音楽P酒井政利氏「スーは王道を進んできた大輪の華だった」

5月3日(火)7時0分 NEWSポストセブン

3月29日、病床で録音され、告別式で公開された最後のメッセージで、「映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった」と告白した元キャンディーズメンバーで女優の田中好子さん(享年55)。生前、関わりの深かったふたりが、田中さんを偲ぶ。


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【著述家・全国キャンディーズ連盟代表 石黒謙吾氏(50)】

1978年4月4日、東京・後楽園球場(当時)で行われたファイナルコンサートは歌詞が流れるモニターはなし、自分たちでステージ上の音を確かめる装置もない中で、52曲を4時間30分で歌い続けたんです。コンサートでファンが放った紙テープはトラック270台分になりました。とにかくスーちゃんの死は早すぎます。いまはファン仲間と連絡すらできていません。ただし毎年、解散記念日に行っているイベントはこれからも永遠に続けていきたいと思います。


【酒井政利プロデューサー(72)】

キャンディーズ時代はリーダー的な存在がラン、音楽的なポジションがミキ、スーはふたりのそばでおっとりと笑っているという感じ。3人はとても仲がよかったけれど、いちばんのライバルがそれぞれ他のふたりだった。だから常にとことん頑張っていたんだと思います。音楽でもダンスでも本当に常に勉強していました。そして徹底的に練習したので3人が絶対にぶれなかった。キャンディーズはとても真面目な芸能界の優等生でした。キャンディーズとしてアイドルの王道を歩き、女優としても王道を進んできた、大輪の華でした。


※酒井政利プロデューサーは山口百恵、郷ひろみなどを育てた音楽プロデューサー。解散宣言をした後に初場した『微笑がえし』(1978年2月発売)はキャンディーズの曲として初めて1位になった。


※女性セブン2011年5月12日・19日号

NEWSポストセブン

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