「KABA.ちゃん、性別適合手術で女性になれてよかったね」という報道に社会的意義はあるのか

4月29日(金)0時0分 messy

株式会社プラチナムプロダクション公式HPより

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タレントのKABA.ちゃんがタイのバンコクで、性別適合手術(性器の形状を変えるなどのいわゆる性転換手術、以下SRS:Sex Reassignment Surgeryと略して記す)を受けたとの報があった。彼女は以前から整形手術などを行い、生来の男性の身体の女性化を進め、また戸籍変更も目指していた。4月10日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、SRS前後のKABA.ちゃんに密着した15分ほどの取材動画が流れていたので、今回取り上げたい。

筆者も彼女と同じく、男性として生まれて女性化したMtF(Male to Female:男性から女性化する)トランスジェンダーだ。2012年にバンコクでSRSを受け、その後は毎年、同様にバンコクへ渡航するMtFに同行し、取材を重ねている。動画を見てみると、ネットでも散見される「女性になれて良かったね」という楽観的なムードに酔っていては見えない、MtFにありがちな困難な現実が漂っているように思われた。

誰がスカートを履くことの違和感を生んでいるのか

KABA.ちゃんはSRS前の取材で「もう次からスカート履けるし」「今住んでるマンションから(スカート姿で)出るときもすっごい気になりますもん」と発言していた。手術をし、戸籍の性別を変えることで(戸籍と身体が男性である)自分がスカートを履くことの違和感を解消できるのではないか、と示唆する発言を続けて吐露している。しかしこの違和感は、彼女自身に問題があるのではなく、彼女を「女装」と揶揄したり「オカマ」と嘲笑する周囲からの視線によって生み出されているのではないだろうか。

KABA.ちゃんは、規範的な性別の在り方を越境するゲイ、ニューハーフ(本稿では、水商売、風俗に従事するMtFトランスジェンダーを指す)、女装家といった人々を乱暴にひとくくりにする「オカマ」「オネエ」という芸能人カテゴリーを売りにしてきた時期が長い。女性化する過程で見知らぬ人から「KABA.ちゃんが女装してた」と笑いの的にされる経験を苦く噛み締めてきたのではないだろうか。

MtFは、男性的なしっかりとした骨格を持つ場合が多く、その生来の顔かたちのまま化粧や女性装をすると、傍目にはトランスジェンダーだとわかってしまう。MtFの当事者から、日常生活ですれ違った他人から「なんだ男か」と吐き捨てられたり、背の高さや声の低さを指摘されることに怯える声を何度も聞いたことがある。こういった周囲からの認識がネガティブに働くと、コミュニケーションに不全が生じ、KABA.ちゃんのように自身がスカートを履くことに違和感を覚えるようになるのではないだろうか。

「パスする」ためにはじまり、繰り返される整形

『ノンストップ!』では、4月10日以前からKABA.ちゃんのトランジション(性別移行)を取り上げている。SRSの日程決定を報告した2016年2月15日の放送で彼女は、あごと頬骨を削った結果、たるんだ皮膚をリフトアップしたという話をしていた。

性別を移行していると周囲にバレないことを、俗に「パスする」と言われている。MtFの場合、パスするために整形手術を受けるケースも多い。女性にはかわいい、きれいであるべきという規範があり、男性より丸みがあると言われている。だから自身の顔から男性性を除去しようと、骨格を変えたり、額にシリコンを入れて丸みを加えたりしようとするMtFもいる。

KABA.ちゃんも「女性らしいラインにしようと思って」「すっぴんになった時にも女性らしい顔つきになっておきたい」と言っていた。そんな彼女に対し共演者は「変わってないよ」と笑い者にする。これは一般的なMtFにも見られるやりとりだ。生来の女性と比較され、「やっぱりそういうところが男だよなー」とイジられることも、ままある。

KABA.ちゃんを見ていると、コントロールできない他人からの視線の代わりに自分の身体を変えようとしているように思われる。外見が女性にしか見えない状態になれば、不当に貶められることはなくなり、認められるのではないかと期待して、整形を繰り返すMtFは珍しくない。KABA.ちゃんは声帯の手術も受けるようだが、MtFにとって高い声への変化は「かつて男性だった」とバレないようにするためである他に、女性性で固めていけばいちいちイジられずに済むという意味合いも大きいのではないだろうか。

「性同一性障害」と「トランスジェンダー」

ここで、トランスジェンダーと、SRSやそのプロセスにまつわる基本的な情報をおさらいしておきたい。

生まれたときに与えられる性別に違和感を抱き、性別を移行する人を一般的に「性同一性障害」という。これはアメリカ精神医学会による“Gender Identity Disorder”(GID)を翻訳した医学用語だ。日本では、母体保護法によって、理由なく生殖能力を失わせてはいけないという縛りがあるため、性別違和を病理化することでホルモン投与やSRSなどの医療行為を供給する正当性を持たせた。精神科医によってカウンセリング受け、「性同一性障害」と診断されることで、合法的に医療行為を受けられる免罪符を得る、と考えたほうがいいかもしれない。

しかし、「性同一性障害」と呼ばれることで病気扱いされるのを嫌がる人々がいる。それは「障害」という言葉に対する「異常で治されるべきもの」というネガティブなイメージがつきまとうからだろう。性別に対する違和感を障害、つまり病気とくくってしまうと、ホルモン投与やSRSを受けることこそが「正しい治療」とされ、「医療行為によってトランジションするべきだ」という規範を作ってしまいかねない。当事者の中には医療技術を用いなくてもいい、服装を変えたりすることで社会的にジェンダーを移行できればいい、という人も少なからずいる。

「性同一性障害」という病理のラベリングに抵抗する人々が好んで使うのが「トランスジェンダー」という言葉だ。これは医療による変化に限らず性別(ジェンダー)を移行する(トランス)、変える人を広く指す言葉であり、かつ当事者自身が名乗りはじめた呼称という歴史的背景がある。読者の皆さんも、自分のことを「この人は◯◯で……」と勝手にカテゴライズされ、紹介されて嫌な気持ちになったことはないだろうか? 本稿はじめ、わたしが普段から「トランスジェンダー」という言葉を使うのは、他人からレッテルを貼られて類型化された言葉ではなく、多様性も含もうとする当事者からの意志が込められた、積極的な呼称だと考えるからだ。

わたしが性別違和を意識したのは1997年で、翌年国内ではじめて合法的なSRSが行われた。田舎に住み、自分が何者かわからず精神的に追い詰められていたとき、「性同一性障害」という言葉に出会って救われたのも事実だ。性同一性障害にしろ、トランスジェンダーにしろ、当事者自身がどの呼称を名乗るかは、尊重されるべきだ。

トランジションは自己責任なのか

KABA.ちゃんの話に戻ろう。密着取材でKABA.ちゃんは、SRSや戸籍の性別変更について「やってみないとわからない」と言っていた。これにはわたしも同意する。体毛を除去したことではじめてショートパンツなど足を出す服装を避けていた自分を知ったし、何かの拍子に下半身が露わになって下着越しの男性器を見られることを恐れ、性器の形を変えるまでスカートを履けなかった。女性としてパスできるようになると、多くの人にとって見た目と低い声とのギャップが違和感をもたらすのだと気付き、無用な訝りを避けるために多少トーンを高くするようにもなった。

蔑視や嘲笑など他人からのネガティブな視線を変えるには啓蒙が必要だが、現実は一足飛びにはどうにもならない。だから、トランスジェンダーの当事者ひとりひとりにとって「ちょうどいい」ところまで、トランジションの過程をひとつずつ踏んでいくことも、現実的に必要になる。その効果は相手次第というところも大きく、だからそういう意味でも「やってみないとわからない」。

しかし、トランスジェンダーにとっての性別移行は、自己実現だと思われがちだ。だからサポートが必要な対象と見られにくく、自己責任に帰結されやすい。当事者自身も、そういった社会の空気感を内面化しているところがある。KABA.ちゃんも、手術について「自分で決めたことだし」と言い、姉との関係に話が及んだ際も「こんなあたしが自由に生きていることもちゃんと受け入れてくれてるし」と、ひたすらトランジションをすべて自身の咎のように引き受けて見える。

再三わたし自身の話で恐縮だが、手術に対して「良かったね」という言葉をかけられたこともあるけれど、その無邪気な祝福の声に微妙な気持ちを抱いていた。なぜなら、身体に深い侵襲をもたらす手術であるし、そのために百数十万ものお金を賭さなければならなかったし、比較しようがないけれど、やらなくて済む人生ならそのほうが良かったかもしれないと思うところもあるからだ。そうまでして変わった身体は生まれながらの女性とはやはり異なる、にもかかわらず、そうせざるを得なかったのだ。

MtFが整形を受ける場合、顔そのものには機能的な不備はないけれど、「男性と見なされる」顔立ちによって偏見にさらされ、社会活動に制限がもたらされるという意味で、障害が生まれる。それを取り除くための医療行為として整形の正当性が担保されると考えられる。けれどここに、美醜の価値基準のもとの自己実現という側面が絡みやすい。水商売などを生業とする「ニューハーフ」という在り方について、テレビ番組などメディアで、整形費用についてやノー整形であることがおもしろおかしく取り上げられる。無論、彼女たちの生き方を否定するつもりはないが、その余波で、トランジションが自己実現と見なされやすいとも言える。美容のためか、健康な生活のためか、整形する場合どこまで必要か、当事者個人だけでは線引きがむずかしい。そのとき、その整形手術に医療的正当性があるのかどうかを一緒に考える存在が必要だとわたしは思う。

精神面、身体面それぞれを横断して、トランスジェンダーに対するケアが充実されなければならない。トランジションするうえで、どういった医療技術があり、どういう変化がもたらされるかという情報を供給し、どういった形に寄せていけば良いのか考えるうえでのロールモデル探しに協力する。そのために、医師たちが症例を蓄積し、適宜、参考として当事者に教え伝え、共に考えるべきではないだろうか。

めでたしめでたし……?

KABA.ちゃんがバンコクで手術をしたように、多くのトランスジェンダーがタイに向かう。それは、圧倒的に手術量が多く、つまり概して技術面でクオリティが高いからだ。その一方で、トランスジェンダーのコミュニティ内で、「あそこの病院がいいらしい」といった内輪での情報をもとに、タイへの渡航が続いているという可能性も高い。実際、SRSは繰り返し行うものではなく、美容院のように比較検討ができないから、周囲の経験者の声を参考にするだろう心理は容易に予想がつく。その口コミに頼って手術した結果、不満に終わる話もよく聞く。他言語で手術説明を受けることのリスクがないとは言えない。

しかし、日本ではジェンダークリニックも執刀医も不足しているという声を聞く。また、トランジションの過程で知識や知恵が不足し、協力者が少ないだろう若いトランスジェンダーが置かれている状況では特に、学校における制服、生来の戸籍上の名前を基にした名簿、そこから派生して「くん/さん」と敬称が使い分けられる点呼、など、社会において考えるべき課題は多岐に渡る。

こういった日本の現状を伝えることなく、ひとりの人間が自己実現のようにSRSへと向かった、めでたしめでたし……に終始して見えた『ノンストップ!』でのKABA.ちゃんの密着取材に、果たしてどれだけの社会的意義があるのか? と首を傾げ、彼女の行く末を祝福したいと思いながら、仄暗くも見えてしまうのだった。

最後に。KABA.ちゃん本当にお疲れさまでした。お大事になさってください。
(鈴木みのり)

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