『あんぱん』は朝ドラ史上に残る名作になるのではないか。中園脚本の緻密さと深さが鮮明になった<パン食い競走>が表現したものは…
2025年4月23日(水)12時30分 婦人公論.jp
(『あんぱん』/(c)NHK)
今田美桜(28)が主演を務める朝ドラ『あんぱん』(NHK総合/毎週月曜〜土曜8時ほか)が話題だ。アンパンマンを生み出したやなせたかし・小松暢の夫婦をモデルとした物語。放送コラムニストの高堀冬彦氏が解説する。
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中園脚本の緻密さと深さ
朝ドラ史上に残る名作になるのではないか。放送中のNHK連続テレビ小説『あんぱん』のことである。
脚本を書いている中園ミホ氏(65)はドラマ界の栄誉である向田邦子賞と橋田賞のダブル受賞者。この作品も緻密で奥行きがあり、それを技巧派が揃ったキャストが正確に読み取っている。
中園脚本の緻密さと深さが鮮明になった一例は第11回と12回である。
時代は第10回までの1927年から1935年に移り、今田美桜(28)が演じるヒロイン・朝田のぶ(幼少期・永瀬ゆずな)は8歳の小学校2年生から16歳の高等女学校5年生になっていた。現在の学制だと高校2年生である。
北村匠海(27)が扮する柳井嵩(幼少期・木村優来)は小学校の同級生なので、やはり16歳。旧制中学5年生になっていた。嵩の2歳下の弟・千尋(中沢元紀)は14歳の同中学3年生になった。
成長したこの3人の姿は第10回の最終盤で駆け足で紹介されたが、いじめっ子だった田川岩男(濱尾ノリタカ)ら周辺の人物のお披露目はまだだった。そこで中園氏が用意したのが、町内のお祭りとそのイベントのパン食い競走である。
この設定により、8年が経過した岩男らをひとまとめに見せられた。岩男は相変わらず粗野だ。のぶの2歳下の妹・蘭子(河合優実、幼少期・吉川さくら)、同じく4歳下のメイコ(原菜乃華、幼少期・永谷咲笑)は既に短く登場していたものの、パン食い競走の手伝いをさせることで、しっかりと紹介できた。
朝ドラにおいて子役を俳優にスムーズに交代させるのはそう簡単ではない。それぞれの人物を説明すると、時間がかかる。これによって物語の流れが一時的に悪くなったり、子役ロスの声が上がったりすることがよくある。
『あんぱん』の場合、流れが止まったという指摘を聞かない。子役ロスの声も上がらなかった。パン食い競走という場を整え、子役たちを一度に交代させたことが大きい。中園氏の技ありである。
それだけではない。パン食い競走を女性が参加できない設定にしたことにより、あの時代の著しい男女不平等を瞬時に表せた。『虎に翼』(2024年度前期)なども戦前の酷い男女不平等を表現したが、これも短時間で表すのは容易なことではない。現代人にとって、あまりにおかしな話だからである。
パン食い競走
のぶは参加資格がないことを無視する形でパン食い競走に出場し、1等になる。当然、のぶは失格となってしまうものの、このエピソードを使い、嵩との関係性の一端が表現された。
「失格なんて酷いね」(嵩)、「うちがアホやった」(のぶ)、「のぶちゃんは悪くない。男らしくないよね。みんな女の子に負けたのが悔しかったんだ」(嵩)
温厚な嵩が珍しく怒った。パン食い競走に出たかったのぶを参加に導いたのも嵩である。嵩がのぶに好意を抱いていることがあらためて示された。第13回のことだった。
パン食い競走をめぐるエピソードはまだ続いた。同じ第13回、繰り上げで1等になった千尋が、賞品のラジオをのぶに譲る。
「1等賞はのぶさんや。これはのぶさんが受け取ってください」(千尋)
朝田家にラジオがやってきた。これは作品にとって意義深かった。時代の説明を登場人物たちのセリフやナレーションに頼らずに済むようになった。ラジオを使って時代の色を伝えられる。『カムカムエヴリバディ』(2021年度後期)などもそうだったのはご記憶の通りである。
さっそく電源が入れられた朝田家のラジオからは1936年に開催されたドイツのベルリン五輪の国内予選が伝えられた。ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まるのは3年後の1939年。この時代はまだ平和だった。それが観る側に自然と伝わった。
自分の夢を追い求める決心
パン食い競走をめぐる話はまだ終わらない。第14回、競走中に倒れそうになったのぶを、千尋が支えてくれていたことが分かる。
ラジオも譲られているから、のぶは「ありがとう」と深く感謝した。これに対し千尋は「ワシ、大好きです!」と声を張り上げる。近くにいた嵩はうろたえ、蘭子とメイコは目を見張った。
もっとも、千尋の次の言葉は「朝田パンのあんぱん」だった。嵩は安堵するが、今後どうなるかは分からない。含みを持たせた。
パン食い競走にまつわる最大のエピソードは、のぶが自分の夢を追い求める決心をしたこと。事実上の1等になったことにより、どんな夢でもかないそうな気持ちになった。
のぶは第4回で急死した父・結太郎(加瀬亮)が遺した言葉も思い出す。
「なりたいものが見つかったら、思いっきり突っ走れ」
見つけた夢は学校の教師。女子師範学校に進むことを心に決める。ここでも中園氏の腕が見せつけた。朝田の家族関係と家族それぞれの人間像を一度に浮き彫りにしたからである。
釜次に「教師になりたい」と伝える
第13回、のぶから教師になりたいと伝えられた釜次(吉田鋼太郎)は「いかん、いかん。嫁に行きそびれる」と猛反対する。未亡人の母・羽多子(江口のりこ)を助けるべきだとも言い、蘭子が高等女学校に行かずに郵便局で働いていることも理由とした。祖母・くら(浅田美代子)も同調する。くらは保守的で釜次に抗わない。
(『あんぱん』/(c)NHK)
一方、羽多子はのぶの意思を懸命に守ろうとする。釜次に向って「お願いします、のぶの夢を潰さないでください」と懇願した。普段の羽多子はひょうきん者だが、このときはまるで釜次と刺し違えるような迫力だった。
蘭子も「お姉ちゃんの夢はワテの夢や!」と声を上げた。のぶが進学することへの僻みは微塵もなく、釜次を睨みつけた。末っ子のメイコは何も言わず、うっすらと笑みを浮かべながら、結太郎の遺品であるソフト帽を釜次に被せた。のぶの夢をかなえるのは結太郎の遺志だと無言で訴えたのである。
これでは釜次はもう何も言えない。釜次はのぶが教師を目指すことを認めた。釜次は考え方がちょっと古いが、孫娘たちへの愛情は強いのである。
鮮明になった「家族の姿」
家族の姿を早い段階で鮮明にした意味は大きい。特に、ヒロインの人格形成に影響が大きい母親の内面を描くことは欠かせない。母親を見せることでヒロインの将来像も想像しやすくなる。
これを教えてくれたのはNHKドラマ制作者の1人。「朝ドラはホームドラマでもあるから、序盤で母親ら家族の姿を詳らかにするのはセオリー」。
『おしん』(1983年度)以前から、『カムカムエヴリバディ』『虎に翼』まで、名作と呼ばれる朝ドラはこぞってこのセオリーを守っている。
第11回から14回までに今後のストーリーの礎となるさまざまなエピソードが描かれたが、荷余り感やつながりの悪さを思わせなかった。パン食い競走という共通軸があったからだ。
嵩と千尋の実母・登美子
この朝ドラは今のところ分かりやすいキャラクターの登場人物が目立つ。たとえば全国を放浪する謎のパン職人・屋村草吉(阿部サダヲ)は口が悪いものの、心優しき善人だ。
第8回、結太郎が亡くなった直後に釜次も大ケガを負い、仕事ができなくなった。生活が逼迫した朝田家がパン屋をやろうと考え、屋村に職人になってくれと頼むと、「とりあえず1回だけだ」と無愛想に言った。だが、もう8年もいる。
複雑なキャラクターは嵩と千尋の実母・登美子(松嶋菜々子)。第3回、医院を営む義兄の柳井寛(竹野内豊)宅に兄弟を置き去りにした。再婚するためだ。登美子は元夫で兄弟の父・柳井清(二宮和也)と死別している。
第10回、登美子は再婚先を訪ねてきた嵩を「何しにきたの」と冷たくあしらう。それでいて再婚相手と離婚すると、8年ぶりに兄弟の前に現れ、寛に向って「しばらくこちらに置いていただけませんでしょうか」と同居を頼む。第15回だった。強心臓の鬼母である。
もっとも、兄弟に愛情がないかというと、そうは見えない。再婚は寛とその妻・千代子(戸田菜穂)には伝えたが、嵩には告げなかった。姿を消す際には「出掛けるだけ」と言った。罪の意識があり、本当のことを言うのは残酷だという自覚があったからではないか。
置き去りにした日、胸騒ぎをおぼえて追い掛けてきた嵩から登美子は「本当に迎えに来てくれる?」と尋ねられる。すると困ったような笑顔をうかべながら、うなずいた。やはり現実を口に出来なかった。
第9回、登美子は嵩に「元気にしていますか」などと書いたハガキを出した。わざわざ再婚先の住所まで書き入れていた。だから嵩は訪ねられた。どこかで子どもたちとの関係を断ち切りたくないという思いがあったからではないか。
登美子の文字は書き慣れてなく、十分な教育を受けているとは思えなかった。女性の自立が難しかった時代であることから、自分なりに考えた最善の策が兄弟を寛に託すことだったように思える。
登美子は嵩を誉める際、必ず「清さんの子どもだから」と強調する。自分の子どもだからとは決して言わない。登美子が清が生きていたころを愛おしんでいる表れだろう。
文:放送コラムニスト 高堀冬彦
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