小沢一郎氏「海部政権は本当の『消去法』で発足した」

4月25日(木)7時0分 NEWSポストセブン

海部政権誕生の秘話を語る

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 自由党の代表・小沢一郎氏。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)


◆前代未聞の総理選び(1989年8月)


〈平成元年(1989年)の政界は激動で始まった。6月にリクルート疑獄で竹下内閣が総辞職。急遽後継総理となった宇野宗佑も女性問題と参院選大敗で、わずか2か月にして退陣した。危機的状況に陥る中、誰もがノーマークだった海部俊樹に白羽の矢が立った。〉


小沢:安倍(晋太郎)さん、宮沢(喜一)さん、渡辺みっちゃん(美智雄)、みんなリクルートで総裁になれない。だから、各派閥の事務総長クラスで相談することになった。僕は事務総長ではなかったけれど、梶さん(梶山静六)に『お前も来い』と呼ばれて会議に加わった。


 でも、誰が考えても適当な総裁候補がいない。仕方ないから、当選年次の古い人から順番に名前を挙げていきました。最初は海部さんなんて誰も考えていなかったけれど、年次をみるとぴょこっと出ている(当時10回生)。河本派という弱小派閥で、人柄がいいから敵もいない。“よし、これでいこう”となったんです。


──消去法で決まった。


小沢:今考えれば、面白いというか、あり得ない選び方でしたね。もちろん竹下さんや金丸さんに相談したとは思うけど、その会議で事実上決まった。海部さんにしてみれば棚ぼたというか、青天の霹靂というか、ね。


〈「海部総裁」が決まると、最大派閥の竹下派から“お目付役”“影の総理”として幹事長を出すことになった。宇野内閣では、竹下派七奉行(小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎、羽田孜渡部恒三、奥田敬和、小沢一郎)で長男格の橋本龍太郎が幹事長を務めていたが、参院選大敗で引責辞任したばかりだった。〉


小沢:突然、金丸さんに呼ばれて『お前がやれ』って言われました。でも、僕は(七奉行では)一番若かったから、「梶さんを先にやらせてくれ」と推した。梶さんもその気でいて、「俺が幹事長で、お前(小沢)を育てる」みたいな感じだったから。でも、「駄目だ」って言われたんです。


──金丸から?


小沢:うん。「お前だ」って。それでどうしようもなくて、党本部へ龍ちゃんを訪ねていって、「実は(金丸)会長から、やれって言われたんだけれど……」って相談したら、「まぁ、やるならやれよ」って。龍ちゃんもそう言わざるを得ないけれど、難しい顔をしてたなぁ。


 僕は梶さんとは同期当選だから、それまで一心同体でやってきたんだけど、それで(幹事長になれなくて)梶さんは心が弱っちゃった。僕も困ったけどしょうがないと割り切るしかなかった。


●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)


※週刊ポスト2019年5月3・10日号

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