SMの“縛り”は陸軍方式、海軍方式の二派から発達?——風俗研究家の“変態研究”

4月26日(日)18時0分 文春オンライン


『性風俗50年 わたしと昭和のエロ事師たち』(下川耿史 著)筑摩書房


“犯罪者ではないのに犯罪者のように見られる存在”風俗研究の泰斗、下川耿史の変態定義である。


 新聞社を中途退社後、一貫して在野の著述家として活動してきた彼は、自身を行動型のタイプではなく、資料発掘を第一とする書誌学派だと任ずるが、下川耿史のフィールドにはさらに口承記録(オーラルヒストリー)が含まれる。


 彼が関心を示す人物は有名無名を問わない。変態が対象である。本書には変態の男女が記録されている。


 SM黎明期の縛りは二種類あった。


 そのひとつが奈良の衛生技師・辻村隆による縛りだった。ひそかに憧れていた従姉妹から「私をあなたの好きにしていいよ」と言われた辻村は高揚するまま腰ひもで縛った。戦中、中国の最前線に送られても、「もう一度彼女を縛りたい、こんなところでは死にたくない」という思いで終戦まで生き延びる。カストリ雑誌「奇譚クラブ」に緊縛写真を掲載、人気を博する。


 対するもう一つの縛りは、SMという造語を生み出した須磨利之という人物の作である。台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で米軍潜水艦の魚雷攻撃をうけ海に投げ出される。戦友たちが悲鳴や絶叫を発しながらフカの餌食にされるなか、なんとか奇跡的に生還。


 辻村隆の縛りが陸軍時代の馬から荷物が落ちないようにバランスよく縛る手法なら、須磨利之の縛りは甲板に荷物を積み込む手法であった。戦後花開いた日本独特の緊縛は、陸軍方式、海軍方式の二派から発達したのであった。


「今度生きて帰ったら、絶対自分の思った通りに生きていこう」(須磨利之)


 終戦直後、庶民を虜にした性風俗はこの二人のように、戦地から復員した青年たちが主導したのである。



慶大・東大の図書館で医学雑誌を読みまくった


 新聞社を退社してフリーランスになった下川耿史のテーマは庶民の性を研究することだった。今より偏見が強かったために、新聞・雑誌編集部に行くと「おい! グロ!」と蔑まれたこともあった。


 庶民の性を研究しようと慶大・東大の図書館で医学雑誌を読みまくった。民間人が図書館を利用する場合、慶大は百万円の入会金が必要だったが、公的機関の人物の紹介で自由に使えた。


 ところが、なにやら怪しい性の文献を漁っているのではと思われてパージされかける。紹介者に迷惑をかけたと思ったが、その人物は「それくらい熱心だったら、私も使われ甲斐があります」と不問に付してくれた。


 東大では五冊がコピーの限度だったが、下川の選ぶ書誌を面白がったコピー担当者が「どんどん持ってきなよ」と何冊でも黙認してくれた。共にいい話だ。


 庶民を突き動かす根源は性欲である。下川耿史の性欲史観を抜きに民俗学は語れない。偉大な下川民俗学のどこを切っても噴出するのはただひとつ。


 反戦である。



しもかわこうし/1942年、福岡県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、産経新聞社出版局などを経て、著述家、風俗史家に。著書に『日本残酷写真史』『盆踊り 乱交の民俗学』など。


もとはしのぶひろ/1956年、埼玉県生まれ。作家。『全裸監督 村西とおる伝』『高田馬場アンダーグラウンド』など著書多数。





(本橋 信宏/週刊文春 2020年4月30日号)

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