(山本 雲丹)