「羽生結弦が平昌五輪で2連覇したその時、僕は……」ハビエル・フェルナンデスの告白

5月4日(土)6時0分 文春オンライン

「何年も一緒にトレーニングしてきたけれど、彼と僕との間の関係はずっと変わりませんでした。結局、最後の最後まで、彼とは激しく競い合うことになりました」


『文藝春秋』5月号の独占インタビューで、フィギュアスケート羽生結弦(24)との関係性をこう語ったのは、今年1月の欧州選手権で前人未到の7連覇を達成し、現役引退したハビエル・フェルナンデス(28)だ。



銅メダルを獲得したハビエル ©JMPA


 フィギュアスケートがあまり盛んとは言えないスペイン・マドリードに生まれ育ち、欧州の男子フィギュアスケート界をけん引し続けた。2015年、2016年の世界選手権を連覇、2018年の平昌五輪でも銅メダルを獲得した。


 羽生とフェルナンデスは共にカナダ・トロントのクリケットクラブでブライアン・オーサーコーチに師事し続けた親友でもあり、同時に最大のライバルでもあった。フェルナンデスが、カナダにやってきたのは羽生より1年早い2011年のことだった。翌年、彼はここに羽生がやってくるとオーサーコーチから聞かされた。


「君のライバルである羽生結弦選手が、ここに来たいといっているんだが」


 フェルナンデスが振り返る。


「ユヅを引き受ける前に、ブライアンは僕の意見を聞いてくれました。僕は全くためらうことなく100%快諾しました。同じようなレベルのライバルと同じリンクでトレーニングすることで、得るものは大きいとわかっていたからです」



「ユヅは大丈夫だろうか」


 実際、2人はその後カナダで練習を続け互いに切磋琢磨しあった。2015‐16年のシーズンで、羽生が史上初の総合300点越えを果たすと、その2カ月後にはハビエルも300点越えを達成し、世界を驚かせた。


 そして、フェルナンデスが集大成の大会として挑んだのが2018年の平昌五輪だった。



「オリンピックは4年に1度しかやってこない人生で最も大事な戦いです。何度経験してもあの緊張感と言うのは他と比べることができません。僕は2014年のソチオリンピックでは本当に惜しいところでメダルを逃してしまいました(4位入賞)。平昌では、表彰台に上がることが目標でした」


 そのために集中してトレーニングに取り組み続けたフェルナンデス。一方、連覇を狙う羽生は右足関節側靭帯損傷により長期離脱を余儀なくされてしまっていた。


「『ユヅは大丈夫だろうか』と色々な人から聞かれることがありました。でも、僕も自分自身を追い込んで、トレーニングに集中していました」



 その後、平昌オリンピックで羽生が2連覇を果たしたのは誰もが知るところだろう。しかし、その舞台裏で、親友でもあり終生のライバルでもあったフェルナンデスは何を思っていたのか——。


 フェルナンデスの赤裸々な想いは、『文藝春秋』5月号に掲載されている独占インタビュー「羽生結弦から僕は学んだ」に綴られている。



(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年5月号)

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