自殺幇助はなぜ犯罪になるのか その理由について

5月7日(月)16時0分 NEWSポストセブン

評論家の呉智英氏

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「自殺幇助」という犯罪がある。「自殺」そのものは日本では犯罪にならないが、それを手伝うと罪になる。評論家の呉智英氏が、なぜ、自殺幇助が犯罪となるのかについて論じる。


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 一月末、評論家の西部邁が自決した。空しく見苦しい余生より、自らの意志で死を決断する。まさに自決であった。対談や講演などで交流のあった私としては、西部さんらしい逝き方だなと思った。


 しかし、四月になって予想外の報道を知ることとなった。西部の自決を手伝った二人の人物が自殺幇助罪で逮捕されたのである。二人は西部の思想的共鳴者であり、言論活動の協力者でもある。自決の手伝いは当然と言えるところであるが、法律上は違法だ。二十六日には起訴となった。西部はしばしば生命絶対主義への懐疑を口にしていたが、期せずして西部の思想は法律に体現された常識論への批判の一矢となった。


 日本では自殺は刑法に触れない。キリスト教国などには自殺を犯罪とする国もあるらしいが、未遂しか罰しようがない。まさか自殺した遺体を投獄するわけでもなかろう。キリスト教由来の伝統がなく、自決も人間の尊厳を守る儀式の一つと考える日本では、自殺そのものは不可罰となっている。


 しかし、不思議なことに自殺幇助は罪になる。本来、幇助犯は正犯に対する従犯であり、正犯が罰せられるからこそ、その協力者である従犯も正犯に準じて罰せられるはずである。ところが、自殺幇助は、自殺そのものが罰せられないのに、これが独立して一つの犯罪となっている。


 それには一応の理由がある。


 他人を追いつめて自殺させる自殺教唆や無理心中のような場合は一種の殺人である。これが犯罪となるのも納得できる。しかし、自殺者に共鳴した介助者を罰する理由は何だろうか。唯一考えられるのは、自殺は自分の生命を処断することだから許されもするが、幇助は他人の生命を殺めることになるから許されない、という理由だ。当然ながら、かなり苦しい理由である。


 自殺幇助罪の孕む問題は、一九七〇年の三島由紀夫事件の裁判でも議論された。三島を介錯した森田必勝は、自らも三島に殉じて切腹したため訴追にはならなかった。その森田を介錯した古賀浩靖は自殺幇助の罪に問われた。古賀は日本の武士の作法であると主張したものの、認められなかった。私は三島の思想にも行動にも賛成しないが、この主張には賛成する。


 自殺幇助罪は、平凡な庶民の“終活”にも関係してくる。安楽死である。現在日本で合法なのは、死が目前に迫り苦痛も甚しい場合に延命治療を拒否する尊厳死だけである。それ以上の安楽死は認められていない。それでも安楽死を望むなら、体力や手段の関係上、他人の協力すなわち幇助者が必要となる。しかし、幇助者には大きな迷惑がかかる。私自身、老親の看取りに際し大いに悩まされ、次は自分の番だと実感した。


 三島由紀夫が中央公論新人賞の選考委員だった時、強い衝撃を受けたのが深沢七郎の『楢山節考』である。近代的生命観とは無縁の世界に住む老母の自決を描いた作品であった。生命絶対主義に暗い一撃を与えたのだ。


●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』など多数。


※週刊ポスト2018年5月18日号

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