「この先、何があっても裏切らない」芥川賞作家・村田沙耶香、小説は「唯一自分を自由にさせてくれる場所」
2025年4月27日(日)8時0分 週刊女性PRIME
村田沙耶香 撮影/齋藤周造
あなたはLINEグループをいくつ持っているだろうか。学生時代の友人、ママ友、職場の仲間……。愛称や旧姓などグループによって呼ばれ方が違い、話題も楽しみ方も違えば、自分のキャラさえも使い分けている人もいるかもしれない。
村田沙耶香さんの新著『世界99』の主人公・如月空子も世界(1)、世界(2)、世界(3)など、いくつかのコミュニティーを持つ。各世界のメンバーに会うときはアクセサリーも化粧も話し言葉も、それぞれにふさわしいものをチョイス。
同じ時間を生きているのに、違う世界線
ある世界でよしとされることや尊敬される人物が、別の世界では全否定されることも。空子はそんな世界間を自在に行き来する。相手に合わせて呼応し、“相手が望む自分”をつくって生きてきた。
「私自身、趣味や仕事などアカウントはいくつかありますが、そこで流れるトレンドワードや話題、ニュースはまるっきり別のもの。同じ時間を生きているのに、世界線が全然違うのが、すごく気になっていました」
村田さんはひと言ひと言丁寧に言葉を選びながら話してくれた。
'16年に芥川賞を受賞した『コンビニ人間』は170万部を突破し、40か国語に翻訳された。マニュアル化されたコンビニの一部でいることで正常を保つ主人公は異常なのか。
その後も村田さんは進化を続け、不思議な世界をつくり続ける。その集大成といえるのが、この『世界99』。初めての連載小説であり、3年8か月をつぎ込んだ大作は、私たちをとんでもないところまで連れていってくれた。
女性の生きづらさがピョコルンに託される
空子の家は、新しくできたクリーン・タウンにある。父は“過去がなくて公平な街”と言うが、差別もいじめもある。空子は、子どものときから媚(こ)びて生きる術(すべ)を身につけていく。
家に愛らしいペット『ピョコルン』が来た。《パンダとイルカとウサギとアルパカが組み合わさって出来上がった生き物》で、《白い毛に囲まれたまん丸い愛嬌(あいきょう)のある目、短い4本の足》で歩く。
その姿は《健気(けなげ)で愛くるしく、キュー、キューと人間をくすぐる声で》鳴く。こんなに魅力的なペットがいたら、メロメロになりそうだ。
「“可愛らしさ”とか“女の子らしさ”とかを、肩代わりしてくれる生き物がいたらどんな世界になるのか。それを背負わせるというのは、どんな感覚なのか。それを知りたかったので、ピョコルンをつくってみたんです」(村田さん、以下同)
そこには、女性がかけられているプレッシャーがある。
「母に“将来、見初められる女の子になりなさい”と言われ、父方の田舎では“村田の血を受け継ぐ孫をつくってもらわないと”と言われ、育ちました。自分の“子宮”が監視されているな、と感じたんです。私の子宮は親戚とか村とかのもので、自分の自由にしたら怒られる。そんな感覚でした」
女性は子どもを産み、家族のために生きるべき、と育てられてきた読者も少なくないだろう。空子の母は家族の道具として使われる。家事全般にピョコルンの世話、舅姑の介護も背負わされ、いつも疲れている。
「(空子の)お母さんはあまりに救いがなく書いていて胸が痛かった」
ピョコルンはただの愛らしいペットから、女性の負担を担う存在へと進化する。
二度と小説を裏切らずひどい世界も描ききる
村田さんは、親や先生に心配されるほど、繊細で泣き虫な子どもだった。人の顔色を見てびくびくする子にとって、小説の世界の中だけは自由だった。
「4年生ぐらいから小説を書き始め、6年生のときに母と半分ずつお金を出し合ってワープロを買いました。それから、すごくのめり込んで書きました」
当時流行った『ティーンズハート』やコバルト文庫など少女小説には、もれなく登場人物の挿絵があり、村田さんもまた自分の小説の登場人物のイメージを絵で描くようになった。
「中学生のとき、ティーンズハートの新人賞に応募しようとして“入選するため”に“大人が喜ぶものを書こう”と考えたことがあった。それは裏切りでした。小説という唯一、自分を自由に伸び伸びとさせてくれていた場所に対して、私はひどい裏切りをしたんです」
以来、それがどんなに苦しくても残酷な内容になっても、小説を裏切ることはしていない。
今も小説を書くときは、登場人物のイメージ画を描くことから始める。どんな顔や体形で、どんな服を着ているか、何が好きか、どこに住んでいるかなどの設定をノートに描いていく。
「空子さんと友人、お父さんお母さん、ピョコルンも。作中で成長していくので、年齢ごとのイメージ画と年表もつくりました。コミュニティーによって表情や雰囲気もあるし、いっぱい描かないといけなかったんです」
おっとりとチャーミングに語られると、人物造形もストーリーを書くのも楽しそうに見えるが、とんでもない。
「自分の内を切り裂き、核のようなものを取り出し、水槽に入れるイメージ。それが軸となって、登場人物たちが動き出し、おしゃべりし、エピソードができてくる感じです」
出てきたエピソードがどんなにおぞましくても、目を逸(そ)らしたくても、正直に書き留める。
「パラレルワールドっぽい世界を書きますが、私にとっては現実よりずっとリアルで、自分の核に近づけて表現しています」
女性の負担をピョコルンが引き受けてくれて、空子たちは生きやすくなっただろうか。ピョコルンとは何者なのか。読み進むにつれて明らかになる驚愕(きょうがく)の世界。村田ワールドは、常識の澱(おり)を洗い流してくれる。
■最近の村田さん
「自分の部屋では書けないんです。どうしても空想の世界に入ってしまうから。朝、モーニング付きの喫茶店から始まり、散歩を挟みながら喫茶店を移動して書くことが多いです。程よいざわめきの中がいい。
この小説は、連載中にスイスに滞在して書いた時期もありました。物価が高くて喫茶店のハシゴはできませんでしたが。よく集英社の廊下にある机などでも書かせてもらいました」
村田沙耶香(むらた・さやか)/1979年、千葉県生まれ。2003年『授乳』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。'09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、'13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、'16年『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。ほかに『マウス』『ハコブネ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『地球星人』など。
取材・文/藤栩典子