中尾ミエ 若かりし頃に芽生えた不動産への執着心「物に執着はないんだけど、なぜかしら家を建てると...」
2025年4月26日(土)19時53分 スポーツニッポン
歌手でタレントの中尾ミエ(78)が26日、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」(土曜前5・00)にゲスト出演し、不動産に対する執着心を語った。
実家は北九州市の小倉で、教科書を学校に卸す商売をしていたが、親がその事業に失敗。「小倉に住んでいられなくなって」、家を転々とする少女時代を送ったという。借金の担保に家財道具が目を付けられることもあったようで、「たんすとかに赤い紙が貼ってあるの。これは何だろうと思いながら。10歳でした」と告白。そのため、10代のころから生活するために歌手になる目標を立てた。
「家族8人いましたから。最終的に六畳、四畳半で家族8人が暮らしていたので、まさに折り重なるように生活していたので。これは何としても家が欲しいと思って。で、働き始めたから」。所属事務所の社長宅に居候し、歌手を目指すことになった。
親の借金返済のため、そして家を買うという目標のため、中尾は10代からひたすら働いたという。「目標は決まっていたので、一切無駄遣いせずに」。多忙と生活環境も手伝って、金はどんどん貯まっていったという。「もう貯めまくって。社長の家にいたし、あとホントに忙しくて、お金を使う暇がないから。昔はホントに舞台衣装と、家に帰ってきても寝間着で良かったんですよ、社長の家は1日中。だから普段着とか、そんなのもいらないし」と振り返った。
「物に執着はないんだけど、なぜかしら家を建てるということを(興味を持つようになった)。それも建てるだけなのね。インテリアがどうちゃら、こんな家がとか、そういうのは何もないんですね。家を建てるという、不動産、何なんだろう?それしか興味なくて。あまり気に入った家ではないんだけど、借金があるとまた次の家を建てて、終わるとまた建てて」
次の家は、建てた家のすぐ裏だった。「家を1軒建てたでしょう?家の窓、トイレの窓から裏の土地が空いていたんですよ。そこを毎日見ながら、土地が欲しいな、あの土地が欲しいなって思って」。それが25歳の時だったという。「25で借金を返し終わったから、また借金してその土地を買って、そこに2軒目を建てたんですよ」。しばらくは家族で分かれて住んでいたものの、やがて一人、また一人と独立して出ていき、「2軒もいらなくなっちゃって。そこをアパートにするかといって、アパートにして、建て替えて」。今度はアパートの経営者にもなってしまったという。
アパートは住民にとっても住み心地がいいらしく、「もう15、16年経っているんですけど、誰も出て行かないんですよ」と打ち明けた。「結婚している子もいるんです。ワンルームだから、“出て行きなさい。こんな狭いところでいたら、離婚の元なんだから”って、しょっちゅう言っているんだけど、“ここは死守します”って。それほどのところじゃないんだから」とも話し、笑わせていた。