73才の女子高生 この春孫と一緒に卒業し「いちばんうれしい」

5月2日(月)7時0分 NEWSポストセブン

73才で高校を卒業した陣内シヅ子さん

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 佐賀空港から車でおよそ30分。田植えを控えた田んぼには水がはられ、近くの牛舎からは牛の鳴き声が聞こえてくる。そんなのどかな場所に彼女の自宅はあった。


 記者が到着すると、カーキ色の作務衣姿で玄関まで迎えにきてくれた彼女は身長150cmほど。白髪交じりのグレーのおかっぱのヘアスタイルに、肌つやのいい頬を少し赤く染めていた。


 彼女の名前は陣内シヅ子さん。この春、4年前にその門を叩いた、地元・佐賀県立佐賀北高校の通信制を卒業した。そして4月からは、唐津にある洋裁学校に通っている。


 …と、ここまでは、なんら特別なプロフィールではないだろう。問題は、彼女の年齢だ。シヅ子さんは昨年12月、73才になった。


 そのシヅ子さんは、うれしそうに1枚の写真を見せてくれた。それは、つい先日あった卒業式のワンシーン。高校の正門前に立つ彼女は、卒業証書を持って、若い女性と2人でほほえんでいた。


「これ、孫なんよ。孫は私が2年目の時に、全日制に入ってきよったけん。孫と一緒に卒業したいって気持ちがあったから一生懸命勉強した。そいで一緒に卒業して、それがいちばんうれしかった」(シヅ子さん)


 実はシヅ子さんは、1964年、21才の時に一度同校に入学している。4年間在学し、世界史や古典、音楽など46単位を取得したが、1968年に、結婚したことを機に退学を余儀なくされた。実に足かけ52年の春だった。


 今や100才以上の人口が6万人を超える長寿大国ニッポン。元気な高齢者が増えているとはいえ、年齢による記憶力や体の衰えがあるなか、なぜ70才を前に同校の門を叩いたのか? また、なぜ叩くことができたのか?


 1942年12月8日、シヅ子さんは6人姉妹の四女として佐賀に生まれた。彼女が中学を卒業した当時は、ちょうど高度経済成長期に入った頃。女性が学ぶことは一般的になりつつあり、高校に進学する女性はだいたい2人に1人といった割合になっていた。



「私は高校に行きたかったけど、特に母親が、最初から公立高校でさえ行かせる気はなかった。私のことを“勉強できん”って決めつけて、育てているんですよ。だから中学3年生の時、同級生が受験勉強の準備をするでしょ? そういう時に私は家に帰って食事の用意をするのが当たり前っちゅう感じになっていた。本心は高校には行きたかったけど、言わなかった。言ってもどうしようもなかったしねぇ」(シヅ子さん)


 高校をあきらめたシヅ子さんは、中学を卒業した後、大好きな洋裁を学ぶべく洋裁学校へ通った。洋裁を教えることもあったが、やはりきちんとした資格を取得して、人に教えたくなった。しかし資格取得には、高校に行かなければいけないことを知る。「なんとしても高校に行かんとダメかなっちゅう考えになってきた。母親には自分の可能性をつぶされたという思いもあったから」──このときはもう母親がどう思おうが、シヅ子さんはまったく気にしなかったという。


 そうして門を叩いたのが前述した佐賀北高校の通信制だ。


「うちの仕事を手伝いながら、洋裁の勉強をしつつ、その時は4年間通ったんですが、そのあと結婚して子供が生まれたんです。私は親としてきちんと子育てと向き合いたかったから、高校はいったんストップしたんです。夫は高校に通い続けることを反対しなかったんですけど、あんまりいい顔もせんで…」(シヅ子さん)


 アポロ13号が打ち上げられた1970年。日本では大阪で万国博覧会が開催され、経済はますます活気づいた。女性自身による女性解放運動「ウーマン・リブ」が流行語となるなか、シヅ子さんは長男・清治さん(46才)を出産、家事や子育てに追われる。その4年後の1974年、次男・竜美さん(42才)を出産。戦後初のマイナス成長を記録した年、街には殿さまキングスの『なみだの操』が流れていた。


「長男が高校に入学した時、“一緒に行こうかな”と思ったし、次男の高校入学の時もそう思った。ずっとね、高校は絶対に卒業したいという思いがあったんよ。いつかはもう一度高校に行って、卒業しようと思っていたんです。だから1968年までに取得した単位はとっておいたんですよ。でも子供が大学行ったり、結婚したり、孫が生まれたりという生活の中で、いろんなことが重なって、あきらめた。子供は母親が絶対きちんと育てんとダメっていうのが頭にあったから」(シヅ子さん)



 やがてずっと忘れられない思いを叶える日がやってきた。2011年8月のとある日、長男の家を訪れた時のことだった。長男の妻・貴子さん(44才)が、「お母さん、そがなこというなら早よ行がんね(そんなこというなら早く行きなさいよ)」とシヅ子さんの背中を押したのだ。


「お嫁さんがね、“もう自分のしたかことしたら”って言ってくれた。私はプライドとかそげんないもんね。子供育てよった時も、もう人が見とったって、自分の格好はどうでもいいっていう感じでやっていたし、その時その時、いちばん大事なことを優先させてきとったから。ただ、洋裁をちゃんと教えたいっていう思いが私の原動力だった。子供2人も、お嫁さんも、そんな私の気持ちをわかってくれていたと思って、うれしかったですねぇ」(シヅ子さん)


 シヅ子さんから高校再入学の話を切り出されたとき、清治さんはどう思ったのかたずねるとこう答えた。


「純粋に感動しました。ある程度年齢を重ねると、何か物事を新しく始めようとするときに、“この年齢からでは無理かも”とあきらめてしまう人が多いと思うのですが、70才を前に母が高校で学びたいと思い立った、そのバイタリティーとチャレンジ精神が素晴らしいなと思いました」


 また清治さんの妻の貴子さんもこう振りかえる。


「義母は私たちに切り出した時点では、入学に関して少し迷いもあったようです。でも私たちは、義母が、諸事情で高校卒業を断念せざるをえなかったことを聞いていましたし、その悔しい気持ちも理解できていたので、“お義母さんが後悔せんごて(しないように)”と話しました。夫が“もし、なんか協力できることがあっぎ、おれも協力すっけん”と言うと、義母はほっとしたような、うれしそうな表情をしていたと思います」


※女性セブン2016年5月12・19日号

NEWSポストセブン

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