平成の花咲かじいさん 1万5000本の山桜が全国で満開

5月6日(土)16時0分 NEWSポストセブン

富永武義さんが全国へ贈った山桜の苗木は約1万5000本(写真/アフロ)

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 人の手が入っていない、天然の桜が、山桜。平均寿命は200〜300年といわれ、なかには500年を超える長寿桜もある。そんな山桜の花言葉は「あなたに微笑む」。今年も各地で、あたたかい笑顔が咲き乱れた——。


 今から20年前、1997年1月、朝日新聞の「声」欄にこんな投稿が掲載された。


《いつか花咲け わが山桜の苗


 自宅から二キロほどの所に山桜の大木があり、毎年春には、若葉と花が美しかった。一昨年の夏、この桜の下を通ると、種が一面に落ちていた。ポリ袋を持って行き、三リットルくらい集め、大部分を自分の山や公園の裏の山にまき、一部分を苗床を作ってまいておいた。翌年の三月になると、芽を出した。五センチくらい伸びた苗を植え替えて、肥料をやった。秋には一メートルを超すほどに成長した苗が百五十本も育った。会う人ごとに「山桜を植えないか」と勧め、今までに十人が植えてくれた。


 この桜が花を咲かせるのは、十年か十五年後だろうが、とにかく二十一世紀になってからだ。何本かは二十一世紀の中頃に大木になっているかも知れない。


 ただ、私が生きているうちに花が咲かないことだけは確実である。それでも私は山桜を育てたい。昨年夏には、前年の二倍の広さの苗床にまいた。


 この春には、三百本くらいの苗が育つ予定だ。二十一世紀の人が見てくれたら満足であり、花盛りの姿を夢みながら、往生できたら最高だと思っている》


 投稿者は、宮崎県宮崎市在住の富永武義さん。40年間、生物の高校教師として教鞭を執とった後、地元保育園の園長や理事として20年間務め上げた。そして84才から、山桜を種から育て、苗木を無償で全国へ贈る活動を始めた。


 そこから約16年、100才を迎える2011年までに全国に届けられた苗木は、約1万5000本。多くの人たちから親しみを込めて「平成の花咲かじいさん」と呼ばれた富永さんは、この3月20日、老衰のため105才で亡くなった——。


 畑や空き地が点在する住宅街に建つ富永さんの生家。畑の片隅には、富永さんが手入れをしていた日向夏が実をつけ、オレンジのバラが彩っている。そして庭には、紅白のツツジが咲き誇る。


「このツツジは先代からずっとあるんですが、父がよく手入れしていました。この香りがいいんですよね。父は、『21世紀になにかを遺しとかなきゃいかん』と口にしていました。それが、山桜でした」


 そう言って、娘の泰子さん(74才)は目を細めた。


◆“山桜の君”と呼ばれて


 山桜は山地に野生する日本の伝統的な桜で、花が散ってから葉が開くソメイヨシノと違い、淡紅色の花と葉が同時に開く。春になると花が咲き、5〜6月頃に実ができる。富永さんは実を集めて種を採り、乾燥しないよう地中で保存していた。翌年2月になると苗床にまき、1m以上の苗木に育てていた。泰子さんが言う。



「最初は口コミで配っていましたが、朝日新聞の『声』に掲載されてからは、全国から電話やお手紙で、譲ってくださいと連絡がくるようになりました」


 そうして、桜の縁がつながっていった。山口県の吉田祐子さん(仮名、70代)もその1人。


「亡くなった母が宮崎出身で、山桜が好きでした。記事を読んで連絡をしたら、すぐに3本送ってくださいました。今では毎年花が咲いています。不思議なご縁で、宮崎には親戚もいるのでそのときに富永さんにお会いしたり、文通みたいに季節毎にお手紙を書かせていただきました」


 富永さんもこういった交流を楽しみにしていた。1997年に再び「声」に投稿し、吉田さんを種木のある場所に案内したときの話を、紹介している。《散り残った花の下で写真を撮ることになった。ファインダーをのぞくと、少し顔を傾けて見上げる姿に、神話にある「木花之開耶姫」(このはなさくやひめ)のイメージが重なり気持ちが揺れた。カメラも揺れたらしく、写真はぼやけていた》


 また、吉田さんが、山桜の苗をもらったいきさつを、参加しているサークルの会報に書いたことがあった。そこで吉田さんから「山桜の君」「ボーイフレンド」と表現されているのを知った富永さんは、《二十年くらい若返った気持ちになり、あと十年くらいは生きられそうな元気が出た》と綴った。


 春になると“今年も咲きました”の便りが届くのを楽しみにしていた富永さん。


「お礼のお手紙や“咲きました”って写真やはがきが届くんですが、それを読むのが嬉しそうでね。無口な父なんですけどね、“あれ、大阪って書いちゃるわ”とか“福岡だわ”って独り言を口にしてましたからね。


 そこから年賀状やらのやりとりが続くかたもいて、楽しみだったと思います」(泰子さん)


◆静かで幸せな日々の終わり


 元教師の貴島淳太郎さん(84才)は、高校3年生のクラス担任が富永さんだった。生徒たちは富永さんを“おとっちゃん”と慕い、卒業後も交流は続いた。


「先生はとてもおとなしく、穏やかな人柄でした。教育現場から引退された後も、誰かのためになりたいと、社会貢献にもなる山桜に、生きがいを見つけられたんでしょうね」(貴島さん)


 しかし、そんな静かで幸せな日々は突然終わりを告げる。10年前、95才になったとき、種木として大切にしていた桜が、突然伐採されてしまったのだ。県道の桜だったため、地域住民から、桜の実や葉が落ちて掃除が大変だという要望が寄せられたからだった。


 教え子の小倉久美子さん(77才)は「木がなくなったと聞いたときは、私も残念でした」と話す。多くは語らないものの、すっかり滅入った富永さんの気持ちを思い、詩『切り株』を贈った。その一節——。



《ある日 子供たちを見守り続けた山桜の木は大人たちのさんざめきの中 切り倒された 冬の日 老人は肩をすぼめ 空を仰ぎつつ 一粒の種を探して切り株を回っている》


 桜は虫がつきやすく、手入れが難しい木でもある。伐採は仕方がなかったのかもしれない。それから数年間は残った種から苗木を育て配り続けた。


 ただ、その頃から富永さんに認知症の症状が表れ始め、物忘れが目立つようになった。99才で最後の苗を送り終えた後、しばらくして施設に入った。


 小倉さんが言う。


「10年前に先生からいただいた山桜は、今では5mほどの高さになり、今年も咲きました。


 先日、元部員たちが先生を偲ぶ会を開いて、桜が咲く頃に逝くなんて先生らしいね、って話していました。これからは春が来て山桜を見るたびに、先生に会えるのを楽しみにします」


 20年前、花盛りを見ながら往生できたら、と願った富永さんは、山桜が咲き始めた3月20日、永遠の眠りについた。棺には富永さんが大切に育てていた山桜の枝が納められた。


 最近、富永さんが亡くなったことを新聞で知った人から、「山桜を育てる方法を教えてほしい」との手紙が届いた。


「父がひとりでやっていたことで、細かいことはわかりません。でも可能な限り伝えていきたい。育てたいと思うかたがいるのは嬉しいですし、父も喜んでいると思います」(泰子さん)


“花咲かじいさん”が愛し、育てた山桜は、来年も各地を彩る——。


※女性セブン2017年5月11・18日号

NEWSポストセブン

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