66年勤務、購買部91才おばちゃんが引退 卒業生が語る思い出

4月24日(月)7時0分 NEWSポストセブン

茨城県立下館第一高校をこの春”卒業”した山中艶子さん(91才)

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 まだ桜が咲く前の3月22日、『茨城県立下館第一高校』でも例年通り終業式が行われた。ただ、他の多くの高校と違って、また同校過去66年の歴史で初めて、その日は、たった1人の女性のために、約560人の生徒による“お礼の会”と称された卒業式が行われた。


 同校の正門の左側に進むと、校舎と体育館を繋渡り廊下のわきに約17平米ほどの小さな木造の建物がある。同校の生徒がお昼ご飯や部活後の空腹を満たすパンや飲み物を購入する売店だ。


 この会の主人公となったのは、売店を66年間にわたって運営してきた名物おばちゃんこと、山中艶子さん。御年91才だ。


 同校に購買部ができたのは1951(昭和26)年。終戦から6年経った日本はまだまだ食糧難が続き、食べ盛りの高校生にとっては厳しい時代が続いていた。


「食料が不足してお弁当を持参できずにいる生徒がいるから売店をやってほしい」


 25才の艶子さんにそう懇願したのは、当時同校に赴任してきたばかりの教頭だった。購買部を始めた当初、艶子さんはお手製のコロッケパンを5円で販売。1日80個近く作ったコロッケパンは毎日完売していたという。


 同校の卒業生でもあり、下館一高で教員としても勤務していた田村寿穂さん(75才)は「今でもあの味を思い出すことができるんです」としみじみ語る。


「当時はお金もなくてね。器械体操部だったぼくらは、みんなからお金をかき集めても30円くらいにしかならないんですよ。でも部活の練習が終わったあとはとにかくお腹が空いててね。当時は満足にご飯も食べていないこともあって、部活が終わった夕方はもう空腹で。


 そんな時に、おばちゃんに『これしかないんだけど』って言って、手のひらにのせた30円を見せるんです。するとおばちゃんは『そうか』って言って10個とか15個とか人数分のコロッケパンをくれるんです。本当は6個しか買えないのにね(苦笑)。でもぼくたちもお腹が空いているから、遠慮なくお言葉に甘えていました。


 あの味は本当に忘れられない。お腹を満たしてくれるだけじゃなくて、気持ちもホッとできる場所でね。元気がない生徒がいると必ず『どうした?』って声を掛けてね、それで叱咤激励してくれて背中を押してくれるんですよ」



◆雨の日も風の日も、66年いつも変わらず立ち続けた——生徒たちのあの日の思い出


 お礼の会の1週間後となった3月28日は艶子さんの91才の誕生日。そして彼女が購買部を引退する日でもあった。新聞やニュースなどでそのことを聞きつけた同校の卒業生たちは、購買部に立つ艶子さんに一目会いたい、挨拶したい、と長蛇の列を作った。


 この日は火曜日ということもあって、会社を休んで千葉県松戸市から艶子さんに会いに来た卒業生の刈谷裕一さん(仮名・37才)が寂しそうに話す。


「ぼくにとってこの購買部は、いつでも戻ってこられる場所。おばちゃんは当時新聞をよく読んでいて、ちょっとトイレに行くからって言って、ぼくらに店番を頼んでいくんですよ。その間にパンとかを買いに来た生徒にぼくらが売るんです(笑い)。お金を預かるのを任せて行っちゃうんです(笑い)。でもそれがなんだかうれしくてねぇ。無条件に信用してくれているってことがね。


 パンとか買いに行く場所なんですけど、おばちゃんに愚痴ったりもしてましたね。気軽に話せることで気分転換にもなるし、それが目的になっている部分もありました。いつでも立ち寄れる場所が学校内にあるって、幸せなことですよね」


 2年前に同校を卒業した石川由香さん(仮名・20才)にとって、艶子さんは恋愛相談にものってくれる、頼もしい人生の大先輩だった。


「私は購買部で勉強したりしてたんですが、おばちゃんには恋愛相談したこともあって。好きな人に告白するかどうか悩んでいたときに、『ちゃんと好きっていう気持ちは伝えなくちゃいけないよ』っておばちゃんが背中を押してくれました。告白したら見事に振られて笑っちゃいましたけどね。


 そんな話って、なかなか親にできないのに、おばちゃんにはできていたんですよね。おばちゃんからは褒められることはあんまりなくって、怒られることの方が多かったんですけど、でもそれが全然嫌じゃなかった。私の高校時代の思い出は購買部にあるんです」


 在学中に野球部だったという下川良夫さん(仮名・29才)も、艶子さんに怒られた記憶がある。


「試合に負けるとよく怒られました。慰めの言葉なんてなくて、『何で負けるんだ。勝たなくちゃダメだ』って言われるんです。いつも椅子に座って野球部の練習を見てくれていたから、調子がいいとか悪いとか、怠けているとか、ちゃんと練習しているとか、全部見られていましたから(苦笑)。普段褒めてくれないから、おばちゃんが認めてくれるときはとにかくうれしかったですね」


 下川さんは卒業後も定期的に艶子さんに会いにきていた。



「ただ、会いに行ってもやっぱり怒られる(苦笑)。おばちゃんの顔を見るとついつい愚痴っちゃうんですが、この前も『新しい職場が不安だ』って言って、『そんなの、みんなそうだ』って厳しく言われました。でも、なんか元気が出るんです。だってこの年になると、60才以上年の離れた人に怒られるって、なかなかないですからね。…寂しくなります」(下川さん)


 思い出してほしい。通常、学校の購買部といえば、お昼時のみ開くものだったはずだ。しかしここは違う。「部活を終えた生徒がお腹を空かせてはかわいそうだ」と、艶子さんは午後7時まで店頭に立ち続けたのだ。


「大変でしたね」——艶子さんが働いてきた環境を思って、記者が思わずそんな感想をこぼすも、艶子さんは「何が大変?」と不思議そうな表情を浮かべた。


 この購買部は木造で、入り口は開けているため、雨の日や風の強い日はもちろん、冬になれば苛酷な職場となったはずだ。


 まして艶子さんは、要介護1の認定を受けている。10年前に脳梗塞を患い、その後パーキンソン病を発症し、手足に震えがあるのだ。そのため杖は欠かせないし、椅子から立ち上がることさえもひと苦労。また91才という年齢ゆえ、耳も遠く、大きな声で会話をしなくてはならない。


 ここ数年は、週3日デイサービスに通い、火曜と木曜の2日間だけ購買部に立っていたという。それでも艶子さんは「一度も嫌になったことはないですよ」と、ニコニコしながら何食わぬ顔で言った。


※女性セブン2017年5月4日号

NEWSポストセブン

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