母のあえぎ声に苦しめられた女性、後に「こんないいものはない」

5月10日(水)16時0分 NEWSポストセブン

61才女性の衝撃告白手記

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 どんなに辛いことがあっても、私は負けない──。そんな強い意志を持った小野美佐江さん(仮名・静岡県・61才)が、自らの半生を告白する。


〈本稿は、「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現いたしました〉


 * * *

 先日、押し入れの整理をしていたら、写真技士が撮影した恭しい記念写真が出てきました。有名な神社で、生まれたばかりの娘を抱いた27才の私。後ろが夫。その右横に夫の兄が立ち、母の向こうで場違いに笑っているのは母の再婚相手。


 この男3人が一緒に写っている写真はあってはならないのです。こんな写真を撮ったことも、存在することもすっかり忘れていた私は、だんだん恐ろしくなり、ごみ箱に捨ててしまいました。


 3人の男の誰かが、娘の父親ですが、そのことを娘はもちろん、ほかの家族も知りません。


 私が育ったのは、東京郊外の2DKのマンモス団地。父は高卒で地方公務員。母は地味で働き者の理容師。きょうだいは年子の兄と、年の離れた弟。両親とも無口で、父はいつもムッと怒ったような顔をしていました。外からはごく普通の家庭に見えたのかもしれません。


 ところが夜、母が作った簡単な夕飯を食べ終えると、せかされてお風呂へ。そして「早く寝なさい」とふすまがピシャリと閉められ、兄と私の地獄の時間が始まります。


 夜の8時過ぎ、いくら小学生でもまだ眠れる時間ではありません。布団をかぶってじっとしていると、何かがこすれる音がして、そのうち母のあえぎ声が聞こえてきます。母の声がどんどん大きくなり、最後は父も母も人とは思えないような雄叫び。これが毎晩なのです。


 兄も私も耳をふさいで、天井の一点を睨にらみつけ、テレビを買ってからは音を大きくして、「早く終われ」とそればかり願っていました。ふすまの向こうで両親が何をしているのか、私は物心ついたときから知っていました。母の横で寝ていたころ、私の横でもしていたからです。


 小学5年生のとき、母に、「夜、あんなこと、しないで」と頼んだことがあります。母は、「しょうがないじゃない。父さんがしたがるんだから」と言って、ぷいと顔を背そむけてしまいました。


 それでも少しは遠慮してくれるかなと期待しましたが、逆でした。私の苦情は両親を刺激したのか、母の声は前にも増して大きくなったのです。


◆家に居場所がなくなった中2の私は夜の街へ


 私が中1の時、母は3人目を妊娠しました。それなのに父との営みは臨月まで続き、弟を出産して1か月もしないうちに再開。乳飲み子の弟が泣いても、母は行為が終わるまでふすまを開けません。仕方がないので兄がミルクを作り、私がおむつを替えて抱っこして寝かしつけていました。


 あの時、両親が何を思ってせまい家であんなことをしていたのかはわかりませんが、まず、思春期の兄がおかしくなりました。


 興奮を抑えきれなくなって、隣に寝ていた私の下着に手を入れてきたのです。思い切り蹴飛ばすと、気の弱い兄は「ごめん」と言って引き下がりましたが、そうなるともう狭い6畳間で兄と枕を並べられません。


 家に居場所がなくなった中2の私は夜、遊びに出かけるようになり、すぐに仲間ができました。男子と一緒にいれば、やることは1つ。子供の頃から耳をふさいでいたあれです。


 あんなに嫌がっていたのに、いざ、自分がしてみると、すぐに「こんないいものはない」と思ったのは親の血か。いつの間にか、私の頭の中はあのことでいっぱいになっていました。 「誘えば誰とでもする女」。


 高一になった私は、男子生徒からそう呼ばれていました。私に聞こえるように「バカじゃないの」と軽蔑する男子生徒もいたけど、そういう男に限って、私がふざけたふりをして腕をとっておっぱいを押しつけると、「させろ」と追っかけてきます。


 やがて、高校生ではもの足りず、私は社会人の男性とつきあうようになりました。一人暮らしの人なら、いつでもセックスができるので、親と暮らす男子高校生より何かと便利でした。


 母の無関心は相変わらずで、「どこに泊まっているの」とも聞かないし、「高校くらいは卒業して」とも言いません。


 父にいたっては、家で会っても「あ」とか「お」とか言うだけ。「金」と言えば、決まって1000円札を1枚くれました。父と私の交流は後にも先にもそれだけでした。


 私が23才の時、父は車の事故で突然亡くなりましたが、正直言ってもう母のあの声を聞かずに済む、とほっとしたものです。


◆不幸のどす黒い花を咲かせた“運命の男”


 不純異性交遊で私は学校からいつ「退学」を言い渡されてもおかしくなかったのに、そうならなかったのは、30過ぎの独身の担任のおかげです。放課後、呼び出され、「出席日数が足りないけどどうするんだ」と言われ、「学校じゃない場所で相談に乗ってほしい」と言うと、さっそくでした。


 高校から離れた駅に担任は車でやってきて、そのままラブホテルへ。結局、担任とは卒業までずるずると関係が続きました。他の男と同じように好きでも嫌いでもなかったけど、セックスはとても上手でした。


 思えば、あの頃は気まずくなるとそれ。都合が悪くなるとそれ。気分がいいとそれをしていました。実際、2人きりになって服を脱ぐと、男は、行為の手順など、1人として同じ人はいません。「この人はどうするんだろう」と思うと、それだけでわくわくしました。


 ところが卒業間近に、私を好きだと口説いた、30過ぎの小柄で真面目なサラリーマンと寝たのが余計でした。彼は、たった1回ですぐに、「結婚するから親に挨拶したい」と言い出したのです。


 そんな気はさらさらない私は、男から逃げるように東京の駅ビル内にある会社に就職。彼は、「忘れられない。好きだ」と言って、何度も私の職場に訪ねてきましたが、その「好き」という感覚が私にはわかりません。それどころか、彼の顔を見るだけで吐き気がします。


 あえぎ声を毎晩聞かせた両親が、私の不幸の下地を作ったとしたら、そこにどす黒い花を咲かせた“運命の男”は、間違いなく彼でした。


〈次回につづく〉


※女性セブン2017年5月11・18日号

NEWSポストセブン

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