『べらぼう』平賀源内に思いを馳せる田沼意次に視聴者最注目 第17話画面注視データを分析

2025年5月11日(日)6時0分 マイナビニュース


●活気あふれる領国・相良
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、4日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜ほか)の第17話「乱れ咲き往来の桜」の視聴分析をまとめた。
○「源内とわしが思い描いたとおりの国となった」
最も注目されたのは20時32分で、注目度74.1%。田沼意次(渡辺謙)が領国である遠江・相良を巡回するシーンだ。
意次は相良城の完成を機に自身の領国・相良に入った。港には多くの人々が行き交い、活気にあふれている。相良藩の家老である井上伊織(小林博)によると、意次によって整備された田沼街道が良い影響をもたらしているようだ。
視察を進める意次の側を大八車が通り過ぎる。積み荷は相良の名産品となったロウである。「お殿様でごぜえますだか!?」突然、大勢の漁師たちが意次に詰め寄ってきた。漁師たちの剣幕に意次は警戒の表情を浮かべた。相良城に入った意次は、先ほどの漁師たちから献上されたカツオに舌鼓を打っている。漁師たちは直訴ではなく、意次に感謝を込めて献上の品を持参してきたのだった。伊織は相良には意次に不満を持つ者はいないと胸を張った。
米以外の仕事が増えて百姓は豊かになり、整った街道・港で商人も潤い、運上・冥加が多く入り、相良城の普請は年貢を上げることなく済んだということだ。意次は伊織の報告を聞き、平賀源内(安田顕)を思い出した。ロウの材料となるハゼを植えようと進言したのは源内であった。源内は街道や港の整備は城の普請後ではなく、先に整えるべきだと主張していた。「ここ、相良は源内とわしが思い描いたとおりの国となった」意次が言うと、三浦庄司(原田泰造)も「お見せしとうございましたなぁ」と源内を思い、感慨深げに言葉を漏らした。
○「夢がちょっと叶ってて泣けてきた」
注目された理由は、源内の生前の功績と意次との関係性に、視聴者の注目が集まったと考えられる。
意次の領国である相良は目覚ましい発展を遂げていた。意次の施政によって町は活気にあふれ民の暮らしは潤うが、相良の開発には今は亡き源内が深く関わっていた。大名の住む城よりも、港や街道など民に有益な設備の整備を優先とする源内の方針が良い効果をもたらしたのだ。源内の功績を語る意次の表情は印象的だった。
SNSでは、「蔦重(横浜流星)といい田沼さまといい、源内先生が死んだ後も彼の意志を生かし続けてるんだな…」「いまだに源内先生ロスだから、意次さまと源内先生の夢がちょっと叶ってて泣けてきた」「年貢を上げずに、産業を促進して港や街道を整備した結果、町人の収入が増えて税収が増額したのってすごい」と、意次と源内の内政手腕が称賛されている。意次にとって源内は優秀なブレーンだったことが改めて伝わってきた。
意次の相良城は、遠江・榛原郡(現在の静岡県牧之原市)にあった城。意次は御側御用取次であった1758(宝暦8)年に江戸の呉服橋御門内に屋敷を与えられるとともに、相良藩1万石の領主となったが、この時の相良藩には城はなく陣屋のみが存在していた。陣屋とは城を持たない小規模な大名や、旗本、郡代、代官などが、領地に築いた拠点。城に比べて小規模で、石垣や堀・櫓などの防御施設も簡素な作りだ。
1767(明和4)年に将軍・徳川家治より神田橋御門内に屋敷を与えられ、築城も許可されて城主格となった意次は、翌年の1768(明和5)年に相良城の着工に取り掛かり、12年間の月日を経て1780(安永9)年に城が完成すると検分の名目で相良入りした。意次は参勤交代をしない定府大名だったため、実は2度しか領国に入っていない。城の普請とともに整備された東海道の藤枝宿と相良を結ぶ約7里(約28km)の街道は意次の名を冠して田沼街道と呼ばれた。
当時、大井川を渡河するには、幕府によって東海道の島田・金谷の渡しに限定されていたが、大井川を渡ることができる田沼街道は人々にとって重要な生活路となった。意次が田沼街道を通ったのは2度目の相良入りの復路で、生涯で一度だけと伝わる。多忙な人物らしいエピソードだ。
定府大名は領国には帰らず江戸に常駐することを義務付けられた大名のことで、譜代大名の一部や、領地が小さく小規模な大名、老中、若年寄などの幕府の要職についている藩主が該当する。松平武元(石坂浩二)や松平定信(寺田心)も定府大名だった。
●蔦重、唐丸の生存を確信
2番目に注目されたのは20時42〜43分で、注目度71.5%。蔦重が唐丸(渡邉斗翔)の生存を確信するシーンと次回予告だ。
蔦重はふじ(飯島直子)とともに、他所の版元が出した本の出来栄えを調査していた。「これ、絵は重政先生かい?」ふじは西村屋の本の挿絵を見ていた。蔦重も一見、北尾重政の絵かと思ったが、絵師の名は北川豊章と記されている。しかも、他の豊章の絵には勝川春章や磯田湖龍斎の絵に似せて書いた物があった。
それらを見た蔦重は、5年前の唐丸とのやり取りを思い出した。蔦重は唐丸に、謎の絵師として同じ花魁を重政や湖龍斎など当代一流の人気絵師風に次々に描いてみてはどうだと話したのだ。蔦重は唐丸が生きて豊章と名乗り、かつての蔦重が提案した通りに錦絵を描いているのだと確信した。
続く次回予告では、唐丸と明和の大火や鳥山石燕(片岡鶴太郎)との関係など、唐丸の秘められた過去がようやく判明することが期待されるシーンが公開された。
○唐丸は歌麿か、写楽か、北斎か
このシーンは、消息不明だった唐丸の生存の可能性に、視聴者の関心が集まったと考えられる。
唐丸が蔦重の前から姿を消してはや5年。蔦重は唐丸は生きていると信じているが、いね(水野美紀)は「生きてるわけないだろ!」と現実的。唐丸を強請(ゆす)っていた向こう傷の男(高木勝也)が水死体で発見されているので、いねの意見はもっともかも知れない。しかし蔦重は、北川豊章の絵を唐丸の筆によるものと確信している。
SNSでは、「ついに唐丸ちゃんがカムバックするの!?」「唐丸くん、あなた歌麿なの? 写楽じゃなくって?」「北川豊章の変幻自在な画風を見て唐丸かと気づけるのは蔦重だけだね」と、唐丸の生存をほのめかす展開に大いに盛り上がった。
唐丸の正体についてはこれまで、喜多川歌麿や東洲斎写楽、葛飾北斎などが予想されていた(※公式ではネタバレされている)。歌麿は1753(宝暦3)年の生まれで蔦重とは3歳しか変わらないので年齢が合わないと推察する意見も多かったが、歌麿の生年は1806(文化3)年に54歳で亡くなったという没年から逆算されたもの。生年だけでなく出身地なども不明なので、蔦重との年齢差が3歳よりもっと離れていた可能性は十分にある。
蔦重が豊章を知るきっかけになった本の作者である松泉堂は作中では、西村屋与八(西村まさ彦)が使っていた号だったが、史実では二代目西村屋与八となっている。西村屋に婿養子で入った鱗形屋孫兵衛の二男・万次郎(野林万稔)。二代目は松泉堂以外にも山巴亭青江、栄寿斎の号を使い戯作を送り出している。吉原で育った少年が長じてスゴ腕の絵師となり、蔦重のプロデュースによって鮮烈なデビューを飾る、というサクセスストーリーを視聴者は期待しているのか、唐丸のエピソードを含んだ予告も高い注目度を獲得している。生い立ちなど謎の多い唐丸だが、次回でいよいよ明らかになるのだろうか。
●誰袖に言い寄られて折檻される
3番目に注目されたシーンは20時30分で、注目度70.9%。誰袖(福原遥)に言い寄られる蔦重が、志げ(山村紅葉)に折檻されるシーンだ。
往来物を成功させた蔦重が通りの桜を眺めていると、突然、背中から誰かに抱きつかれた。かをり改め誰袖だった。振袖新造だった彼女も今や立派に花魁となっていた。
幼いころから言い寄ってくる誰袖を、蔦重は全く相手にしていないが、周囲からは疑いの目が向けられている。金魚のふんのように後をついてくる誰袖に、蔦重は吉原の男と女郎について説くが、誰袖はどこ吹く風である。
すると案の定、蔦重は誰袖を連れ戻しに来た志げに仕置き棒で尻を思い切り叩かれた。「戻ってください、花魁。蔦重のケツが割れちまいますよ!」険しい顔ですごむ志げに誰袖は、にこやかに志げにじゃれついて「兄さん、身請け待っておりんすよ」と言い残して誰袖は去っていった。
○「艶やかさと小悪魔感が絶妙で存在感がすごいね」
ここは、周囲をはばからず蔦重に一直線の誰袖を、視聴者がハラハラしながら画面を注視したと考えられる。
少女の頃から蔦重にぞっこんの誰袖だが、成長して美しい花魁となっても相変わらず激しいアプローチをかけまくる。吉原の男と女は一緒になれないという掟をモノともせず、明るく奔放な誰袖は今後のキーマンとなるのだろうか。
SNSでは、「誰袖、艶やかさと小悪魔感が絶妙で存在感がすごいね」「瀬川と比べて誰袖は子供っぽいけどそこが魅力的だなぁ」「誰袖さん、次郎兵衛義兄さんみたいな癒しキャラになってくれそう!」と、大人になった誰袖に魅了された視聴者のコメントが集まっている。これから吉原は賑やかになりそうだ。そして、突然倒れた主人の市兵衛。大文字屋に波乱の予感がMAXである。
今回、初登場を果たし、大きなインパクトを残した誰袖(※大人バージョン)だが、瀬川と同様に実在した花魁で大文字屋に在籍していた。1783(天明3)年に刊行された狂歌集『万載狂歌集』に彼女が詠んだ狂歌が収録されており、教養の高さがうかがえる。あの天真爛漫さで、実は教養もあるというのは無敵の設定だ。
誰袖を演じる福原遥は、研音に所属する埼玉県出身の26歳。女優、声優、歌手、タレント、ファッションモデルとマルチに活躍しており、大河ドラマは『べらぼう』が初出演となる。2009年から13年まで放送された子供向け料理番組『クッキンアイドル アイ! マイ! まいん!』で、主人公・柊まいんで大いに注目を浴び、「まいんちゃん」の愛称で親しまれるようになった。横浜流星とは2014年に公開された映画『烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE ギャラクシーラインSOS』で共演しており、誰袖とは真逆のツンとした性格のゲストヒロイン・レディを魅力的に演じた。11年ぶりに共演となる2人だが、今後の展開に注目が集まる。
●九郎助稲荷(綾瀬はるか)が初回以来の登場
第17話「乱れ咲き往来の桜」では1780(安永9)年の様子が描かれ、新たに「往来物」に挑戦する蔦重と、それを阻もうとする鶴屋喜右衛門(風間俊介)たち地本問屋の攻防が展開された。また、幕府では十代将軍・徳川家治(眞島秀和)の嫡男・徳川家基(奥智哉)の死去に伴う後継者問題が表面化する。
注目度トップ3以外の見どころとしては、初回以来に姿を見せた九郎助稲荷(綾瀬はるか)が挙げられる。スマホで繁盛する耕書堂を写真に撮ったり、田沼意次とともに清水重好(落合モトキ)に謁見したりとやりたい放題だった。「自撮り写真の加工とコンでた…が超キュートだった!」「ちょんまげ姿で頭を下げたときに見えたしっぽがモフモフで最高」などと、その愛らしさはSNSで話題となった。今後もたまには登場してほしい。
そして、吉原を足抜けした小田新之助(井之脇海)とうつせみの近況も注目されている。平賀源内のツテで百姓として生活していたようで、「新之助とうつせみ、幸せに元気でやってるのね。ほんとによかった」「無事だっただけでなく、蔦重に新しい商売のヒントも与えてくれるなんて、新之助えらい!」と、意外にも平穏な暮らしを送る2人に安堵した視聴者も多かったようだ。蔦重とは3年ぶりの再会だった。
また、意次の息子・田沼意知(宮沢氷魚)と佐野政言(矢本悠馬)の対面シーンもあった。意次への面会を求める政言への対応に苦慮する意知の姿は、その後の史実を知る視聴者をハラハラさせたようだ。SNSでは、「矢本さん演じる佐野政言の笑顔が怖い」「意知くんは不穏な空気を感じ取っているけど、意次さんはそうじゃないという温度差が…」と、悲劇の序章に多くのコメントが集まっている。佐野家の系図をないがしろにしたことを後ろめたく思う意知だが、事件は4年後に迫っている。
きょう11日に放送される第18話「歌麿よ、見徳は一炊夢」では、唐丸の過去や、蔦重と別れた後の足取りが描かれる。また、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)の筆に異変が起こり、松葉屋では抜き差しならない修羅場が展開される。
REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら

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