保護犬を迎えて、余命半年の妻との生活に起きた変化とは?「近所を犬と一緒に夫婦で歩く時間はなによりも楽しかった」
2024年4月22日(月)12時30分 婦人公論.jp
「近所を犬と一緒に夫婦で歩く時間はなによりも楽しかった」(写真提供:著者)
環境省が公開している「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」によると、令和4年度の犬の処分数は、2,434頭だそう。そのようななか、余命半年と宣告された妻と家族のために、殺処分寸前だった保護犬・福を家族として迎え入れた小林孝延さんは、「救われたのは犬ではなく僕ら家族だった」と語ります。小林さんは、「近所を犬と一緒に夫婦で歩く時間はなによりも楽しかった」そうで——。
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日常におきた変化
僕たち家族の日常はがらりと一変した。
夜明け頃、僕は布団から這い出すと、眠い目をこすりながら家族の洗濯物をより分けて洗濯機にセット。スイッチを入れてから福の散歩に出かける。
こうしておけば福の散歩から帰って、学校に通う娘と自分のお弁当をこしらえ終わった頃には洗濯が終了。洗濯物を干してから仕事に出かけることができるのだ。
お弁当作りはもう2年以上になるから慣れたもので、前日にはメニューが決まっているから朝はつめるだけだ。
長年主婦雑誌の編集長を務めてきたから、お弁当作りを短時間で片付ける知恵と工夫だけはたっぷりとストックがある。
お弁当作りと並行して朝ごはんの準備。
なんとか薫(妻)の血液の状態をよくしたいという思いから、この頃は青魚やビタミン、ミネラルが豊富な野菜を積極的に食卓に並べるようにしていた。
いつかたくさんたまったら
子ども達は朝はぎりぎりに起きてきて、簡単な食事をとったりとらなかったりだから、僕ら夫婦はそれらが落ち着いてから、ゆっくりと朝食をいただくことが多くなった。
幸いにも僕の仕事は朝の時間がさほど早くはないから、朝のうちにだいたいの家事をこなしておけるのがありがたかった。また、そんな仕事の仕方を認めてくれた職場のメンバーにも感謝しかない。
『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(著:小林孝延/風鳴舎)
ごはんが終わると洗濯物を干して、ベランダで福のブラッシングタイム。これは薫の担当だ。
人間にあまり触られることが好きではない福だから、ブラッシング中は後ろ足の間に尻尾をたくしこんで耳をイカのようにしているが、繰り返し触られることで人間の手にも少しずつ慣れてきた。
永遠に換毛期が続くのではないか?というくらい、ブラッシングを繰り返すごとに大量の毛が抜けたが、薫はその抜けた毛を愛おしく丸めてジッパー付き保存袋に入れてとっていた。
あるとき、そんなの取っておいてどうするの?と聞くと
「いつかたくさんたまったらこれで福ちゃん人形でも作ろうかな?」と笑っていた。
なによりも楽しかった
僕の仕事が朝ゆっくりめで、薫の体調と天気がいいときは、できるだけ散歩に出かけることにした。というのも、ずっと寝てばかりいると、どんどん体力が落ちてしまうから、可能な限り歩かせるようにこころがけた。
いや、実際は抗がん剤の副作用から足の爪が剥がれてきて歩行が難しくなっている状態で無理をさせるのはどうなのだろう?と躊躇していたのだが、薫が「歩けば元気になるから」といって多少無理をしてでも散歩に出かけるようになったのだ。
全身へのがんの転移と進行が見つかったときの絶望的な気持ちで「私はもう東京オリンピックは観られないんだね」と毎晩泣いていた薫は新たな目標にむけて前向きになり始めた。
秋に姪の結婚式に参加するために松山に行くこと、そしてなんとしてでもつむぎ(娘)の成人式の晴れ着姿を見ること。ずっと泣き続けていたあの頃では考えられないほど、前向きになっている。
健康な僕が歩けばあっという間にたどり着ける場所も足の痛みをこらえつつゆっくりとしか歩けない薫にとっては近所の散歩もそれなりに時間のかかるお出かけになる。お気に入りの場所は最近できた高級スーパーのアウトレットストアだ。
ちょっとおしゃれなパンやチーズ、あとはプリンとかお菓子が格安で店頭に並ぶその店はいつも開店と同時に行列ができるほど人気だ。運良く目当てのものが買えた日は得した気分になる。
エコバッグに戦利品のごちそうを携えて子ども達の喜ぶ顔を想像しながら、だいたい昔話が多いけれど他愛もない話をしながらぶらぶらと歩いた。ときどきは帰り道に図書館によって本を借りることもあった。
散歩に慣れさせようと、意を決して福を連れて散歩に出かけることもあった。日中の人や車が多い時間はあいかわらずうまく歩けはしなかったけれど、それでも近所を犬と一緒に夫婦で歩く時間はなによりも楽しかった。
はたから見ると犬に引きずられている夫婦に見えていたかもしれないけれど。
今このときを大切に
犬と一緒に歩いているだけで、僕らはなんだか晴れやかな気分になった。
公園でひと休みしていると子ども達がわいわいと集まってくる。
「うわ、かっこいい、これシェパードでしょ!?」
「警察犬なの?」
普段このあたりでは見かけない雑種の福にみな興味津々のようだ。
さっき買ったパンを袋からひとつ取り出して薫と半分ずつ食べると発酵バターの濃厚な香りが口いっぱいに広がる。
「人間の食べ物は犬には良くないよねー」と言いつつ、福にもほんのひとかけら差し出すと、ぺろりとたいらげた。
犬も人もこの先の時間は限られている。今このときを大切にしたい。
そのためならほんの少しくらい体に良くないといわれているものを食べさせてもいいじゃないか、そんな気がして、もうひとかけら、僕は福にパンをちぎって差し出した。
※本稿は、『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)の一部を再編集したものです。