山口崇さん死去 88歳、肺がん 「クイズタイムショック」2代目司会者 正統派二枚目俳優として活躍
2025年4月22日(火)4時0分 スポーツニッポン
テレビ朝日「クイズタイムショック」の司会などで人気を集めた俳優の山口崇(やまぐち・たかし、本名岑芳=たかよし)さんが18日午後3時36分、肺がんのため東京都の高齢者施設で死去した。88歳。兵庫県出身。所属事務所が21日、公表した。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男太郎(たろう)さん。
山口さんは、1971年に放送されたNHK時代劇「天下御免」で江戸の発明家、平賀源内役を演じ人気を博した。所属事務所によると昨年10月、NHKで現在放送中の大河ドラマ「べらぼう」に平賀源内が登場することからガイド本のインタビューを受けた際に声がかすれて「本人も“風邪かな”なんて話していた」(関係者)という。家族や周囲の勧めで検査したところ、肺がんが見つかった。今月半ばごろ高齢者施設に入り、事務所関係者が面会に訪れたところ「まだまだ生きるよ」と元気にしていたが、亡くなる1、2日前に体調が急変。最期は太郎さんにみとられて旅立った。
当たり役だった平賀源内が再び注目されることに「時代が重なるのかな」と話していたという。「べらぼう」では安田顕(51)が演じた平賀源内が20日放送で死去。その翌日に山口さんの訃報が広がり、ネット上は悲しみと驚きの声であふれた。
山口さんは、兵庫・淡路島の生家の周囲に医者がいなかったため「医者になる」と中学3年の途中に上京。志望が変わり早大教育学部英文科に進学したが中退。NHKの俳優養成所を経て、劇団で俳優活動を始めた。小沢昭一さん、加藤武さんらと親しく、74年には劇団・芸能座を結成した。
「天下御免」出演前から“正統派二枚目”としてドラマ、映画に引っ張りだこで、70年からはTBS時代劇「大岡越前」で30年以上にわたり徳川吉宗を演じた。水谷豊が主演した日本テレビの学園ドラマ「熱中時代」(78年)にも出演した。78年からは田宮二郎さんから引き継ぎ「クイズタイムショック」の2代目司会者を約8年間務め、お茶の間に親しまれた。
晩年は2時間ドラマなどのゲスト出演が多かったが、三谷幸喜監督の熱烈なラブコールを受け2019年公開の映画「記憶にございません!」で34年ぶりにスクリーンに復帰。演技の仕事はこれが最後となった。民話研究家、長唄三味線奏者の杵屋巳楓(きねや・みふう)としても活動するなど多才だった。
≪三谷映画で共演 中井貴一が追悼≫
山口さんが主演した「天下御免」は平賀源内が江戸の諸問題や難事件を解決する作品。視聴率は常に30%前後という国民的人気番組だった。脚本家の三谷幸喜氏は小学生の頃、同作に夢中で「僕の原点」と明かしていた。映画「記憶にございません!」では、三谷氏たっての希望で山口さんを主人公(中井貴一)の恩師役で起用した。
中井はこの日、ブログで「80をお過ぎにもかかわらず、長ぜりふをNGも出されず朗々と姿勢良く話されるお姿に感銘を受けたことを思い出します。長きにわたり、我々に楽しみを与えてくださったことに感謝をしながら、ご冥福をお祈りいたします」と追悼した。
山口 崇(やまぐち・たかし、本名岑芳=たかよし)1936年(昭11)11月17日生まれ。兵庫県出身。早大中退後、俳優活動を本格化させNHK大河ドラマでは「源義経」(66年)「天と地と」(69年)「元禄繚乱」(99年)などに出演。「クイズタイムショック」のほかフジテレビ「スター千一夜」でも司会を務めた。長女の由紀さんは長唄三味線方の杵屋巳織、長男の太郎さんは長唄唄方の杵屋巳三郎で、家族で演奏会も開催していた。
▽クイズタイムショック 1969年に放送開始。出演者が5秒に1問、1分間で12問出題されるクイズの正解率を競った。解答席の周囲を秒針の機能を持った60個のランプが取り囲むセットや、成績が良くない時に解答席が回転するなどのペナルティーが特徴。初代司会の田宮二郎さんが体調不良で降板した後、山口さんが78年からレギュラー放送終了となる86年まで司会を務めた。その後2度レギュラー化されたが、いずれも1年半で終了した。3代目以降の司会は生島ヒロシ氏、鹿賀丈史、中山秀征らが務めた。