降旗康男監督「成功した人の話を撮るのは映画ではないと思う」

4月23日(日)16時0分 NEWSポストセブン

映画『追憶』でメガホンをとった降旗康男監督

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 主演の岡田准一をはじめ、小栗旬柄本佑長澤まさみ安藤サクラといった若手俳優陣が勢ぞろいした映画『追憶』(東宝系、5月6日公開)でメガホンをとった巨匠・降旗康男監督(82)。


 降旗監督の映画と聞いて思い浮かぶのは、3年前に逝去した名俳優・高倉健(享年83)、ベテランキャメラマン・木村大作(77)と共に作り上げた作品群だ。『駅 STATION』(1981)に始まり、『居酒屋兆治』(1983)、『夜叉』(1985)、『あ・うん』(1989)、日本アカデミー賞監督賞・脚本賞を受賞した『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)──これら数々の映像は、今なお色褪せることがない。


 1957年、東京大学文学部仏文学科を卒業した降旗は、東映に入社する。監督の道に進んだのは、意外な理由だった。


「僕には宮仕えはできないと思っていたところ、東映は芸術職・技術職で採用されると仕事がないときは会社に行かなくてもいいという話を知り、これはいいと思いました。給料が結構よかったですしね。


 当時は就職難でコネの時代で、私も叔父のコネもあって就職できました。生まれ変わってもコネがあるか分からないから監督になるかは分からないけれど(笑い)、続いているのは水があったからでしょうね」


 1966年に『非行少女ヨーコ』で初監督を務めた。そのころすでに降旗作品に共通する強いポリシーが生まれていた。2作目として、ある企業の創業者を主人公にした映画の監督を依頼されたが、通常の4〜5倍という莫大な予算だったにもかかわらず、きっぱりと断わったのだ。


「僕は成功した人、立派な人の話を撮るのは映画ではないと思っているんです。人間は負けたり失敗したりして間違った道を進んでしまうけれど、それでも生きていく。そんな姿を撮りたいと思っています。だから、堪忍してくださいと伝えました」


 かといって、仕事をしないわけにはいかない。1960年代は任侠映画の全盛期。東映の映画の80%くらいが任侠映画だったこともあり、仲の良かったプロデューサーから任侠映画を撮ってみないかと声がかかった。


「『偉いやつは撮らないって言っているらしいけど、ヤクザ映画ははぐれ者の世界だからいいんじゃないか。任侠映画をやらないと東映で監督はできないよ』と言われて撮り始めました。そこでは楽しい仕事ができましたね」


 1978年に東映を辞めてフリーになった後は、『冬の華』(1978)を皮切りに、高倉健と共に、名作を世に送り出していく。高倉に話が及ぶと、柔和な表情を浮かべ、遠くを見つめた。


「健さんはオブラートに包んだような言い方をする人でしたね。オブラートに包みながらも僕の映画を批評してくれました。『地獄の掟に明日はない』(1966)は、それまでの東映任侠物とひと味違ったので、東映内ではちょっと評判が悪かったんです。


 その時、健さんは奥さん(江利チエミ)の表現を交えて『あなたもこういう映画に出たほうがいいよと言っていました』と褒めてくれました。けなすときもそうやってやんわり言ってくれましたね。後になって考えると、重い言葉だと思うこともあり、僕にとって一番の批評家でした」


『あなたへ』(2012)が高倉との最後の仕事になった。生前、高倉は降旗の自宅を年に1度は訪れていた。


「健さんはお酒を持ってきて、お茶を飲んで帰って行きました。僕はお酒を飲みますが、健さんは飲まないんですよ。一緒にご飯を食べるときは、日本酒をワイングラスに1杯くらい飲んでいましたけどね。


 健さんは佇まい、とくに斜め後ろ姿が、ただそこにいるだけで絵になりました。ひとりの人間として人生を背負って生きているのが、後ろ姿に表われていました」


『追憶』の主演を岡田にオファーしたのも、人が背負っている“陰”の部分が共通していると感じたからだ。


「今回、岡田さんの斜め後ろ姿に健さんを重ねて仕事をしていました。健さんを継ぐような俳優になってもらえればいいと思っています」


 監督として映画に関わり50年以上が経つ。若いころからずっと趣味も仕事も映画だったが、最近は午後の情報番組が面白いと、意外な一面を見せる。


「小池百合子都知事やトランプ政権など、最近のニュースは下手な小説よりよほど興味深い。時間があるときは、ただテレビの前にじっと座っていることが多いです。


 夕方にはビールを飲んでしばらく居眠りし、深夜1時か2時頃に目覚めると、家人が起きてくるまでの4時間くらいは本を読んでいます。何か映画の種になるものはないかと思って読んでいますけど、そんなもの、なかなかありませんよ(笑い)」


 取材の最後に、映画を通して伝えたいものは何かと問うと、やんわりと、でもはっきりとこう語った。


「それは苦手な、答えられない質問です。映画は小説より、登場人物の顔の表情や目つきとか、セリフや文字の描写だけで伝えられない部分があると思います。だから、そういった文字にならないこと─人間の表情や立っている姿とか、そういったもののボルテージで印象を高くするのが映画だろうと思っています。


 そして、その高いボルテージで作った映画を観た人に、自分の人生で関わりのある部分が蘇ってくるというのが映画ではないでしょうか」


 降旗映画には正義の味方やヒーローは登場しない。描かれるのはいつも、運命に翻弄され、過ちを犯し、苦しみながら生き抜くひとりの人間なのだ。


撮影■佐藤敏和、取材・文■戸田梨恵


※週刊ポスト2017年4月28日号

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