「あんぱん」中園ミホ氏 やなせたかし氏との奇縁「二度救われた」文通相手が朝ドラモデル“恩返し”の一作

2025年4月26日(土)8時15分 スポーツニッポン

 ◇「あんぱん」脚本・中園ミホ氏インタビュー(1)

 「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」シリーズなどのヒット作を放ち続ける脚本家の中園ミホ氏(65)が、NHK連続テレビ小説「あんぱん」(月〜土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)で11年ぶり2回目の朝ドラに挑戦している。国民的アニメ「アンパンマン」を生み出した漫画家・やなせたかし氏と妻・暢さんをモデルにした物語で、朝ドラ王道の展開が視聴者の泣き笑いを誘い、序盤から好評。インターネット上をはじめ反響を呼んでいる。やなせ氏とは小学生の頃に文通をしていた仲で、格別の思い入れ。作劇の舞台裏を聞いた。

 <※以下、ネタバレ有>

 中園氏がオリジナル脚本を手掛ける朝ドラ通算112作目。激動の時代を生き抜いた夫婦を描く。中園氏は2014年度前期「花子とアン」以来の朝ドラ脚本。ヒロインを務める女優の今田美桜は21年度前期「おかえりモネ」以来2回目の朝ドラ出演、初主演となる。相手役の俳優・北村匠海は朝ドラ初出演。

 やなせ氏との文通が始まったのは、中園氏が父を亡くした10歳、小学4年生の時。母が買ってきたやなせ氏の詩集「愛する歌」第2集の中にあった「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね」が少女の心を捉えた。

 「索漠した詩ですが、『父もやなせさんの詩と同じなんだな』と悲しみから救われたんです」。その思いを手紙にして送ると、すぐに返信があり、約40歳差のペンフレンドになった。「もうボロボロですけど、先日、その詩集を読み返したら、ほとんど覚えていました。『人間なんて…』は草吉(阿部サダヲ)が幼少期の嵩(木村優来)に言う台詞(第5回)にしましたけど、狙って使おうとしていたわけではなくて、もう自然と降りてきた感じですね」。文通のきっかけになった詩は第1週(3月31日〜4月4日)のサブタイトル「人間なんてさみしいね」にもなった。

 絵本「あんぱんまん」の刊行は1973年(昭和48年)、やなせ氏が54歳の時。文通スタートはその約4年前で「お手紙には『またお金にならない仕事を引き受けてしまいました』とか、愚痴も書いてありました。小学生の私に対してですよ(笑)。正直な方ですよね」と、その素顔を述懐。その後、童謡「手のひらを太陽に」の作曲家・いずみたく氏らとの音楽会に招かれ「お目にかかると『おなかはすいていませんか?』『元気ですか?』と、いつも笑顔で気遣ってくださったことが今も印象に残っています。ただ、私が生意気な女の子だったので、本当に失礼な話ですけど、当時、やなせさんに抱いていたイメージは『へなちょこな人』『報われないけど、優しいおじさん』でした(笑)」と振り返った。

 暢さんとの面識はなかったものの、今作執筆にあたって取材を進めると、興味深いエピドートがふんだん。やなせ氏が34歳の時、暢さんに「私が働いて食べさせてあげる」と背中を押され、宣伝部のグラフィックデザイナーとして活躍した三越を退社して漫画家に専念するなど「暢さんがやなせさんを『支えた』というより『引っ張り上げた』関係性だと思いました。暢さんがいなければ、やなせさんは愚痴るおじさんのままだったかもしれないですし、それこそ『アンパンマン』も生まれなかったかもしれません」。幼少期に「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」と呼ばれたパワフルな暢さんを主人公のモデルにし、やなせ氏と「アンパンマン」にたどり着く夫婦の軌跡を描く朝ドラ王道の展開を選択した。

 「取材力の中園ミホ」と称される緻密なリサーチが、今作も作劇を裏打ち。制作発表前だったため、高知新聞社への取材は極秘に敢行し「どの枠の企画かも伝えず、名刺も出さずに暢さんのお話をうかがいました。高知新聞社の皆さんには“怪しいおばさん”だと思われたんじゃないでしょうか(笑)」。やなせ氏の秘書を20年以上務め、暢さんとも深い親交があった越尾(こしお)正子氏(やなせスタジオ代表)にも徹底的にインタビューした。

 「やなせスタジオ(東京都)はもともとやなせさんがアトリエにしていたマンションで、日用品なんかもそのまま残っているんです。越尾さんが収納の引き出しまで開けてくださって『やなせさん、こんな派手なパンツを履いていたんだ』と(笑)。マンションの前でNHKさんのスタッフと待ち合わせをした時、『そう言えば私、この住所に文通の手紙を送っていたな』と思い出して、また不思議な気持ちになりました」

 「やなせさんの影響で子どもの頃に詩を書くようになって、物を書くことが好きになって、そこから脚本家になったので、本当に私をつくってくださった方だと、あらためて実感しています」と、その存在は計り知れないほど大きい。「不思議な縁といった言葉では説明がつかない、深いつながりがあったことに、今回気づかされました」と、さらなる逸話を明かした。

 文通が始まる4年前、中園氏はやなせ氏に似顔絵を描いてもらっていた。

 「今回、お手紙を読み返していたら、私の似顔絵が描かれた色紙が出てきたんです。日付を見ると、私が6歳の時。私の誕生日が近くなって、親にデパート屋上の似顔絵コーナーに連れていかれて、漫画家さんが何人かいらしたんですけど、行列に並んでいた私が順番で『はい、次の人』と呼ばれて、描いてくださったのが偶然、やなせさん。色紙を見つけるまで全く覚えていなかったので、もうそこからご縁があったんだなと心底、驚きました」

 文通は10歳から15歳ぐらいまで続いたものの「本当に失礼な話ですけど、私が思春期になって勝手にやなせさんの詩から卒業して、お返事を出さずに疎遠になってしまって…」。それでも19歳の時、代々木の交差点でバッタリ再会。「『中園ミホです』とあいさつしたら『えっ?こんなに大きくなったの?お化粧も?』とビックリされていました(笑)。そのまま私を本の出版パーティーに連れていってくださって。久しぶりに楽しくお話しさせていただきました。ただ、その時、母が闘病中だったので、途中で帰りますと伝えると、やなせさんが会場から母に電話をかけて励ましてくださったんです。母も凄く喜んでいて。父が亡くなった後の詩、母が亡くなる前の電話。私は2度、やなせさんに救われています」と感謝した。

 中園氏にしか書けない“恩返しの一作”。「スピリチュアルに聞こえるかもしれませんけど、今回は執筆中にやなせさんを近くに感じることが度々あります。ふと気がついたら、そのシーンは書き終わっていて、書き始めからの記憶があまりない、みたいなことがしょっちゅう起こるので。何かに導かれて書かされているような、やなせさんが怠け者の星の私に書かせてくださっているような。こういう包まれているような感覚になることは、今まで他の作品ではありませんでしたね」と打ち明けた。

 やなせ氏は13年に逝去。「今もお元気なら、各地で戦争や紛争が起きているこの世の中に対して何とおっしゃるのかな」。脚本家になって無沙汰をしたものの、最近は中園氏の脳裏に“恩師”の顔が思い浮かぶようになっていた。

 初回(3月31日)冒頭から名言が飛び出した。

 柳井嵩(北村)「正義は逆転する。信じられないことだけど、正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある。じゃあ、決してひっくり返らない正義って何だろう。おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」

 戦後80年の節目の年。中園氏は「やっぱり伝えたいことは、やなせさんの精神、すべてです」と力を込めた。

 =インタビュー(2)に続く=

スポーツニッポン

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