志穂美悦子 イキイキ生きる“ご褒美トレ” 長年見つめた“生と死”シャンソンで怖さ消えた
2025年4月27日(日)5時0分 スポーツニッポン
【だから元気!】今月から毎月第4日曜日は、著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」をお届けします。今回は昨年、「鬼無里(きなさ)まり」の名でシャンソン歌手デビューした志穂美悦子さん(69)です。日本初のアクション女優として活躍し、結婚を機に一線から退いていた志穂美さんにとって「いまは円熟黄金期」だといいます。(構成・西村 綾乃)
自分の足跡を残しておきたい性格。「トレーニングノート」には、図解付きで部位ごとに内容をまとめています。ある日はバランスボールに背中を預け、ダンベルを持ち上げるメニューは、5キロから始め、8キロ、10キロ、12・5キロと負荷を上げ、それぞれ「10セットやりました」と書いてあります。30代の時にできたことが、60代のいま、できなくなるのは当たり前だけど、ノートは発奮材料になります。自分だけの教科書なんです。
1972年に千葉真一さんが創設したジャパン・アクション・クラブ(JAC)に入り、日本初のアクション女優として活動しました。ヘリコプターにぶら下がったり、地上30メートルのビルとビルの間に張った32メートルのワイヤロープを2分30秒ほどで渡ったり。当時は、危険なことをやればやるほど、生きているということを感じていました。
復員した父に戦争体験を聞いていたこともあり、幼稚園の頃から死の恐怖がありました。自分が無になる恐ろしさは、3カ月に1度くらいの間隔で襲ってきて、最近までありました。
85年公開の主演作「二代目はクリスチャン」の撮影を終えた翌日、JACの八丈島合宿で竹刀を振っている時に「私の居場所はここじゃない」とハッとしました。演じた人物は成功していても、演じる私は充実していない。焦りの中で翌年、飛び込んだドラマ「親子ゲーム」で“希有(けう)な人”(長渕剛)と巡り合い、30歳で家庭に入りました。見なくてもいいものも見ましたが、東京ドームで5万人が熱狂する信じられない世界も見せてもらいました。
「この声も体も、なくなる」という恐怖が消えたのは、「鬼無里まり」として歌うことを決めてから。表現者として眠っていた私を、もう一人の私が「行ってこい」と蹴飛ばしたんです。アクション、夫と子供たち。フルマラソンに花と、それぞれに飛び込み夢中になりました。昨日よりも今日の方ができる私になっている。それが面白いし楽しい。
トレーニングは私にとってご褒美。筋肉も喜んでいます。30年後、寝たきりにならず、自分の足で歩けるように。自宅ではモップがけをしながら、バレエのアラベスクポーズをして体幹を鍛え、上腕の後ろ側の筋肉は、椅子を使ってリバースプッシュアップ。誰もいないエレベーターではスクワットをします。
組み立て式のプッシュアップボードは、ハンドルの位置を変えられる優れもの。腹筋ローラーもお気に入りです。体重は50〜55キロを行き来。スタイルも変わっていません。
アクションの経験を生かして、将来はライブにブランコで登場するとか、誰もしたことがない演出で「アッ!」と驚かせたい。頭に浮かんだっていうことは、できるということ。実現させたいです。
≪“週9日”練習の成果 7・7「パリ祭」で発揮≫
5月23日に神奈川・鎌倉芸術館で行われる「さくら貝の歌」コンサートに特別ゲストとして登場する。昭和の作曲家・八洲秀章氏が生まれた6月2日に合わせて催されるもので、今年は生誕110年の節目。舞台では、八洲氏ゆかりの楽曲などが披露される。
7月7日には、東京・文京シビックホールで開かれる日本最大のシャンソンの祭典「パリ祭」にゲスト出演することが決定。「“週9日”の練習で磨き上げた歌を聴きに来て」とPRした。
≪「力湧く」アルバム発売へ≫24年6月にシャンソン歌手の鬼無里まりとして活動を開始した。鬼無里は長野市街地から北西約20キロに位置する地名。「愛と平和、自由を歌いたい」と願う自身の思いと、「鬼がいない平和な里」の意味を持つ地区の名の由来が重なると命名。まりは、初めてレギュラー出演した特撮番組「キカイダー01」の役名「ビジンダー・マリ」から取った。昨年11月には「日本シャンソンコンクール」で優秀賞を獲得。現在アルバムを制作中で、「力が湧く曲を歌いたい」と熱を込めた。
◇志穂美 悦子(しほみ・えつこ)本名長渕悦子。1955年(昭30)10月29日生まれ、岡山県出身の69歳。74年の初主演作「女必殺拳」以降、日本初の本格アクション女優として活躍。映画「里見八犬伝」、主演作「二代目はクリスチャン」などに出演した。87年、ドラマで恋人を演じた長渕剛と結婚。2011年から花創作家として活動。1メートル63、血液型A。