進学を妨げた父、偏った美意識を持つ母。親を反面教師に生きてきた末の決断

5月17日(月)12時30分 婦人公論.jp


イラスト:あずみ虫

子どもの人生に干渉し、害悪を与える「毒親」という存在。その親たちが老後を迎えたら……? 勝手な振る舞いを続ける父母に人生を左右されてきた鈴木さん(パート、51歳)。両親を反面教師にして、達観したことは?

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父と母のけんかの仲裁はいつも私の役目


「尊敬する人は?」と聞かれて「両親です」と答える人は、この先は決して読まないでください。

実家は祖父の代から建具店を営んでいたため、両親はいつも忙しくしていました。私は物心ついてから結婚して家を出るまで、旅行に連れていってもらったこともなければ、親と外食もなし。記憶に残るような会話もしたことがありません。

父は79歳。引退して、現在は花や野菜を作り、少しですが販売もしています。78歳の母は、結婚以来ずっと専業主婦。私は三姉妹の長女で、実家から歩いて5分のところに住み、2人の妹も実家近くに住んでいます。

母は掃除が苦手で、家の中はいつも不潔でした。そのくせ自分の容姿に強いこだわりがあり、偏った美意識を子どもにおしつける。自分勝手で、子どものことより自分が一番好きな人でした。

私が通学区で2番目に偏差値の高い高校に合格したとき、母の放った一言に、あ然としたことを覚えています。「おまえのせいでみんなに無視される」。母は日ごろから近所の人の前で私のことを、「容姿に恵まれず、勉強もできないバカ。行ける高校があるのかしら?」と繰り返し言っていました。

自慢すると嫌われる、謙遜するのが美徳だ。そう信じていたのです。私が難関高校に受かったので、近所の人から見れば「あの奥さん、嘘つきね」ということになる。私のせいではありません。自業自得だと思います。

父も父です。280人中8番の成績で入学した私は、大学進学を考えてもよかったでしょう。しかし私は高卒で就職。父は入学してすぐの家庭訪問で先生に、「これ(私)は家に置いとくのだで(家を継ぐ子だから)。進学はさせん」と、まるで3匹生まれた子猫を仕分けるように勝手に決めたのです。「この家が絶えたら、近所の笑いものになる」というのが理由でした。父は私の人生がどうなろうとまるで興味がないのです。

そんな両親の仲は年々悪くなっていきました。父は昔から、酒を飲みすぎてはネチネチと母をいじめる人でした。母に対して日ごろのストレスをぶつけ、母も負けじと反発する。エスカレートすると、つかみ合いのけんかになり、母が電話してきて私を実家に呼びつけます。父は「どちらが正しいか言え!」と怒鳴りつけ、「俺は哀れだ」と大声でわめく。

一度、母をかばった私に父がつかみかかってきたことがありました。私は倒れてしまいお尻を強打。つかまれた両手首に真っ黒なアザができました。その日私は大腸ポリープの切除を受けたばかりで、安静にするよう医者に言われていたのに。父が暴れたせいで、家の中はめちゃくちゃ。父も顔から流血していました。

このように私の両親は、お世辞にも尊敬できるところがないのです。

ハイビームで家を照らし二人の姿を探す


11月のある日、夕食の支度をしていると、自宅の電話が鳴りました。またかと思い、「忙しいんだけど?」と冷たい態度の私。母は「おい、だめだで。来ておくれ」。聞けばまた父が酒に酔って、今にも暴れそうだとのこと。行くと1時間は拘束されます。私は家事を済ませ、22時前に実家にかけつけました。

玄関の灯りは消えており、鍵もかかっている。玄関先で実家の電話にかけると、家の中から電話の呼出音だけが響いてきます。「ああ、ついにどちらかが殺しちゃったかな」と最悪の事態が頭をよぎりました。郵便受けに必死で顔を近づけて臭いをかいでも、ガスや煙の臭いはしないので、火事は起こっていないらしい。裏口かお風呂場か勝手口か、どこかが開いているかもしれません。懐中電灯を持っていないのでなす術がない。

仕方なく一度自宅へ戻り、懐中電灯を持ってきました。車のヘッドライトをハイビームにして家を照らし、懐中電灯を持って家のまわりを一周。再び携帯で実家の電話と父の携帯へ、交互にかけます。標高の高い長野県の冬の夜、気温は氷点下まで冷え込んでいる。手も足も顔も、冷たいのを通り越して痛いほどです。

「とりあえず火事ではなかったし、もう帰ってもいいよね」と自分を納得させ、家に着いたのは23時。その夜は気分が悪いまま風呂に入り、寝るしかありませんでした。

翌朝8時に実家に電話してみると、母が何事もなかったかのように「おはよう」と言います。「昨夜、行ったんだけど」。いらつく私に、母は受話器の向こうで笑っている。まるで特ダネをこっそり教えてあげるというような口ぶりで、「うふふふふ。隠れていたの」「どこに?」「うふふふ。仕事場の2階」と言いました。すごいでしょうとでも言いたげでしたが、そんなことどうだっていい。

仕事場に続く階段は簡素な木製で、扉もありません。ですから、外で物音がしたら気がつかないはずはない。「すぐに来てくれなかったから、隠れて心配させてやろう」という母の幼稚な考えに、心底あきれました。

私はこんなふうになりたくない、と両親を反面教師として生きています。しかし「親が自分を幸せにしてくれなかった」「大学に進学させてくれなかった」というのは言い訳にすぎません。親とけんかしてでも「大学に行きたい」と言わなかった自分が一番悪いのです。

今からでも行ける大学があると知り、3年前に大学生になりました。不満を言う前に、こんな自分でも誰かに何かしてあげられることがあるはずだと、いつも前だけを見るようにしています。

幸せな家庭、いい職場、友人に恵まれ、今この上なく幸せに暮らしているのも、両親に育ててもらったから。両親の介護が始まったら、そう思いながらがんばろうと今は思っています。

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