スイス「自殺幇助団体」に登録した日本人女性の告白

5月1日(月)7時0分 NEWSポストセブン

ブライシック女医と筆者(手前)

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 ジャーナリストの宮下洋一氏はこの一年、世界中の「安楽死」の現場を訪ね、死を望む患者や死を施す医師の声を拾ってきた。「死の選択」への理解を深めていく一方で、安楽死容認論への疑問が頭をもたげることがあった。それは筆者が、安楽死をタブーとする日本で生まれ、育ってきたことと関係している。


 では、この国でなぜ安楽死への議論が進まないのか。なぜ筆者の「日本人的なる部分」は安楽死に忌避感を示すのか。その疑問を解くため、宮下氏は日本での取材を開始した。


 * * *

 一年間に亘る海外での現場取材を終え、私はついに母国・日本の安楽死の世界に足を踏み入れることにした。常々、考えてきたことだが、海外生活23年になる私ができることは、世界の現場を巡り歩くことで得た視点から、日本固有の問題を照らすことである。


 この1年、多くの欧米人の「死」を肌で感じてきた。加齢による不具合を避けようと死期を早めた英国人老婦の「最期」に立ち合い、余命わずかながら末期癌の痛みから逃れようと安楽死を選択したスウェーデン女性の「旅立ち」を見送った。


 私は凡人であって、死の現場に毎日、居合わせるような医師ではない。だからこそ、初めて安楽死の瞬間を目にした時の動揺と、ある種の手助けができなかった後悔は、今でも胸の奥に残っている。だが、2回目以降になると、不思議と和らいでいく自らの感情に、私は恐怖さえ覚えたことがあったことを「自供」しよう。あの思いは、一体、何だったのだろう。何度も何度も考え込んだ末、思い当たる節があった。


 欧米人は、個を大切にし、個の人生を謳歌している。日常の生活のありとあらゆる場面で、彼・彼女たちは、自己責任を持って「生」を全うする。「死」もそのひとつであることに疑いの余地はない。ならば、私もその個が選択した生き方に敬意を払うべきではないか。


 ただ、欧米生活に長年、身を置きながらも「日本人の私」が、心の奥底に潜んでいる。安楽死の正当性をロジカルに捉え、腑に落ちることがあった時でさえ、私のDNAは、どこかしら、拒否反応を示しているようでもあった。


 何度も取材したスイスの自殺幇助団体「ライフサークル」のエリカ・プライシック女医が「時には、罪悪感を持つこともある」と口にした際、私は強い違和感を覚えた。後悔の念を抱くくらいなら、私は人を“安楽の世界”へと導くことはしたくない、と。歴史、文化、宗教のすべてが異なる極東の国で、日本人の死生観が、欧米のそれと類似性を持つはずはない。


 現に、日本人が安楽死を求めてスイスに渡った事例はかつてない。プライシック女医からも聞いたことはなかったし、彼女が6年間、勤務した世界最大の自殺幇助団体「ディグニタス」にもその形跡はない。日本社会は安楽死を許容できない。日本取材も、その認識を補完するものになると思っていた。


 ところが、だ。ある日、プライシック女医から、一通のメールが届いた。とある案件について、特定の会員に向けたレターを、参考までにと、私にも宛てたものである。その中には、こう書かれていた。


 My Japanese membersに送ったレターをあなたにも添付するわ。


 一体、どういうことだ? My Japanese members、つまり日本人会員? それも複数? 彼女の口から初めて聞く、誤訳など不可能な英語の文字に、私の目が吸い込まれた。


◆そして彼女は現れた


 女医は、日本絡みのある案件で、日本人会員の意見を問おうとしていた。ついでに日本人ジャーナリストの私にもメールしてみたわけだ。震える指で、私が長文メールを送り返すと、この事実が嘘ではないことを知らされる。翌日、彼女から、またメールが入る。


 彼らはメンバーですが、まだ(自殺幇助の)日程は決まっていません。


 日本にも、プライシック女医の幇助を望む患者たちがいる! 日本取材の合間に、突如、予想外の事態が発生した。日本人がなぜ、スイスに向かおうとしているのか。なぜ、安楽死でなければダメなのか。私が想像していた日本人の死生観が、この時、覆されつつあった。直ちに、取材に取りかからなくてはならない。私は、女医に、日本人会員を紹介してほしい旨を伝えた。


 先走る興奮と焦りを一旦、落ち着かせ、私は、当初からの段取りに従い、日本取材を進めることにした。まずは、ある安楽死騒動の舞台となった京都に向かっていた。京都の田舎町から京都駅に向かう途中のことだった。突然、私の携帯に「非通知」の文字が光った。

「もしもし」。電話越しに呟く覇気のない話し声が患者だと気づくには、5秒もかからなかった。


「エリカ(・プライシック)先生から、宮下さんのことを聞きまして。宮下さんの記事も読んでいたので……」


 その時、私は、彼女が何を求めているのか分からなかった。会って話をしたい訳でもなく、どこで何をしているという話でもない。私から一方的に話しかけ、とりあえず、携帯メールで連絡を取り合うことにした。それから1週間後、ようやく東日本のある都市で落ち合う約束を取りつけた。


 レストランで、私が先に入店していると、5分後、黒髪を後ろで束ね、マスクを付けた小柄な女性がやって来た。私のことは、すぐに判別できたようだった。「茶色のマフラーを目印に」と、告げてあったからだ。


 30代後半の川原美重子(仮名)は、席に座ると、私と目線を合わせては、すぐに膝元を眺め、テーブルに置いた細い10本の指を第二関節まで重ね合わせた。こちらから質問してくるのを待っているようだった。彼女の後方の3つのテーブルには、それぞれ2人組の女性客がお茶を楽しんでいた。


 ライフサークルに登録したきっかけは何だったのでしょうか? 前置きのない、やや唐突な質問であることは、承知していた。だが、川原には、前置きなど必要なさそうだと、何となく思ったのだ。彼女は、私が思ったよりも大きな声で話し始めた。


「子供の頃から、毎日、死にたいと思ってきたんです。でも、自殺をすると他人に迷惑がかかるので、それだけは避けたくて」


 川原が、ライフサークルに登録したのは2016年9月。オランダやベルギーでは、外国人が安楽死できないことを知り、スイスに辿り着いたのだという。赤く染まったハーブティーをマグカップに注ぎ、川原は、そっと啜る。現在は、「福祉関係の仕事」に就き、午前9時から6時間休憩なしで働き続ける。経済的に何とかやりくりしているが、家庭事情が彼女の悩みだった。


「シングルマザーで、息子は10歳、娘は8歳です。息子が発達障害で、自閉症と診断されています。バイト先で知り合った旦那とは、数年前に別れました。DVがひどかったんです」


 離婚のきっかけは元夫が、「(当時)4、5歳ぐらいだった息子」の首を絞めたことだった。そして、その息子は、次第に登校拒否を示し、母親に対しても暴力をふるうようになった。 


 川原は、発達障害に関する書籍を数多く出版する著名な児童精神科医Aに相談するようになった。しかし、このことが彼女にとって、さらに死に対する願望を強めていくことになる。こともあろうに息子の治療中に、母親である川原本人が解離性障害という精神疾患だと診断されたのだ。


 ある特定の場所や時期の記憶が失われていることで、まとまった自分自身の思考、記憶、感情といった感覚が分断された症状を指す。多くは、幼少期に起きたストレスやトラウマが影響する。


◆「私といるとみんな不幸になる」


 看護師のいない密室で、川原は息子の主治医であるAに言われる。


「今のままでは、あなたの子供はダメになる」


 医師は、さらに追い討ちをかけるように「あなたは、恋愛は絶対にしないほうがいい」とまで言ったと、川原は涙目で語った。彼女は、納得がいかず、医師に聞き直してみる。


「私の理解が追いつかないので、もっと詳しく教えてくれますか」

「それだからダメなんだよ、あなたは。あなたには理解できないと思う」


 テーブルに置かれていたナプキンを一枚抜き取り、川原は目元を拭った。


「そんなことを言われたら、辿り着く島も見つからなくなってしまって」


 彼女の囁きからは、わずかな「光」さえ感じ取れなかった。


「私といるとみんな不幸になるんです。子供も私のせい。不適切な養育しかできないなら、施設に預けたほうがいいのかなとか、私が身を引いたほうがいいのかなと思って……」


 時折、川原の声は、徐々に小さくなっていき、聞き難くなることもあった。Aの異動で、新しく迎えたB医師も、川原に対して厳しい態度をとった。


「子供がこうなるのは、あなたのせいよ」


 息子の治療のために通院していたはずが、川原にとっては本末転倒である。私は彼女の言葉を信じたいと思うが、診断された解離性障害というものが、具体的にどういった病で、彼女にどういった症状が現れているのか、目の前の様子を見るだけでは判断に苦しむ。──川原は、私に嘘をついてはいないのだろうか。彼女の中では、すべてが真実なのだろうか……。なぜ、川原は、「毎日、死にたい」と思うようになったのか。彼女はこれまで通院した経験もない。


 気持ちがふさぐことはあっても20代前半に相談した医師からは鬱病と診断されるに留まり、自身の症状の深刻さには気を留めていなかった。自殺未遂経験もなかった。だが、息子の入院をきっかけに、幼少期の両親の記憶が蘇る。


「母は、朝ご飯を作ってくれなかった。たまに作ってくれたゆで卵を食べない私を見て、生卵を投げ付け、私の頭は黄身だらけになることもありました。父は酒乱で、私が布団の中で寝ていると、ひたすら蹴って叩き起こしました。だから、今でも寝るのが怖いんです」


 医師たちの対応についての真偽を問うことができないが、この言葉を疑うことはできなかった。こうした幼少期のトラウマが、ストレス障害をもたらし、現在の川原を形成しているようだ。


◆いつでも死ねるという希望


 彼女にとって「安楽死」はどのような意味を持つのか。彼女の言葉を聞いていると、命を絶ちたい、というよりも現在の生活から「逃げたい」気持ちが大きいようにも映る。これを浅はかな選択と非難することはたやすい。


 ただ、これまで世界中で取材してきた私は、別の感慨を抱く。それは、ようやく「日本人の私でも安楽死ができる」という展望を得たことによる安堵感。それが、彼女に生きる力を与えているのではないか、という思いである。


 思い出したのは、自閉症とPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患う、今年1月に取材したベルギー人女性、エイミー・ドゥ・スヒュッテルのことだった。精神病棟内で医師からレイプ被害にあったという彼女は、死を周囲から否定されることが逆に死への渇望に繋がった、と告白した。


 彼女の自殺未遂は13回を数える。だが、2011年頃にベルギーで精神病患者の安楽死条件が緩和され、さらに彼女にも適用可能と診断されたことが精神状態を好転させた。彼女は言った。


「やっと死ねるのだという気持ちで安心している。でも、もう少し生きて良いかな、と最近思っているわ」


 彼女に限らず、私はこうした言葉を何度も聞いてきた。特に、精神疾患患者にとっては、安楽死できると知ることが、生き続ける糧になる。川原にもその傾向がみてとれた。


 現実問題として日本人の川原がスイスで死に至るまでには、まだまだハードルは高いように思う。ライフサークルに登録するだけなら、自らの病状を説明する英文のアンケートを済ませた上で、年会費を払えばいい。


 だが、自殺幇助に至るまでには、まずは「意思が明確な患者」であることが前提となる。精神疾患患者も登録できるが、後にスイス国内の倫理委員会を通過することが困難になる。原則として対象者は末期患者か、病状の回復が見込まれず「肉体・精神の苦痛」を訴える患者に限られる。


 また、外国人は本国の診断書を現地語(ドイツ、フランス、イタリア語のいずれか)か英語に翻訳する作業も必要となる。万が一、病名や、わずかでも病状の誤訳があれば、ただちに却下される。現地で行われる外国語の診察に対しても、正確に答えられなくてはならない。


 スイスでは理論上、精神疾患患者も対象枠となる。プライシック女医は、「重度の精神病患者は、末期患者と同じで生物学的に生き続けることが難しい」と語る。重度の鬱病患者は脳内物質の分泌に障害があり、それは肉体的な問題だというわけだ。だが、現実的に診断書を作成する精神科医が見つからない。隣国のベルギーとは異なり、倫理的に同意できない医師が多い。


 これらは、私が現地で得た情報と知識でしかないため、川原に事実として伝えることは可能だった。前述のエイミーとは違って、目の前の日本人女性は、解離性障害の治療を行っていないため詳述された診断書さえ持ち合わせていない。あまりにも軽はずみな思いで登録したに過ぎないことを知り、私は、「今後、どうしたいのか」と、訊いてみる。不思議にも自信を持った表情とともに、先ほどよりも大きな声で、答えた。


「今は考えていないのですけれど、本当に悪くなれば、その時は診断書も出ているんだと思います。毎日、死にたいと思っているけれど、今すぐに計画を立てなくても良いのかと。とにかく、登録できたことが(死を妨げる)抑止力になっているんです」


 この言葉に肯きつつも、彼女には他の「抑止力」がないのか、とも思う。母親とは価値観が違い過ぎ、5歳年下の弟は「堅気じゃなくて、相談しづらい」という。日常生活にも、嫌なことが多い。彼女は、力なく声を発する。


「より良く生きたい気持ちはないし、人に迷惑をかけたくないので……」


 私は、また膝元に目をやる川原に真剣に問いかける。もう一度、恋愛してみる気はないのですか? こう尋ねたのは、彼女が結婚後に抱いた「もう少し生きてもいいと思った」という、わずかながらの希望があったからだ。その心の動きが継続できる要素を、彼女は見つけていくべきなのだ。しかし、反応は、ネガティブだった。


「そんな高望みをしちゃいけない」


 川原の充血した目から、一滴、涙がこぼれた。スイスに行くのはまだ早い。彼女は、現時点で安楽死を表明すべき人間ではないと、私は感じた。だが、この言葉を放つことは、逆効果を生む。そのことも知っている。何も告げず、この場に来てくれたことに、ただ、感謝の意を示した。


 席を立って、ゆっくりと頭を下げると、川原は「ありがとうございました」といってレストランを出ていった。伝票が入った透明の筒の横には、500円玉が置かれていた。2人が頼んだハーブティーとコーヒーだけでは、その金額には届かなかった。置かれた硬貨が、とても重く感じた。私は、あえて別の500円玉を財布から取り出し、支払いを終えた。


 この頃、私の携帯には、スイスを目指す他の日本人患者からも、連絡が届き始めていた。尊厳死の議論さえままならない我が国で、それを超越する安楽死を叶えようと、出国を密かに計画する日本人がいるのだった。


 なぜ、彼らは、国外に身を託さねばならないのか。なぜ、母国で、自らの最期を迎えようとしないのか。それは、日本は、「個人の死」に対する議論が浅く、それをタブー視する社会だからだ。


 その国民性について、否定するつもりはない。だが、この閉鎖性を生み出した背景は、どこかにあるはずだ。一本の注射で、患者の息の根を止める行為安楽死。これを日本では、殺人と呼ぶ。日本には、患者や家族のためにその行為に及んだことで、運命を暗転させた医師たちがいる。東海大学医学部付属病院、川崎協同病院、京都市立京北病院で起きた「事件」は、安楽死容認への世論を形成するどころか、それを封じ込める役割を担った。


 そこで私は、事件の真相を探るべく、各都市に向かった。安楽死を誇らしげに話す欧米の医師たちの笑顔が、まだ鮮明な記憶として残る中で、日本人医師たちは、どんな表情で私に接するのか。私は、日本の安楽死事件簿を、今まさに開封しようとしていた。


【PROFILE】宮下洋一●1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。


※SAPIO2017年5月号

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