デビュー45周年の紅白歌手「アマチュアで1番になりたかった」過去「解散って言葉が口にできなかった」
2025年4月27日(日)14時33分 スポーツニッポン
歌手の鈴木雅之(68)が26日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。シャネルズ時代の思い出を明かした。
この日、19歳当時の思い出の味として五反田にある洋食店を紹介。「僕は大森というところで生まれ育ったんですけど、やっぱり子供の頃から洋食が好きだったから、シャネルズって自分はアマチュアで19歳の時に作ったんですよ。バンドのメンバーの1人が五反田出身だったりするんで、たまに五反田行った時には、このグリルエフにお邪魔させてもらったりとか」と鈴木。「うちがほとんど溜まり場だったんですよ。で、うちでよくコーラスの練習したりとか、多い時はもう10人以上が(集まった)。だから裏のおじさんに物凄い迷惑かけて、うるさいし。だからちょっと持ち回りで、メンバーの他も周りながら行こうって。だから五反田に行く時は“食事行こうか”って行かせてもらったりとか」と話した。
1980年、黒塗りメイクでシングル曲「ランナウェイ」でデビューし、ヒットを飛ばす。ただ、元々はデビューするつもりはなかったといい、「いわゆる大森界隈というか、その辺でライブやったりとかすると結構人気で、もう怖いもの知らずみたいな」と鈴木。そんな中、アマチュア・バンド・コンテスト「EastWest」に出場。コンテストで決勝まで進むも、「元々、シャネルズってアマチュアで1番になりたかったの。デビューしたいとかじゃなく。(プロへの憧れは)全然なかった。昼間仕事してたし。どう余暇を楽しもうかっていう、その中の一つが音楽だったの」と当時を振り返った。
加藤は「そこからどうやってプロになるんですか?」と質問。鈴木は「たぶんうちの親父が町工場で一緒に働いてましたし、その雰囲気を見てて、“こいつまだ何か納得してないんだろうな”っていうのをたぶん見抜いたんだと思うんです。で、“もう1年お前やってみろ”って言ってくれて。で、“もう、1年じゃあ決勝までみんなで行くぞ”っていうのをもう一度皆に言って、その時に“じゃあグランプリ取ったら解散するって宣言するから”って言って出たんですよ」とした。
結局、結果は準優勝。「インタビュー来ないじゃない。解散っていう言葉が口にできなかったんですよ。でも、その時にそのコンテストを見に来てたレコード会社のスタッフが“ちょっと付き合ってみない?”っていうことを言われた時に、何かまた違う景色が見えるかもしれないなって思って」と話した。