紅白7度出場元アイドル 相撲部屋おかみで最もつらかった出来事「今でこそなくなりましたけど...」

2025年4月30日(水)21時4分 スポーツニッポン

 元歌手で相撲部屋のおかみを32年間、務めた高田みづえさん(64)が、30日放送のテレビ朝日系「鶴瓶孝太郎 転職したら人生○○だった件」(後7・00)に出演し、相撲部屋のおかみ時代の思い出を語った。

 第一線で活躍していたスターたちがその後、歩んだ第2の人生に迫る特番で、ゴールデン初進出となった。

 高田さんは77年に「硝子坂」でレコードデビューし、同曲でNHK紅白歌合戦に初出場。80年の「私はピアノ」など多数のヒット曲に恵まれ、8年の歌手生活で7度紅白出場を果たした。人気絶頂の中、85年に大相撲の大関・若嶋津との婚約を発表。同年で芸能活動を引退した。若嶋津は87年に引退して松ヶ根親方を襲名。高田さんもおかみとして奮闘する日々を送った。

 高田さんは、かつて相撲部屋だった自宅を公開。玄関には、若嶋津の現役時代のトロフィーなどが飾られていた。2階に上がると、茶色い板敷きの広々としたリビングが。実は元々、稽古場だったという。高田さんは「もともとは土俵だったんです。あの子たちが使っていた。土俵のところに板を敷いた」と説明。「あの子たちがいなくなって、このままでは私の切り替えが付かないなと思って」と、あえて土俵をなくした理由を語った。それでも、部屋の隅の2本のテッポウ柱はそのままで、稽古場の名残はあった。

 22年、夫の定年と同時に、高田さんもおかみを退いた。「相撲協会は65歳が定年なので、65歳になったらお相撲さんは、部屋はなくなるというか、持てないので」。そして訪れたのが、弟子たちとの別れ。劇団ひとりからは「三十何年間ずっと、お弟子さんがいて、にぎやかだったわけじゃないですか。急にいなくなって」と問われた。高田さんは「寂しいです。本当に寂しかったです。寂しかったです」と何度も繰り返した。

 ひとりからは、「先ほどから、“子供たち”っておっしゃるんですよね」とも聞かれた。高田さんは「子供たち…ですね。あの子たちからはそう思ってないかもしれないですけど」と笑いながら、弟子たちへの愛情を口にした。

 苦労も多かった。最もつらかったことを聞かれると、「今でこそなくなりましたけど、32年間の中には、朝起きたらいなくなっていたことも…。連鎖反応でドロロロロっていっちゃうこともありますし」と答えた。飛び込んだ世界のあまりの厳しさに、夜逃げしてしまった弟子もいたという。「私たちの育て方で何かが足りなかったかな?って。まず無事に見つけることが先決ですので」。悩みながらも、まずは逃げ出した弟子を探しに回ったという。

 32年間を振り返り、「いろんなことがありましたし、きれい事で語れないこともありました」と明かしつつも、「私の中でおかみさんは最高の32年間でした」とも語った。

スポーツニッポン

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