武田鉄矢、博多時代の“失恋体験”告白「今のストーカーになる青年とは違う」

5月6日(土)15時32分 Techinsight

武田鉄矢「振られたその場で泣き、後を追うことはなかった」

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武田鉄矢が所属するフォークグループ・海援隊のヒット曲『贈る言葉』は卒業ソングとして今も愛されるが、武田自ら「失恋した時にできた歌だ」と明かしている。その彼がゴールデンウィークに博多どんたくのステージに登場、5月3日に生放送された『ももち浜ストア20周年SP 博多どんたく 歌って笑って大行進2017』(テレビ西日本)にて海援隊として上京する前に福岡で活動した頃の思い出を話した。

福岡教育大学に在学しながらアマチュアミュージシャンとして活動していた頃、伝説のライブ喫茶・照和に出演していた。当時、照和を拠点とするバンドのなかで武田が「絶対にかなわないな」と痛感したのが「チューリップだった」という。また、若さ故に少しでも高音域が歌えることを競い合ったが、ゲストでやって来た井上陽水に圧倒された。彼が新曲『傘がない』(1972年)を出すと、武田らはこれまた若さから「せこいせこい」「傘1本でぐずぐず言わんでいいやない」と陰口を言い合った。

後に海援隊として数々の名曲を生み出すが、武田はそれについて「僕の歌はほとんど“博多のねえちゃん”に振られた時にできた失恋ソング」というのだ。前述の『贈る言葉』は彼が福岡教育大学に合格した頃、天神の喫茶・照和の前にあったスポーツセンター付近で女性に振られ「大きい声出すよ!」と去られた体験をもとに描いたという。また、20歳頃に女性から「女々しか〜」と振られた衝撃は後に『思えば遠くへ来たもんだ』(1978年)を生んだ。

他にもJR博多駅博多口広場にある黒田節の銅像前で、女性から「離してって言いよろうが!」と手を振りほどかれた思い出など数々の失恋体験を場所とともに覚えている。浅野温子とW主演した月9ドラマ『101回目のプロポーズ』(1991年)について武田は「あれはね、演技じゃなくて昔を思い出していたのよ!」というが、冗談ばかりではなさそうだ。

そんな甘酸っぱい青春時代を振り返った武田鉄矢。「でもね、スパッと諦める。自分でも(思い出すと)感動するけど、絶対に後を追わなかった。振られたその場で泣いた。それが、今のストーカーになる青年とは違うんだよ!」と話して周囲を感心させるのだった。

ちなみに『母に捧げるバラード』にも歌われた武田鉄矢の母親・武田イクさんは、学生時代に部屋で泣きながら「女に振られたったい!」と言う息子に「鉄矢、覚えとけ〜。女は若いうちはそれぞれ違う顔をしとるけど、年を取ったら皆おんなじ顔になるとぞ〜」と慰めたという。彼の打たれ強さはイクさんの血を引いているのだろう。

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