甲子園優勝投手「野球をやっていなかったら...」 プロ戦力外から転身、驚がくの年商にスタジオ沈黙
2025年4月30日(水)22時49分 スポーツニッポン
テレビ朝日系「鶴瓶孝太郎 転職したら人生○○だった件」(後7・00)が30日、放送され、かつての甲子園優勝投手がある業界に起こした革命が紹介された。
第一線で活躍していたスターたちがその後、歩んだ第2の人生に迫る特番で、ゴールデン初進出となった。
群雄割拠のプロ野球界も、毎年約100人が戦力外や引退で、球界を去る。番組には、97年に日本ハムを戦力外になった南竜次さんがVTRで登場した。
南さんは90年、夏の全国高等学校野球選手権で、天理(奈良)を全国制覇に導いたエース。193センチの長身から繰り出される最速149キロの直球を武器に活躍し、90年のドラフト4位で日本ハムに指名され入団した。肘のケガを理由に、97年に戦力外通告を受けたが、その後に飛び込んだ世界で大成功を収めた。
引退から27年。52歳になった南さんの姿は、愛知県にあった。大手家電量販店から、エアコンや家電製品の設置工事を請け負う「AIREC」の社長という。年収は「今期で18億円くらいはいくと思います」と明かし、スタジオは沈黙に包まれた。
戦力外通告後、まさに裸一貫からの再スタートだったという。「いきなりクビになって何をしようか。野球しかやってこなかったので、何の知識もないので、とりあえずお金を稼げる仕事というのをアルバイト雑誌を見て探して、一番良さそうだったところに面接に行ってバイトから始めた」。灯油の巡回販売のアルバイトからスタート。しかも「社長さんが僕のことを知ってくださっていて、社員でどうだ?って言われて。そこの社員に入って始めました」。幸運にも助けられたという。
会社では夏はエアコンの設置を請け負っていた。取り付けのノウハウも学んだ南さんは、34歳で独立。そこで始めた画期的なシステムが、会社を急成長させたという。大手家電量販店から依頼された仕事を、契約している職人に委託しており、その報酬配分が「職人さんに90%払います。AIRECサービスは10%だけいただく」(南さん)というもの。さらに、職人が助手を雇って仕事を教え、独立したら、弟子の売り上げの5%を師匠に支払うという制度も導入。職人たちからの評判はすこぶる好評で、会社は175人もの従業員を抱える大所帯になった。
プロでの挫折を乗り越え、第2の人生で大きな“勝利”をつかんだ南さん。「以前の会社で“社員にならないか”と言ってもらったのが、野球をやっていたので僕のことを知っていてくれたので、この人生というか今の会社が始まっている。野球をやっていなかったら今の自分はいない。やっていて良かったなと思います」と謙虚に話した。
元ヤクルト監督の古田敦也氏は「彼の凄いところは、野球選手も結構いるんですけど、ちょっと変にプライドが高いやつっているんですよ。“俺は有名だし”って。アルバイト雑誌を見て、自分から探して乗り込んでいった。その姿勢だと思いますよね」と、そのハングリー精神を絶賛していた。