内海桂子 1年に2回も誕生日祝いがある理由

5月2日(火)16時0分 NEWSポストセブン

内海桂子師匠の本当の誕生日は?

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 出生届が今ほど厳密に扱われなかった世代には「2つの誕生日問題」を抱える人が少なくない。90歳を超えてなお現役で舞台に上がり、アドリブの連続で観客を沸かせ続ける内海桂子師匠。“100歳まで現役”を公言しており、戸籍上の生年月日は「1923年1月12日」だ。つまり100歳になるのは2023年……かと思いきや、「この世に生まれてから100年が経つのは、その4か月前なんですよ」と明かす。一体、どういうこと? 本人が語る。


 * * *

 私は今でいう“駆け落ち”の親から生まれた子なんです。当時、両親はどちらも20歳。2人とも東京生まれの東京育ちなのに私を生んだのは遠く離れた千葉県の銚子だったので近所に親身になって相談に乗ってもらえるような人がいなかった。それだからか、大正11年(1922年)9月12日に私が生まれても役所に届けることを忘れていたみたいです。


 後になって事情を聞くと、それも仕方なかったのかもしれません。


 私が生まれた直後、女房と子供を食わせるために、父親は銚子から神奈川県の鶴見に働き口を探しに行きました。ところが行ったっきり連絡が取れなくなり、そうこうしているうちに年が明けちゃった。


 当時は、役所に出生を届け出ると、ミルクが支給されたそうですね。生活に困っていたのは間違いないから、母親はミルクがもらえると聞いて慌てて届け出たんでしょう。実際に戸籍を見ると、届けを出したのは大正12年(1923年)の4月だけど、出生日はその年の「1月12日」になっていた。そのあたりの事情は、よくわかりません。ただ、出生届を巡るドタバタは当時、母親が女手ひとつでなんとか私を育てようと奮闘してくれた証だと思っています。そういう時代だったんですよ。


 戸籍の生年月日と実際に生まれた日が違うことがわかったのは、昭和17年(1942年)。戦時中に海の向こう(満州)でお国のために戦う兵隊さんの慰問に行こうとした時に、身分証明書を作らなければいけないから、役所に行って戸籍を取った時のことです。


 母親から「誕生日は9月12日」と聞かされていたのに、戸籍には翌年の1月12日とあった。あれっと思って母親に聞いて、初めて事情を知りました。


 私の中では9月12日が誕生日だと思っています。昔からの仲間はその日にお祝いをしてくれますし、芸能界紳士録の登録も9月12日。


 ただ、ややこしいのは、お国が絡む場合です。すべて戸籍に基づくから、勲章や褒章をもらった時は「1月12日生まれ」としての年齢で記録されるし、発表される。そうなると、1月12日に誕生祝いをしてくれる人も出てきたりするので、1年に2回もお祝いがある。これじゃあ、人様の2倍のペースで歳をとっちゃうことになるわね(笑い)。細かい説明をすると面倒くさいから、何度でもありがたく祝ってもらってますよ。


 戸籍の訂正もできるみたいだけど、するつもりはありません。90歳を超えちゃったら、いまさらって感じですよ。9月から1月の間にある取材で年齢を聞かれた時に「あれ、もう1歳若いんじゃないですか。勘違いしてませんか」といわれたりするんだけど、この歳になると一つくらいの違いはよくわからない(苦笑)。


 何歳だろうと、舞台には立ち続けますよ。90歳には90歳の芸がある。10歳の時に見た漫才が今のネタになっている。ほぼ100年前の漫才ですね。それを(弟子の)ナイツにも教えてやってる。


 90歳の時に大勢の人が集まって「100歳まであと10年の会」をやってもらった。それ以来、いっちょ前に歳のことを考えるようになりましたかね。


 100歳まではあと5年ちょっと。このままだと100歳も2回お祝いしてもらうことになりそうだわね(笑い)。


※週刊ポスト2017年5月5・12日号

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