小林亜星「このあたりで人類は終わるんじゃないか」

5月10日(水)16時0分 NEWSポストセブン

昭和のヒットメーカーが平成の閉塞感を語る

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 老若男女問わず、誰もが口ずさめる大衆歌はいつしか消えた。人の関心は多様化し、流行はめまぐるしく移ろう。それが平成という時代。昭和のど真ん中を歩いてきた作曲家・小林亜星は今、なにを思うか。


 小林亜星は、都はるみの「北の宿から」で日本レコード大賞をとり、日立の「この木なんの木」など数々のCMソングの作曲家として知られている。だが、彼の活動分野は俳優、歌手にも及んでおり、元祖マルチタレントといった方がぴったりくる。特にTBSテレビの「寺内貫太郎一家」に頑固親父役で主演したときは、“しゃべる大道具”と酷評されながら、圧倒的な存在感で30%を超える平均視聴率を叩き出した。


 小林は自分の仕事を“ちんどん稼業”と言う。エメロンシャンプーの「ふりむかないで」やアラン・ドロンを起用したダーバンのCMソングなどを多作してきた小林にとって、日本のサブカルチャーを牽引してきたのは自分だという自負が、一見卑下した言い方になったのだろう。


 小林の事務所は赤坂TBS裏手のライオンズマンション内にある。部屋の外はコンクリートの廊下となっており、見るからに古い造りである。小林が日本最初のライオンズマンションとなるこの部屋を事務所として使い始めたのは、30歳前だからもう50年以上になる。 ライオンズマンションというと、今では大衆マンションの代名詞となっているが、当時は洒落たマンションのはしりだったという。


「李香蘭(山口淑子)はじめ、有名人が沢山いた。ここは目の前が日本コロムビアだったし、TBSも近くだったので、音楽やテレビ関係者が多く住んでいました」


 日本コロムビアは、美空ひばり島倉千代子など昭和を代表する歌手を輩出したレコード会社である。


 小林の著書の『亜星流!ちんどん商売ハンセイ記』の中に、CMディレクターの杉山登志が自殺した日のことが書かれている。杉山は資生堂のコマーシャルなどで数々の賞を受け、CM業界の寵児と持て囃された。その男がクリスマスまであと10日あまりと迫った1973年冬、自宅マンションで首を吊って自殺した。37歳だった。遺書にはこう書かれていた。


「リッチでもないのに、リッチな世界などわかりません。ハッピーでもないのに、ハッピーな世界など描けません。〈夢〉がないのに、〈夢〉を売ることなどは……トテモ、嘘をついてもばれるものです」


 杉山が自殺したのは、小林のオフィスの真下の部屋だった。小林は著書で書いている。


〈ある朝、僕がいつものように赤坂にある自分の事務所に行くと、管理人さんがとんで来て「大変です、亜星さん、自殺者が出たんです」と言ったんです。そのとき僕はなぜか直感的に、トシだ、と思いました。僕の事務所が三〇五号室で、彼はすぐ真下の二〇五号室に住んでいました〉


 世間は杉山の早すぎる死をこぞって悼んだ。だが、小林の見方は少し違い、同書で大意こう述べている。


 彼の生き方はカッコよさばかりに価値観を見出す今の日本の若者に大変似ている。生きるっていうことは、すごくダサいことなのに、ファッショナブルな世界を撮り続けなければならなかった彼はそのギャップに悩まされ、遂に死の誘惑に負けた……。


 杉山は何事にもリッチさとハッピーさを求める時代の要請に負けて自死を遂げた。が、自分の職業を“ちんどん稼業”と見定めた小林は84歳になる今日まで図太く生き抜いた。 満州国が建国された1932年に生まれた小林は、間もなく生前退位される天皇より1歳年上である。


──小林さんにとって平成とはどんな時代でしたか。


「いまは昭和の時代に比べて比較にならないくらい情報量はふえているのに、行き詰まり感ばかりが増しているという感じがしますね」


 小林は熱狂的な洋画ファンである。


──実は昨日、アカデミー賞を総なめするといわれた「ラ・ラ・ランド」を観てきました。はっきり言って評判倒れの映画でした。小林さんが激賞している「巴里のアメリカ人」や「雨に唄えば」などと比較すると、はるか足元にも及ばない。


「そのミュージカル映画を私は観ていませんが、よくわかります。大体、映画にしても音楽にしても、ヒットするのは8割以上がアメリカ発のものだったんです。今はジャズも衰退するし、ハリウッドも弱体化する一方です。アメリカだけでなく、人類みんなが昔の勢いがなくなっちゃったという感じですね」


 これを聞き、トランプが大統領になったのも、衰微した「国力」をなんとか回復しようとするアメリカの窮余の一策ではないかと思った。そう言うと、小林は「そう思いますね。ヒットラーだって選挙で選ばれた」とつづけた。小林は、ヒットラーは独裁で政権をとったと思われているが、実は選挙で政権をとった、だから恐ろしい、と言っている。この意見に戦中派の自負と自省が垣間見えた。


──世界的にリビドーが落ちているというわけですね。


「黒澤(明)さんや小津(安二郎)さんがいた頃は、日本映画にも力があった。いまあるのは閉塞感だけです。このあたりで人類は終わるんじゃないかって気もする」


◆「戦前にもエロ本は出版されてた」


 小林は平成より昭和の時代をずっと長く生きている。


──昭和の時代をどう思いますか。


「そうですね、ひどい戦争があって、その焼け跡から人々がみな立ち上がって奇跡的に日本が再建できた。それから、みんな食いまくり飲みまくったバブルの時代があり、それが崩壊して平成という時代がやってきた。ところが最近の風潮を見ていると、下手すると日本人がまた戦争に向かうんじゃないかと思うことがある」


──それはなぜだと思いますか。


「戦争を肌身で知っている我々の世代は二度と戦争をしないと誓った。それが平成になって風向きが変わり始めたのは、戦争から70年あまり経つと人間という生き物は、過去のことをすっかり忘れちゃう習性があるからとしか思えません。いま大阪の方のヘンな幼稚園でヘンな歌を歌わしているでしょ」


──国有地払い下げ問題で世間を騒がせている森友学園ですね。園児に「教育勅語」を暗唱させ、「愛国行進曲」を歌わせている。


「あれを見てまだ僕が5、6歳の頃、右翼がオート三輪に乗って『愛国行進曲』をガンガン流して町中を行進してゆく姿を思い出しました。まだ戦争前でしたが、世の中がどんどん退廃的になっていった。


 ダンスホールは朝方までやっているし、人々は『東京音頭』で毎日お祭りのように踊りまくっている。戦争前は財閥や軍人が威張って、窮屈な時代だったと思っている人が多いけど、そんなことはありません。エロ本だって梅原北明(*1)や斎藤昌三(*2)が盛んに出版していた」


【*1/大正・昭和時代の編集者・翻訳家。性風俗関係の書籍を刊行し、その多くが発禁処分に】


【*2/大正・昭和時代の書物研究家・編集者。雑誌「いもづる」「書物往来」などを創刊した】


 戦前の日本は恐しく明るかった。戦前というと、つい眦を決した特攻隊という印象に囚われがちだったので、この見方には意表をつかれた。


【PROFILE】こばやし あせい:1932年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業。服部正に師事し、1961年に作曲家デビュー。歌謡曲、ドラマ音楽、CMソング、アニメの主題歌など多数作曲。1974年、向田邦子脚本「寺内貫太郎一家」の父親役に起用され、俳優としても脚光を浴びる。76年、都はるみに楽曲提供した「北の宿から」で日本レコード大賞。


■聞き手/佐野眞一(ノンフィクション作家)


※SAPIO2017年6月号

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