1989年の参院選 土井たか子らマドンナブームを振り返る

5月7日(土)7時0分 NEWSポストセブン

 女性が参政権を得てから70年。政治は、社会はどう変わったのか。1946年・70年前の選挙では、佐藤きよ子さん(97才)の他、婦人運動家の加藤シヅエさんや後に妻子ある代議士との恋愛が「白亜の恋」と話題になる園田天光光さんら39人の女性議員が誕生している。


 39人当選と絶好のスタートを切った女性議員だが、実は1947年の総選挙では15人に激減、その後も女性議員の数は増えずに低迷期が続いた。あれほど喝采と共に迎えられた女性議員たちはなぜ消えたのだろう。『日本の女性議員』(朝日新聞出版)の編著者で上智大学法学部教授の三浦まりさん(48才)は理由をこう分析する。


「選挙制度の改変もあり、生活するのに手いっぱいの女性ほど選挙に出にくくなった。“議員は男”という固定観念も根強く、女性議員の少なさに誰も関心を払わない時代が続きました」


 敗戦後の焼け野原から一生懸命働き続け、ふと気がつけば飢えはなくなり、平和な世が訪れていた。それは1946年に女性たちが訴えた政策が達成されたからともいえるだろう。女性たちは家を守ることに幸せを感じ、再び家庭に戻った。


 1960年代に入ると、全共闘運動をきっかけにウーマンリブ運動が盛んになった。彼女たちは「女性は男性の奴隷ではない」というスローガンを掲げた。しかし、社会全体を変える大きな動きにまではならなかった。


 そして今からちょうど30年前、1986年に男女雇用機会均等法が施行される。その立案責任者で、元労働省キャリア官僚の赤松良子さん(86才)が均等法以前の企業の雰囲気をこう振り返る。


「民間企業を回って聞き取りをしましたが、当時は女性が就職しても数年での退職が慣例で、男性と対等な労働力として扱えば、企業のコストが増えると反発が強かった。ある大企業の社長は、『女に選挙権なんかやるから、歯止めがきかない。差別があるから企業が成り立つ』と公然と口にした。私自身、職場で女性差別を感じて、十二指腸潰瘍を患ったこともあります」


 ようやく女性が男性と同じようにキャリアを重ねていける時代が到来したが、女性は仕事か家庭か二者択一を迫られた。結婚したら肩叩きされ、育児と仕事の両立など夢のまた夢。その中で、女性たちは次第に「主婦」と「働く女性」に分断されていく。


 女性が再び大きな力を持ったのは、1989年7月の参議院議員選挙だ。この時、社会党の土井たか子党首は「やるっきゃない」とハッパをかけ、12人の女性新人候補者を送り込んだ。きっかけは、金権政治と消費税導入という2つの「金」だった。



 当時は自民党の有力者や高級官僚が関与したリクルート疑惑の捜査中だった。しかも、就任直後の宇野宗佑首相が神楽坂の芸者に、「これで愛人にならないかと、指3本立てた」と報じられていた。「男は外で働き、女は家を守る」という考えが根強かった時代、身を削って1円単位で家計をやり繰りしていた主婦たちは、スキャンダルまみれの男性政治家が強引に導入した消費税導入に「NO」を突きつけた。


 前出の三浦さんがこう語る。


「土井さんは既存の男性政治家へのアンチテーゼとして、市民派のクリーンな女性を数多く出馬させました。インパクトは非常に大きく、土井さんが導入されたばかりの消費税廃止を訴えると、多くの女性がこぞって賛同しました。家計を預かる主婦の金銭感覚が、マドンナブームを招いたんです」


 有権者の圧倒的な支持を受けた女性候補者は22人が当選し、6〜7%台で推移していた当選者に占める女性比率は17.5%に急増した。地滑りの大勝利に土井さんは、「山は動いた」との名言を残した。


 元千葉県知事の堂本暁子さん(83才)は“マドンナ”の1人だ。当時、TBSの記者としてベビー・ホテルの問題に取り組んでいた堂本さんが選挙演説のため日本各地を回ると、そこには驚く光景が眼前に広がっていたという。


「北海道から沖縄までどこに行っても人、人、人。車が動かないくらいの人の山でした。女性だけでなく、男性の聴衆も多く、みんながいかに土井党首に期待しているかを肌で知りました。とにかく勢いがすごかった」


 この時、過半数割れに追い込まれた自民党は女性票を無視できなくなり、選挙後の海部俊樹内閣では、初めて2人の女性閣僚が同時に入閣した。その意味でもこのマドンナブームは大きな足跡を残したが、土井さん率いる社会党はその党勢を拡大することはできなかった。


※女性セブン2016年5月12・19日号

NEWSポストセブン

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