吉高由里子主演「わたし、定時で」で考える「仕事とは何か」

5月14日(火)16時0分 NEWSポストセブン

ドラマ『わたし、定時で帰ります。」の公式サイトより

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 放送回を重ねるごとに話題のお仕事ドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS系列火曜夜10時〜)。物語もいよいよ中盤戦に差し掛かった。ドラマには「定時帰り」をめぐるさまざまな“あるある”がちりばめられており、視聴者に身近な内容になっているのも話題をさらう理由だろう。


 たとえば、仕事が終わったと思って退勤したが、その後、トラブルが発生。不在の本人に代わりオフィスにいるメンバーでその場を切り抜けるといったことは現実でもよくある。ドラマの第4話でも、ウェブエンジニアの吾妻(柄本時生)が定時で帰った日の翌日、午前半休を取った彼のミスが発覚し、上司の種田(向井理)がカバーして事なきを得る場面がある。


 そんな「定時帰りにまつわる“あるある”」を詰め込むだけではないのが、このドラマのおもしろいところ。「今後、普通の“お仕事ラブストーリー”になっていくのではないか」という筆者の勝手な懸念とは裏腹に、人生の幸福と仕事の関係の本質的なところに切り込んでいる。


 たとえば第4話のメインキャラクターになったのは、家に帰らず、サービス残業をしまくる前述の吾妻だった。ヒロイン・東山(吉高由里子)のチームの一員である吾妻は、数時間の残業のあと一度退勤し、食事と風呂を済ませ、再びオフィスに戻って深夜一人で「サービス残業」をするというスタイルを続けている。まさにオフィスに“住んでいる”のだ。


「うちの会社にも、こういう人いるいる」と実感する人、多数。昨今、定時に帰れるようになってもあえて家にはまっすぐ帰らず、飲みに行ったり、書店や喫茶店で時間をつぶしたりして、結局、帰宅が遅くなる“フラリーマン”なる言葉も生まれている。


「自宅に帰ってもやることがない」。実はこれは、定時帰りがなかなか定着しないひとつの理由なのかもしれない。「人生なんて、ただの暇つぶしでしょ」とうそぶく吾妻。やりたいこともなければ、才能もない、どうせ出世も無理だろう、家にいても気が滅入るだけ……と、どこか人生をあきらめたような風情だ。


 このドラマを毎週見ているという、社員200人の中堅製造会社を経営する70代のある社長はこう言う。


「現代においては、食えなくて死ぬことはまずなくなり、仕事はより生活レベルを上げるためにやるものになった。生活レベルを上げる気がなくなれば、仕事でよい結果を出そうというモチベーションが働きにくくなる。かつてみんなが貧しい時代は、みんなが生活レベルをあげようとした。仕事を頑張る目的がみな一致していた。


 けれど、いまは生活レベルを上げたい人もいれば、そうでもない人もいる。目的をもって人生を過ごす人にはそうでない人が信じられず、ダメ人間に見えてしまう。仕事を頑張る目的も、その情熱の温度もあまりに違いすぎる。だから、他人の仕事のスタンスが理解できず軋轢が生じる。そうした人間関係が会社経営で一番難しいところ」


 周囲から責めを受けやすい吾妻だが、ヒロイン・東山はそこにもやわらかな視線を向ける。


「私たちには給料日がある」


 お金を得ることを楽しみに働くのも悪くはない、というのだ。たとえ高尚な目標がなくても、普通に仕事をしてお金を稼ぎ、日々の生活の中から少しでも楽しめる時間を見つけ出せたなら、それでもう生きる理由としては十分だ、と。


 人生が死ぬまでの暇つぶしなのだとしたら、お金を得られて、ごくたまに達成感を味わえる仕事は、暇つぶしの手段としては悪くない。私たちは仕事というものを、重大にとらえすぎているのかも──『わたし、定時で帰ります。』は、そんなことさえ考えさせてくれる稀有なドラマである。


●取材・文/岸川貴文(フリーライター)

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