【特集】『タイタニック』当時の日本はどう見たか ─ 1997年、世紀末の空気と「レオ様」ブーム

5月7日(金)18時3分 THE RIVER

タイタニック

世紀末。「ノストラダムスの大予言」に代表される終末論めいた空気がただよっていた。20世紀の最大の悲劇を映像化した映画タイタニック(1997)は、あの時代のあらゆる思いを乗せて出航した。

史実の豪華客船は沈没したが、映画は大海を駆ける大ヒット。当時としては史上最高の製作費がかかったこの大船は、製作の遅れを連発し、公開延期を繰り返していた。映画史上最大の失敗作になるのではないかとのムードも漂ったが、いざ海に出れば当時の世界最高興行収入を記録する大ヒット。24年が経った今でも、これを抜いたのは『アバター』(2009)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)のわずかに2作しかない。

世紀末、『タイタニック』に時代の不安を重ねた

日本でも、洋画歴代1位、実写作品歴代1位の記録を未だ譲らない歴史的大作。上映時間は3時間半近いが、劇場では立ち見客が通路に溢れたという盛況ぶりを鮮烈に記憶しているという、当時を知る方も多いのでは。まさに社会現象で、封切りからおよそ半年が経つゴールデンウィークが明けてみても、「まだまだ長蛇の列」「3時間立見したり、通路に座り込んでいるカップルもいた」との記録もある。※1

封切りは1997年12月。これに先駆けて同年の東京国際映画祭では、ワールドプレミアとして11月1日に上映されている。公開当時、日本の映画媒体はどう見ていたのか。『スクリーン』誌の1997年11月号は「98年正月映画」特集として、ハリソン・フォードの『エアフォース・ワン』(1997)や『メン・イン・ブラック』(1997)などと共に本作を紹介している。

「各国で公開された97年の暮は、経済的パニックの不安がアジアから世界を覆い、沈没していくタイタニックに、一つの繁栄の時代の終焉を重ねた論調もあった」と、当時の映画誌に時代の空気が記録されている。「20世紀の夜明けにテクノロジーのすべてを結集して作り上げた不沈の超豪華客船が、人間の傲慢や奢りから、ささいなミスで引き起こしていく信じられないような悲劇。時を越えて、そして今の時代にも警鐘こめたキャメロンの狙いに狂いはなかった」※2ジェームズ・キャメロン監督とレオナルド・ディカプリオは東京国際映画祭のワールドプレミアにあわせて来日しているが、この時のインタビューでキャメロン監督は、タイタニック号に時代の不安を重ねる見方を理解していて、次のように話している。

現在、タイタニック・ブームと言われているけれども、それは文字通り、世紀末がおとずれていて、皆が将来について明るい感情を持っていないのが最大の原因だと思う。黙示録じゃないが、何が起こるかわからないという不安感を抱いているということだよね。本当に安定していると思っていたこと、信じていたものが急に変わってしまう。つまり終焉が突然訪れてしまうかもしれないという不安感を、皆が持っていて、その象徴がタイタニックなんだ。※3

レオ様ブーム、来日にファン熱狂

『タイタニック』の記録的な大ヒットは、主演レオナルド・ディカプリオの熱狂的なブームも巻き起こした。日本では「レオ様」フィーバーが吹き荒れたが、その後「◯◯様」の愛称で国内のファンを熱中させた俳優は、「ヨン様」くらいではないだろうか。ともかく、『タイタニック』の頃のディカプリオの輝きに勝るような俳優は、後にも先にも彼ひとりだ。

『スクリーン』誌は1998年1月号で、「レナード・ディカプリオ来日スペシャル」と銘打って巻頭特集している。Leonardo DiCaprioには、まだ"レナード・ディカプリオ"との表記ゆれがあった。「10月31日、午後四時十五分。予定より五〇分遅れてレナード・ディカプリオが日本に降り立ちました。三年ぶり二度目の来日。その間、何度かの来日の噂が出ながらすべて中止となっていただけに、まさに待望の再来日です」と熱っぽくレポートしている。

今回レオを待ち受けるファンの熱狂ぶりはものすごく、予定は一切発表されていないにもかかわず空港に多数のファンがかけつけていました。翌1日の『タイタニック』ワールドプレミアには、三日徹夜したという人も含め、チケットを手に入れることのできなかった約二◯◯◯人のファンが一目でもレオを見ようと渋谷・文化村に押し寄せ、パニック寸前の状況となってしまったため入場セレモニー中止という事態に。ファンの熱意を聞いたレオは、「少しだけでも彼らの願いを叶えてあげたい。バルコニーでもあれば顔を見せられるのに……」と言っていましたが、警備上の問題で許されず、とても残念そうでした。※4

公開当時23歳、まだまだ若手だったディカプリオは、この来日で日本のメディアからの取材をたっぷり受けることになる。ディカプリオは、"50年代の映画が好きで、70年代に出て来た俳優を尊敬"していることを、当時話している。

16歳の時、「ボーイズ・ライフ」でロバート・デ・ニーロと共演したので、彼の出演作品は全部ビデオを借りて見たよ(笑)。それが70年代に入れ込むようになったきっかけさ。その後は中毒になって何でも見るようになったんだ。[中略] 70年代で好きな映画は、もちろんスコセッシ、コッポラ、そしてカサヴェテス。※5

「映画界には20年毎に何かが起こるムーブメントがあるから、90年代の今、21世紀にかけてまた素晴らしい動きがあるような気がする」とディカプリオが予感していたように、2000年代に入ると、彼は憧れのマーティン・スコセッシ監督との仕事の機会を得ることになる。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)を皮切りに、ディカプリオはスコセッシ作品の常連となるのだ。そんな未来が待っているとはまだ知らないディカプリオは、この頃スコセッシ作品について「『キング・オブ・コメディ」は過小評価されていると思う」と述べている。「『タクシー・ドライバー』や『レイジング・ブル』と同じくらい素晴らしい作品なのにね。コメディの要素が入ると、なぜか評価が下がってしまう。変だよね」。※6

環境問題に非常に熱心なことで知られ、2014年には国連平和大使にも任命されているディカプリオだが、その後の活動につながるような発言も既に見られていた点も興味深い。『ロミオ+ジュリエット』(1996)に出演した後、生徒たちがシェイクスピアに興味を抱くようになったと学校の先生が訪問してきたそうで、「こういったカタチで世の中に貢献できることを誇りに思ったし、続けていきたいとも思った。なにも政治的な意味でなく、これからも環境問題やなにかにも積極的にコミットしていくことを、心がけるよ」と話していたのだ。※7 ちなみにディカプリオが環境保護財団法人「Leonardo DiCaprio Foundation」を早速設立したのは、『タイタニック』公開翌年の1998年のことである。

当時の映画評論家たちは『タイタニック』をどう見たか

日本の映画評論家たちは、当時『タイタニック』にどのようなレビューを残していたか。映画評論家の淀川長治は、公開1ヶ月前の1997年11月18日付の産経新聞夕刊で、『「タイタニック」スリルとロマンスのあふれ切った大巨編』との評を書いている。大勢が命を落とした事故の実話であるという恐怖と、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの恋のロマンスというふたつの要素を取り上げると、「この両面に手を回し過ぎたきらいが出た」「沈みゆく巨船タイタニックの恐怖はさすがに実感あふれさせたが、1517人が命を失ったという悲劇が盛り上がらなかった」と手厳しいところもあるが、「世界最強、沈むわけなしの自信が、洋上の氷山にぶつかってからのあび叫喚。これがすごい。これが『事実』ということで胸をしめつける」「初めてタイタニック号の悲劇を見る人には、このロマンスがまた満足であろう」とも評している。※8

山口猛氏も当時の雑誌で、タイタニック号が氷山にぶつかってから完全に沈没するまでの2時間40分ほどの時間の中で、「人々の危機意識と恐怖」が「じわじわと広がる」様が、「キャメロンの独壇場であり、そこに彼の力が集約されている」と評している。同氏はタイタニック号を「しょせんブルジョアジーが信奉する身分制度と初期資本主義の中で進歩を体現する機会や鉄の象徴」だと見ており、この「近代科学の結晶」が「たかだか流氷に接触しただけで沈没してしまうもろさ」をとらえた撮影手腕は評しつつ、「ディカプリオとケイト・ウィンスレットの恋」は「沈没の背景でしかない」「彼の役はあまりに理想主義に彩られている」と批評した。※9

別の紙面で、山根祥敬氏はタイタニック号の迫力の映像を論じている。「巨大な船体が、時を越えて壮大な姿を表し、さらにスタジオまで作り、巨大なタンクに船を浮かべて撮影するというやり方は、ハリウッドでも画期的なものだった」と伝える同氏は、「外観だけでなく、伝説的なスイート・ルーム、インテリア、衣装、調度品など、全て本物にこだわるという徹底したリアリズムで再現。1ドルもムダに使っていない映像の密度の濃さは、デーヴィッド・リーンやルキノ・ウィスコンティなど今は亡き巨匠たちの芸術完成度の高さに迫り、心の大作だけが持つ映画の充実感が、全編にあふれる」と絶賛の言葉で評している。※10

より一般的な声を寄稿していたのが、女優・瀬戸朝香だ。友人の"紗理奈っち"こと鈴木紗理奈と一緒に「軽い気持ちで」試写で鑑賞したという瀬戸は、「紗理奈ちゃんはもう大泣きで、私はグッとがまんしちゃったんだけど、人目を気にしなくていい所だったらワンワン泣いてたでしょうね。二人で『また映画館に見に行こうね』とか『ああいう恋愛したいよね〜』なんて言いながら帰りました」とのレポートを残していて、当時の観客の代弁となっている。※11

沈まぬ伝説

ところでディカプリオは、『タイタニック』ではじめて経験したハリウッド大作の撮影で、監督について「撮影中は普通の生活ができなくなる」と話していた。この様子を良く表すエピソードが、プロダクションノートに残っている。

キャメロン自身がウェットスーツをきてしばしば自ら撮影。ビタミンB-12を足に注射し、大麦ジュースを飲んでスタミナをつけ、「いまは我々は戦闘モードなんだ」と言いながら一週間休みなく、一日17時間働いた。※12

こうした情熱と共に完成した『タイタニック』。映画公開から20周年となった2017年にはアメリカで再上映されたことがあったが、この時キャメロンは「観に行きますか」と尋ねられると、「家族や友人を連れて、HDR版でぜひとも観たい」と答えてからは、「たとえ誰もが知っているような映画であっても、ドルビービジョンのレーザープロジェクターで、適切な光レベルの3DでHDR版を観ると、まるで未来を見ているようでね」と、映像や上映フォーマットの将来ついて語り始めている。過去に甘んじることを知らないジェームズ・キャメロン監督は、『タイタニック』の世界興収記録を自らの手で塗り替えた『アバター』のさらなる続編を鋭意製作中だ。きっと『タイタニック』の感動は、キャメロンのこうした革新性からこそ生み出されたのだろう。その伝説は、決して沈まないのだ。

Source:※1:SFX映画時評 付録の再補足:『タイタニック』
※2,10,11:山根祥敬、『スクリーン』、近代映画社、1998年4月
※3:『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1997年12月上旬号
※4:『スクリーン』、近代映画社、1998年1月号
※5,6,7,9:『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1997年12月上旬号
※8:「淀川長治の銀幕旅行」、『産経新聞』1997年11月18日、夕刊
※12:北島明弘、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1997年12月上旬号
Vanity Fair


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