「生と死はすごく近い存在」あの時、宇多田ヒカルはなぜそんなことを語ったのだろう——文藝春秋特選記事

4月26日(金)6時0分 文春オンライン


文藝春秋4月号の特選記事を公開します。(初公開 2019年3月24日)



「歌姫ってなんなん」。宇多田ヒカルがそう呟いたことが話題になった。



 遡ること21年前の平成10(1998)年12月。宇多田ヒカル(36)は「Automatic」で歌手デビューした。わずか15歳の少女から放たれる洗練された歌詞とメロディーは、日本中の人々の心を瞬く間に惹きつけた。



©getty


 デビューから3カ月後に発売された1stアルバム「First Love」は初動売上が200万枚を突破。現在までの累計売上は860万枚に達し、国内のアルバムセールス歴代1位に君臨しつづけている。宇多田の登場は、日本の音楽シーンを様変わりさせたといってよい。


宇多田の個的な情感


 86歳の作家・五木寛之氏は、早くからこの“平成の歌姫”に注目していた一人だ。


 今から19年前、写真家・藤原新也氏との対談「宇多田ヒカル的情感に回帰する日本人の心」(『週刊朝日』2000年1月21日号)で、「マーケティングによって成り立った乾いた小室音楽から宇多田的な個的な情感に時代がシフトした」という藤原氏の指摘を受け、五木氏は、当時まさに絶頂期にあった“宇多田ブーム”を次のように分析している。


〈先日、「文藝春秋」で『アルジャーノンに花束を』の作家、ダニエル・キイスと彼女との対談を読んで非常にびっくりしたんですけどね。(中略)頭から終わりまで一言のギャグも冗談も、斜に構える姿勢もない。これまで、ユーモアと笑いというのは批評であり、カルチャーであり、文化であるというふうなことで、その反対の極にあるものが、あまりにもばかにされ続けてきたわけだけれども、この対談を読んで、どうやら時代は藤原さんのおっしゃったとおりに動いているなと思いました〉


 五木氏は、宇多田ヒカルというミューズを通じて、平成の日本人の行く末についても、ある種の“予言”をしていたと言える。



 そして、平成が終わりを迎えようとしている今——。


 五木氏は、宇多田をどのように見ているのだろうか。


「生と死はすごく近い存在」


 五木氏は、改めて今、宇多田とダニエル・キイスの対談記事「もうひとりの私」(『文藝春秋』2000年1月号)中の、“ある言葉”に注目する。


〈宇多田 日本の作家で、志賀直哉という人がいて、「城の崎にて」という小説を書いたの。列車事故で死にそうになった人がリハビリのために温泉に行き、そこで死が人生に一番近いものであり、いつもそばに居るものだと気づくの。紙のようなもので、紙の両面が生と死を示している。それを読んで、私は怖ろしかった。結局、生と死はすごく近い存在だから、若者は魅了されて、探りたいと思うのだろう、と〉


 五木氏はこの言葉から「意識的に何かを探そうとする小賢しい『知識』ではなく、自然体の本物の『知』」を感じたという。


 はたして、宇多田の「知」の源流とは何なのか——。



「文藝春秋」2019年4月号


 宇多田の母・藤圭子、祖母・竹山澄子にまで遡って、宇多田に脈々と受け継がれる精神の系譜に着目した五木寛之氏の分析「母娘三代『ミディアム』の血脈」の全文は、 「文藝春秋」4月号 に掲載されている。



(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年4月号)

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