末井昭「まさか自分が女装にハマるなんて思ってもみなかった」

4月29日(木)13時0分 婦人公論.jp


和服で女装(自宅にて)

編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第10回は、思ってみなかったことのもう一つ「女装にハマった」お話です。

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第9回●「〈高齢者バンド〉のススメ。サックスのおかげで人生が変わった」

何でぼくはここにいるんだろう


過去を振り返ってみると、思ってもみなかったことが結構あります。

前回書いたサックスのこともそうで、その場の雰囲気でテナーサックスを買ってしまうまでは、自分がステージでサックスを吹くなんて思ったことがありませんでした。

ぼくは今、オリジナル歌謡曲を演奏するペーソスというバンドでサックスを吹いているのですが、ぼくが9年前に正式加入して少し経った頃、ある人の誘いで、ペーソスはボーイズバラエティ協会という演芸家団体に加盟しました。ペーソスの演奏が演芸だとはそれまで思ったこともなかったのですが、落語家さんの独演会の前座を頼まれることもあったので、演芸と全く縁がなかったわけでもありません。

そのボーイズバラエティ協会の特別興行で、新宿末廣亭や国立演芸場に出ることがありました。新宿末廣亭は明治30年創業の由緒ある寄席で、昔のことですが、ボーイズ芸(楽器を使った音楽演芸)の元祖、あきれたぼういずの坊屋三郎さんのウォッシュボード演奏を、末廣亭で観たことがあります。まさか同じ舞台に、ボーイズ芸の一員として自分が立つとは、全く思ってもみなかったことです。末廣亭の舞台に出た時、何でぼくはここにいるんだろうと不思議な気持ちになりました。

末廣亭だけでなく、国立演芸場に出たことも、銀杏BOYZの前座で武道館に出たことも、みんな思ってもみなかったことです。ペーソスに入って、思ってもみなかったことが他にもたくさん経験出来たし、こうして原稿にも書けるし、入って良かったと思っています(ペーソスは今も寄席にも出ていますが、ぼくはボーイズバラエティ協会を脱退したので、寄席に出ることは出来ません。脱退の理由はペーソスに年間100本以上のライブが入るようになり、原稿が書けなくなくなったからです)。

まさか自分が女装にハマるなんて


自分が女装にハマったのも、思ってもみなかったことでした。女装は、ぼくの関心ごとの外にあったことで、店主が女装した飲み屋に行くことはありましたが、まさか自分が女装するなんて、しかもハマるなんて、想像したこともありませんでした。

初めて女装したのは、80年代の中頃だったと思います。ぼくはその頃、白夜書房で『写真時代』という雑誌の編集長でしたが、編集局長でもあったので他の雑誌の発行人にもなっていました。そのなかに『元気マガジン』という風俗雑誌があったのですが、売れなくなって廃刊することになりました。

その雑誌の編集長だった山崎邦紀さん(今は映画監督・脚本家)が、最後だから奇抜なことをやろうと思ったのか、「みんなで女装して最終号の最後のページを飾ろう」とか突然言い出して、編集者やライターやカメラマン、それに発行人のぼくまで、女装サロン・エリザベス会館に行って、女装して写真を撮ることになったのでした。

神田にあったエリザベス会館は、女装マニアの人達が女装して写真を撮ったり寛いだりする場所で、女装関連のショップもあり、専門のメイクの人もいました。本来ならば、すね毛など剃ったりして準備しておくものなのでしょうが、ぼくらのなかには、本気で女装しようと思っている人はいないらしく、口髭の人は髭を剃ろうともしません。そういう雰囲気だったので、ぼくも冗談で女装する気分でいたのでした。

「あら、ちょっと、可愛いんじゃないかしら?」


エリザベス会館の女装手順は、最初に女性用の下着を買います。次に自分が着たい洋服を選びます(自分で持って来る人もいます)。ぼくは、どうせ冗談だからなるべく非日常的なものにしようと、派手なチャイナドレスを選びました。

次に更衣室に入って全裸になり女性用の下着を付け(ここでまず気分を盛り上げるようです)、選んだ服を着ます。そしてメイクルームに行きメイクをしてもらい、最後にカツラを付けたら出来上がりです。「はい終わりました」と言われて恐る恐る鏡を見ると、声に出しては言わなかったのですが、「あら、ちょっと、可愛いんじゃないかしら?」と思ったのです。

ぼくは若い頃から自分の顔に失望していて、この顔では一生恋人が出来ないだろうと思っていました。自分の顔を鏡で見るのも嫌だったぼくが、その時はいつまでも鏡の前にいました。みんなはお互いを見合ってゲラゲラ笑ったりしていましたが、ぼくだけがちょっとウットリしていたようです。

女装が完成すると、上の階にあるスタジオで撮影です。その階には、女装者達が寛げる憩いのスペースもありました。ぼくらは女装と言うより仮装と言ったほうがいいような格好で、上の階に通じるビロードの階段をドカドカ上がっていたら、憩いのスペースでソファーに座って煙草を吸っている先客の女装者がいました。ぼくらみたいに冗談で女装しているわけではありません。もう女性になりきって煙草を燻らせているのです。そこへ、髭を生やしたまま女装した連中がドカドカ階段を上がって来たので、ギョッとしたような顔になりました。

ぼくはその人に悪いような気持ちになって、女性になったようにしずしずと階段を上っていたら、その女装の人と目が合いました。その瞬間、ニコッとぼくに会釈してくれたのです。初対面で話したこともない人なのに、その時その人と気持ちが通じ合ったように思ったのです。

その一瞬のことがいつまでも記憶に残っているのは、みんな冗談で女装していたのに、ぼくだけ本気になりかけていたからかもしれません。女装の本来の意味である「気持ちまで女性になる」ことが、自分のなかで起こりかけていたのではないかと思うのです。と言っても、そこで女装に目覚めたわけではなく、女装したい気持ちも起こらずに10年ほど経ちました。

「女子高生昭子」


90年代の中頃、荒木経惟さんの写真展の会場で、以前から顔見知りだった写真家の神藏美子さんから、突然「女装しませんか?」と言われました。

あまりにも突然で、何で女装なのか、何でぼくなのかわからないまま、だいぶ前にエリザベス会館で1回だけ女装したことを話したら、彼女はそのエリザベス会館で発行している女装専門誌『QUEEN』の表紙を撮っていると言うのです。その雑誌に女装メイクのコーナーがあって、そのモデルになって欲しいと言われました。何でぼくに頼んだのかあとで聞いたら、「末井さんならやってくれると思ったから」ということでした。

撮影のある日、家の風呂場ですね毛を剃っていると、奥さんが「何してるの?」と聞くので、「仕事で女装するから剃ってんだよ」と言うと、「気持ち悪〜い」と言われました。その言葉がグサッと心に刺さったのは、自分にもそういう気持ちがまだあったからです。

撮影は亀戸に移ったエリザベス会館のスタジオで行われました。その時ぼくはセーラー服を着て女子高生になりました。女装する人はみんな女装名で呼ばれるようで、『QUEEN』の女性編集長が「名前はどうします?」と聞くので、咄嗟に「昭子」と言うと、途端に「昭子ちゃん、可愛いわよ〜」と言ってくれるのです。撮影中も「昭子ちゃん、可愛い〜」と何回も言われて、もっと可愛くなろうといろんなポーズを取ったりして、だんだん気持ちが「女子高生昭子」になって行きました。

冷静に考えれば、40も半ばのオヤジが女子高生になってポーズを取っているのですから、客観的に見れば「気持ち悪〜い」ことかもしれませんが、みんなから「可愛い〜」と言われると、ついついその気になってしまいます。乗せ方が上手いのです。女装は乗らないと恥ずかしくなるので(それはのちに何回も経験します)、そうならないために、スタッフの皆さんは必死なのかもしれません。そして、気持ちが女性になってしまうと恥ずかしさが消えて、心が解放されて行くのです。

いつの間にか、神藏美子さんもぼくと同じセーラー服を着て、一緒に並んだ写真も撮りました。そんなことをしているうちに、神藏美子さんと仲良くなって行くのでした。


神藏美子監督の『続たまゆら』の一場面(右から原一男、末井昭、近田拓郎)

美子ちゃんと暮らすために家を出て


ぼくも美子ちゃんも結婚していたので、美子ちゃんと付き合うことはダブル不倫ということです。そのまま付き合うことも出来たかもしれませんが、美子ちゃんと一緒に暮らしたい一念で、ぼくは家を出る決心をしました。そのことも、それまでの自分からすると、かなり大それた思ってもみなかったことです。

離婚というのは結構大変なことです。家や貯金を妻に渡して、借金だけ背負って(少しだけお金を貰って)家を出たので、妻も何となく納得してくれて(ぼくは死んだことになっているようですが)、美子ちゃんと一緒に暮らすようになりました(詳しくは著書『結婚』を参照)。

美子ちゃんは女装写真を発展させ、女装したことがない文化人に女装してもらうというシリーズを『週刊宝石』で始めました(のちに『たまゆら』という写真集になりました)。このシリーズのヘアーメイクを担当したのは、女装メイクでは定評のある森田豊子さんで、その頃森田さんがいた大阪の女装サロン・パレットハウスに美子ちゃんに連れて行ってもらい、女装してみんなでカラオケに行ったこともあります。

女装した何人かと町を歩いていると、身長が一番高いぼくを見て、「デカいオカマやなぁ」と言っている声が聞こえてきたりします。普通はオヤジが町を歩いていても見向きもされませんから、何を言われても楽しくなります。

お台場の淋しい砂浜でスクール水着で撮影


ぼくが女装をしているということで、テレビCMの依頼が来ました。というのは嘘で、自社の『パチンコ必勝ガイド』のテレビスポットを流すことになって、広告代理店の人に「女装しますか?」と言われて、「やります。やります」とぼくが言ったのです(社長は反対でしたが)。

女装といってもコスプレで、女学生、コギャル、主婦、セーラームーン、チェアガール、バニーガールなどになって、「玉キュ〜ン」と叫んでいました。ぼくがよく行く喫茶店のマスターがそれを見ていて、「末井さんは偉いねー、あんなことまでやらされて」と言われたのですが、結構楽しんでやっていたのです。

CMの撮影はそんなに時間がないので、用意されたコスチュームを着て、メイクをしてもらってカツラを被ったらすぐに撮影です。その時、気持ちが女性にならないことが時々あって、そんな時はものすごく恥ずかしくてセリフをトチったりしました。

一番恥ずかしかったのが、お台場の淋しい砂浜でスクール水着で撮影した時です。「次はスクール水着で」と言われて、洋服で誤魔化せないのでちょっと心配でした。でも、挑戦するつもりで「よし、やってやるぞ」と意気込んではいたのですが、いざやって見ると恥ずかしいと言うより何だか惨めな気持ちになって落ち込みました。

末井さんのみじめなスクール水着の写真はこちら

女装者のなかには、難易度の高いチェアガールしかしない人とかいますが、女装はなるべく普通の女性の格好をしたほうがその気になれます。


原一男監督と和服で女装(自宅にて)

朝8時からメイクが始まって


最近女装したのは2018年3月8日でした。その頃、原一男監督のドキュメンタリー映画『ニッポン国VS泉南石綿村』と、ぼくの本が原作の『素敵なダイナマイトスキャンダル』(監督・冨永昌敬)がほぼ同時公開だったので、映画の宣伝を兼ねてYouTubeでやっている「原一男のネットde CINEMA塾」という番組に出させてもらいました。

この時、原さんのほうから、なぜか「女装でやりたい」という意思表示がありました。それを聞いた美子ちゃんは、女装した原さんとぼくとで、短編映画を作ると言い出し、大阪から森田豊子さんに来てもらったり、原さんにわざわざ自宅まで来てもらったりして、朝8時からメイクが始まりました。

映画は自宅で撮影してから、『週刊プレイボーイ』がやっていた歌舞伎町のプレイボーイ酒場で、いろんな方々に加わってもらって撮影し、その後「CINEMA塾」を収録するスタジオに行き、終わったのが夜の12時過ぎでした。その間ずっと女装していたのでヘトヘトになりました。一番疲れた女装でした。

最近の思ってもみなかったことは、新型コロナウイルスの蔓延です。今後どうなるのか、さらに思ってみなかったことになるのかわかりませんが、個人的には思ってもみなかったことはもう起こらないと思っています。

あるとすれば、考えられるのは美子ちゃんと仲が悪くなって、ぼくが家を出てホームレスになるということですが(それも面白いかもしれませんが)、高齢者になってホームレスになるのはちょっとキツいと思うので、夫婦仲良くしないといけないと思いながら暮らしています。

※次回配信は5月13日(木)の予定です

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