2006年に別れた恋人と2022年に再会したら…昔と今で何が変わった? コロナ禍が中国社会に与えた“大きな影響”
2025年5月13日(火)7時0分 文春オンライン
2001年に恋人同士だったチャオとビンは、2006年に決別し、2022年、中国北部の都市・大同で再会する。常に中国社会の「現在」を見つめ、この地で逞しく生きる人々のドラマを描いてきたジャ・ジャンクー監督。6年ぶりに発表した最新作『新世紀ロマンティクス』が映すのは、一組の男女が歩んできた二十数年の道のり。二人の別れと再会、そして彼らが出会った人々の姿を通して、21世紀の幕開けからコロナ禍を経た現在まで、中国が辿った激動の時代が浮かび上がる。
昨年のカンヌ国際映画祭でも大きな話題を呼んだのは、映画の一風変わった構成。自身の過去作、『青の稲妻』(2002)『長江哀歌』(2006)『帰れない二人』(2018)の本編映像を引用し、これまで撮り溜めてきた未使用の撮影素材と、新たに撮り下ろした場面を組み合わせて作られた異例の「新作」なのだ。
しかも主人公は『青の稲妻』に登場したチャオとビンで、演じるのも同じ俳優、チャオ・タオとリー・チュウビン。長い時間を経て、同じ物語が全く別の形で語り直されたともいえるが、なぜ今このような映画を作ろうと考えたのか、独創的な構成はどのように発想されたのか、ジャ・ジャンクー監督にお話をうかがった。

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中国社会は、コロナ禍を機にまた封鎖的な社会に戻ってしまった
——『帰れない二人』のプロモーションで来日された際、監督が、「過去2作(『青の稲妻』『長江哀歌』)で描き切れなかったことを、『帰れない二人』ではラブストーリーとして完結させたかった」とおっしゃっていたのが印象に残っています。過去作からの引用を数多く使った本作の製作も、同じような関心から始まったのでしょうか? そもそもの始まりを教えていただけますか。
ジャ・ジャンクー 2001年頃、私はカメラを手に中国各地を回っては、そのときそこで出会った人々や風景を映していました。当時の中国は新世紀を迎えたばかりで非常に活力に溢れた時代でした。撮影した映像は『デジタルカメラを持った男』というタイトルでいずれ一本にまとめようと考えていたものの、チャオとビンが恋人同士だという設定以外は何も決めていなかった。その場で偶然出会ったものをただ映し、物語や構成は編集の際に決めればいいと思っていたので。結局素材はそのままになり、私はその間に『青の稲妻』『長江哀歌』『帰れない二人』といった映画を作りました。そして新型コロナウィルスによるパンデミックが始まり、いよいよこの映画の編集に取り掛かろうと決めたのです。
——本作のもとになった『デジタルカメラを持った男』という作品は、当初からチャオとビンの物語として構想されていた、ということでしょうか?
ジャ・ジャンクー 必ずしもそうとは言い切れません。当時の撮影は山で狩りをしているようなもので、街なかにいる人々にカメラを向けることもあれば、俳優をいろんな場所に連れていきそこで思いついた演技をさせたりもした。その場で偶然出会ったものをただ映していただけで、物語といえるようなものは何もなかったんです。
——つまり過去に撮り溜めた素材を、コロナ禍を機に蘇らせたわけですね。編集にとりかかったのがこの時期だったのは、なぜでしょうか?
ジャ・ジャンクー 「改革開放」(注:1978年から開始された、中国を共産主義経済から資本主義経済に転換させる政策のこと)を掲げひたすら前に前にと突き進んできた中国社会は、コロナ禍を機にまた封鎖的な社会に戻ってしまったと私には感じられたのです。パンデミックによって、これまでの成長が突如として中断してしまった。社会は一度終わってしまったのではないかとさえ感じたのが、あの時期でした。そういう大きな変化の中で、過去に自分が撮ったチャオとビンの物語について再び考えるようになりました。活力に満ちた時代から保守的な世界に戻ったこの社会で、あの二人はどんなふうに生きているのか。時間が一度止まったかに思えた今、この映画を完成させ、彼らの物語を終わらせようと考えたのです。
この映画を作った一番の動機は、今のこの時代を理解したいということ
——なるほど。当初この映画を見たときは、過去の自作を引用しながら新作を作ったという点で、レオス・カラックス監督がある種のセルフポートレイトとして作り上げた最新作『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』とのつながりを想像しました。でも今のお話をうかがうと、『新世紀ロマンティクス』は、これまでの自分の歩みを振り返るというよりも、この20数年間の中国社会のありかたを振り返る意味合いが強かったのかな、と感じられてきました。
ジャ・ジャンクー 『新世紀ロマンティクス』の英語タイトルは「Caught by the Tides」(時代の潮流に流されて)。人間とは、大きな社会の流れのなかで絶えず時代の潮流に流されて生きていく、そういう受動的な存在なのかもしれない。それならばこの二十年来の時代の潮流を通して、今の時代の気分とはどんなものなのかを考えてみよう。それが、私が編集のときに考えていたことです。
おもしろいことに、コロナ禍で社会の流れが途絶えた一方、科学技術の進歩によって、我々はこれまで経験したことのない新たな世界に足を踏み入れようとしています。中国では、今やあらゆる取引がインターネット上で行われ、さらにAIとロボットが登場し、人間との共存という新たな課題が生まれてきた。この映画を作った一番の動機は、今のこの時代を理解したいということでした。そのために、一度過去に戻り時代の流れを振り返ろうとしたわけです 。
——関心があったのは「過去」ではなく「現在」だったわけですね。
ジャ・ジャンクー 編集の際にずっと考えていたのは、今の時代の気分をどうやって捉えるか、ということでした。今私たちが生きているのは、非常に不確定かつ情報が溢れかえった世界です。だからこれまでのような伝統的な語り口、ストーリーで映画を引っ張っていく方法では、今の時代はとても語りきれないだろう。そういう思いが日に日に強くなっていきました。何の因果関係もないまま、突然何かがぱっと現れ世界が一変してしまう。そんな時代を描いた映画にするには、編集の仕方もこれまでとはまったく別のものにしなければいけないと考えたんです。
そのとき、私の頭のなかには物理学と量子力学の違い、というアイディアが浮かんできました。物理学の世界には、ニュートンが発見した万有引力の法則がありますよね。りんごが必ず上から下に落ちるように、二つの物体の間には必ず力が働き合う、という考え方です。
「過去にこういうことがあったから、今これが起きているのだ」というように、一つの出来事ともう一つの出来事との間には明確な因果関係があるのだと。それに対して、まったく別の場所にあって本来無関係である二つのものが、実は離れたところで互いに作用し合っている、というのが量子力学的な考え方であり、それこそまさに現代という時代に起きていることではないかと思えてきたんです。
ですからこの映画では、量子力学的な視点から、一組の男女が過ごしてきた長い年月を見てみようと考えました。彼らそれぞれが経験してきたものは膨大な情報量となっていて、それらは本来関係しあってはいない。でも二人の間にはきっと何かが作用しあっている。論理で説明はできないけれどここにはなんらかの相関関係がある。そう考え直し、これまでの編集の仕方とはまったく違う形で彼らの物語を語ろうと、もう一度素材と向き合っていきました。
未知の社会を捉えるには新たな映画作りの方法を考えるべき
——とてもおもしろいお話ですね。具体的にはどういうふうに編集作業を行ったのでしょうか。普通の劇映画のように、まずは脚本があり、それをもとに撮影して、最後に編集をしていく、というスタイルとは違う作業となったのでしょうか?
ジャ・ジャンクー この映画の編集作業はとても特殊なものだったと言えます。そもそも2001年に『デジタルカメラを持った男』を構想し始めたときは、脚本といえるものはまったく存在していませんでした。編集に取り掛かりこれまで撮った素材を見返していったわけですが、その過程で私をもっとも感動させたのはまさにチャオとビンという二人の存在でした。私はまず長い年月の彼らの歩みを30分ほどの物語にまとめてみたのですが、これだけではまだ自分の言いたいことが表現しきれていない、チャオとビンの間に起きた非常に複雑な感情のドラマは描ききれていないと感じたんです。
そこで私は、二人を取り巻く周囲へとストーリーを拡大していきました。彼らの周辺で起きたさまざまな出来事、そこにいた人々を描くことによって、チャオとビンの物語がより鮮明になるとわかったのです。そうして、この二十数年間に彼ら二人の間に起こったこと、彼らとは直接関係がないものも含め、今までさまざまな場所で撮ってきたものを繋ぎ合わせて現在までを描くという方式を考えだしたわけです。
——つまり『新世紀ロマンティクス』は編集作業の中から新たな物語が生まれてきた作品なのですね。お話を聞くにつれ、構想から成り立ちまで、これまでのジャ・ジャンクー監督の作品とはまったく異なる映画なのだと思えてきました。
ジャ・ジャンクー 映画の形式は社会の変化と常に連動します。未知の社会を捉えるには新たな映画作りの方法を考えるべきなんです。
——監督の次の作品も、また私たちを驚かせるような新しいスタイルの作品になるでしょうか。
ジャ・ジャンクー ぜひそうしたいと思っています。私はこれまで、何十年という長い期間を描く物語を何度も作ってきましたが、今の自分が関心を持っているのは、今この目の前にある世界をどういうふうに描くか、自分にとって見知らぬ「現在」というものを映画によってどう理解できるか、です。できればなるべく早く、次の作品に取り掛かりたいと思っています。
(月永 理絵/週刊文春 2025年5月15日号)