写真家・秋山庄太郎氏 撮影に遅刻の美空ひばりに憤慨した

5月5日(土)7時0分 NEWSポストセブン

美空ひばりのほか大原麗子(写真)など多くの女優を撮影した(写真は1960~65年頃)

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 1946年、26歳から写真家として活動を開始してから2003年に急逝するまで、秋山庄太郎は女性ポートレートを中心に撮影を続けた。原点は女優・原節子だった。その特別な思いは多数の著書から窺うことができる。


 秋山は、山形県米沢市に「山粧亭」というスタジオを兼ねた別荘を建て撮影を行なっていた。名前の由来は秋山庄太郎と山形県米沢市から来ている(『山粧う(やまよそおう)』とは「秋」の季語。「秋山」と「山形」の『山』、米沢市の「米」と庄太郎の「庄」を組み合わせて『粧』で、山粧亭とした)。


大原麗子さんや浅丘ルリ子さんなど、多数の女優さんがいらっしゃいました。もう取り壊してしまいましたが、一度あそこで大原さんについて、『人懐っこくて良い子なんだよなあ』と語っていたのが思い出されます。まだ人も多くなかったので、風景や花、ヌードなどの撮影をしやすかったんだと思います。特に東てる美さんは、ここでの撮影をかなり気に入っているようで、今でも旅番組で米沢と秋山の思い出を懐かしそうに紹介してくれます」(秋山庄太郎写真芸術館・館長の上野正人氏)


 秋山は写真家としての地位を確立してからも、被写体を和ませ、穏やかな表情で撮影するということに生涯努力していたという。


「自宅や別荘では、原稿を書くときでもなんでもテレビはつけっぱなしで映画やバラエティ番組が流れていました。こういう番組が好きなのかと尋ねたら『好きとか嫌いとかじゃない。これから売り出すタレントさんや女優さんとかが出てるから、撮影の時にちゃんと名前が言えるかどうか。礼儀だよ。相手のことを勉強しないと写真家失格だ』と」(上野氏)


 秋山は何より「礼儀」を重んじる人間だった。被写体に対しても厳しい面があり、相手がどんなビッグネームだろうと同じだった。


 撮影に遅刻した美空ひばりが、挨拶もお詫びもなく撮影に臨もうとしたので、秋山は「失礼だぞ」と憤慨しながら2枚だけ撮影。以降、秋山とも美空とも親しかった編集者が土下座して撮影を頼んだが、秋山は「自信がない」と断わり続けたという。


 逆に挨拶がきちんとできる人は撮影もスムーズだったという。


「その点で特に印象深いのは黒木瞳さん。礼儀正しくスタジオに入られる様が今でも思い出されます。宝塚歌劇団の皆さんは見事でした。背筋を伸ばして隊列を組み、タッタッと足並み揃えるようにして来られました」(上野氏)


 ちなみに宝塚歌劇団の男役で人気を博した越路吹雪のことはこう振り返っている。


「女ってのを超えてるところがあるね。色っぽいとかそんなんじゃない。すごく人間のスケールが大きかった。楽しい人でしたよ。写真は撮りにくかったね」(著書から)


 2003年で急逝するまで、女性の自然な姿を引き出す姿勢を貫いた。


「女よ、より美しくあれと願って、シャッターを押し続けた」(同前)


 その軌跡は、日本の写真界の歴史に燦然と刻まれている。


(文中一部敬称略)


※週刊ポスト2018年5月4・11日号

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