ぼくらの近代建築散歩 in韓国[釜山・群山・木浦篇]——万城目学×門井慶喜 #1

5月18日(金)17時0分 文春オンライン

 あの名物企画が帰ってきた!  『ぼくらの近代建築デラックス!』 で大阪、京都、神戸、横浜、東京の名建築をたずね歩いた万城目学さんと門井慶喜さん。今回は韓国に渡った建築探偵コンビ。日本統治下時代に日本が造り、韓国が残してきた建築遺産を人気作家の2人はどう見たのでしょうか——。「 ソウル・仁川篇 」に続き、「釜山・群山・木浦篇」です。(全2回/ #2 に続く)


◆旧広津吉三郎邸(群山)





門井 大雪のソウルを抜け出してKTX(韓国高速鉄道)に乗ること1時間。韓国中部にある港町、群山(クンサン)にやってきました。


万城目 韓国の方に「近代建築を見るために群山に行く」と言うと、みんな口々に「いま群山は日本家屋がおしゃれに改造されて、とても有名なんです」と納得する。どんなものだろうと楽しみにきました。


門井 群山は1899年開港。1930年代には、穀倉地帯の全羅道(チョルラド)から日本へコメを輸出する一大基地として発展しました。それで当時は多くの日本人が生活していた。日本人経営のパン屋が源流の韓国最古のベーカリーショップ「李盛堂」も群山にある。今日も、韓国人の観光客で大行列ができていましたね。



万城目 アンパンが名物ということで、われわれも一つずつ食べましたが、同行の編集者が「普通にアンパンですね」という一番言ってはいけない感想を口にしていた(笑)。小説家も、作品を「普通に面白かった」って言われるのが一番がっかりしますからね。「伝えるべき感想はない」と言っているに等しいですから。


門井 日本人にも全く違和感のない味だったことは確かです(笑)。そのパン屋からしばらく歩いて、私が挙げた「旧広津吉三郎邸」にたどり着きました。ここは米穀商として富を築いた広津吉三郎が1935年に建てた日本家屋。山口県出身の広津は、釜山(プサン)に渡って炭売りから身を起こして成功した事業家です。建物は2階建てで10部屋もある。ちょうど改装工事中で、中には入れませんでしたが、隣のお店の2階からよく見えます。



日本統治下の映画のロケ地として使われるのも納得


万城目 えらい立派ですね。


門井 九州の炭鉱王、高取邸みたいなのと比べたら規模の点ではお話になりませんが、韓国にありながら、びっくりするくらい教科書通りの日本家屋であり、日本庭園。日本統治下を舞台にした映画のロケ地として使われるのも納得です。



万城目 日本なら高級旅館として残っていそうな建物ですよね。庭には桜も植えられて、春夏秋冬何か咲くんでしょうね。


門井 生け垣の近くにはセンリョウの赤い実がなっていました。そして雨どいはブリキ。屋根は瓦葺で切妻屋根。だから、ある意味で、さきほどの「アンパン」と同じですよね。日本で食べることができる普通の味。もちろん建設当時は資材も日本から運び、宮大工も呼んで大変だったと思います。でも、結果として出来上がったものは、日本人にとって極めて普通。


万城目 お金持ちになると、結局は母国と同じものを建てる方向に行くんですね。あらゆる人種が。神戸の丘の上に洋館を建てるのも、母国の金持ち風。地元の名家的な豪邸は建てないですよね。


 コンパクトな街ですから、2時間あれば一通りの建築を歩いて見てまわれます。広津邸の近くには、どこからみても完全に日本のお寺「東国寺」がありました。


門井 外から見ただけでは違和感がないけど、一歩なかに入ると、どちらかというと中国のお寺に近かったですね。内と外でギャップがありました。



万城目 そして、境内の中に何気なく立っているものがあると思ったら、慰安婦像でした。まったく予期していなかったからハッとしましたね。



門井 僕らが慰安婦像の前で、日本語でしゃべっていたら、目の前にいた若い韓国人カップルが、そそくさとわれわれに気を遣うようにして立ち去って行ったのがすごく印象的でした。僕の解釈では「日本人がこんなもの、見ていいのかしら」という感じ。


万城目 ちょっと気まずい。


門井 そうです。「憎き日本人がいた」でも、「これを見て勉強しやがれ」でもない。あの反応が面白かった。


万城目 お互いそれが意味することをよく知ってはいるけれど、直接話し合ったことも、共通理解もないものを突然間に挟んで、ぎこちなかったですよね。でも、「ああ、こういう風に置かれているんだ」と慰安婦像が置かれる思考のパターンが分かった気がしました。つまり韓国人には、日本の建物と慰安婦像が両方あるのは納得の組み合わせなんだと。


門井 日帝時代のものとワンセットにして、韓国人への、あるいは朝鮮史に対する一種のエクスキューズになっている。そのパターンが分かってしまえば、われわれも親しみこそ覚えませんが、距離を置いて余裕をもって見ることができる。目を吊り上げてキリキリするものではないと。


「インスタ映え」する日朝問題


万城目 ニュースを読んでカッとなる気持ちはわかるけど、実物を見ると本当に静かにポツンとあって気付かない人は気付かない。切り取り方次第ですね。少なくとも、お寺に対する感情については、日本人がどうとかなくて、本当に観光資源として、歴史的なものとして残している感じがしました。


門井 慰安婦の問題と慰安婦像の問題は別に考えた方がいい。慰安婦像は、ネット時代特有の現象なんですよ。


万城目 シンボルですよね。


門井 「インスタ映え」する日朝問題というか。


万城目 群山の観光客は、別に日本人のことなんて、特別何も考えていない感じでしたけどね。


門井 明らかに日本統治下に建てられた旧群山税関の前でも、若い韓国人学生に写真撮影を頼まれた。撮ってあげたら「ありがとう」って、まったく屈託なく日本語でお礼を言われて。僕からすれば、「日本人だけどいいんですか?」みたいな気持ちもあったんですが。



万城目 町全体で見ると、積極的な町おこしの成果としてそこそこ日本家屋が残っています。韓国では「敵産家屋」という、ずいぶんいかめしい呼び方をしているけど、ごくごく普通の庶民が住んでいたであろう普通の民家です。なかには日本家屋を修復してカフェにしたり、レストランにしたり、リフォーム物件もあって、われわれもそんな旅館に泊まりましたけど、結局できているのは、伊勢神宮前の「おかげ横丁」でしたね(笑)。もしくは、昭和を懐かしむラーメンテーマパーク。手を入れても、似て非なるものなんです。仁川(インチョン)と同じで、日本人という当事者は既にいないし、ちょっと滑稽さがある。


門井 群山市の観光スローガンの一つが「Hello, Modern 1930’s」。衝撃的でした。完璧に日本統治時代ですから。ということは、いままさに、その時代にハローという感じで、朝鮮の人々が出会っているタイミングなんですかね。


万城目 いま日本では「30年代のような暗い言論状況」とかしきりに言われている時に、「ハロー30年代」ですか。


門井 日本人だとハローとストレートには言えない時代です。満州事変が1931年ですから。


万城目 さらに国際連盟脱退、二・二六事件、日中戦争と、ろくでもない30年代(笑)。


門井 まさか韓国でハローとは……。観光客に若者がとにかく多くて、それも歴史好きのグループっていう感じでもない。


万城目 カップルもいたし。ちょっとしたデートコースですよ。そういえば、伊勢の「おかげ横丁」も最近はカップルめちゃくちゃ多いですけどね(笑)。



◆旧木浦日本領事館(木浦)


万城目 群山から高速バスに乗ること3時間、木浦(モッポ)にやってきました。朝鮮半島の最西南の港町です。


門井 ソウルが東京、釜山が大阪だとすると、木浦は長崎かなと思いました。まず風景が似ています。やや小さめの港があり、そのすぐ後ろに山がそびえる。そして、海との間に小さな家がいっぱいあって、その家々が山まで迫っている。


万城目 グラバー邸みたいな感じですかね。


門井 そうですね。釜山、仁川に次いで1897年に開港した歴史ある港で、規模もこの二大都市に続くレベル。そのあたりも長崎と似ていると考えると、親しみやすい。この街にあるのが、万城目さんお勧めの旧木浦日本領事館です。


万城目 丘の上から街すべて見下ろす感じで建っているのがこの建物。レンガ造りで、今見ると「あら、オシャレ」とか言ってしまいそうですが、当時は嫌な存在だと思いますよ。山の南側の一等地に建っていて。そこから街全体を監視しているみたいで。



パチンコ台の部品? いえ、菊の花です


門井 そうでしょうね。歴史博物館で仕入れた情報をお伝えしますと、木浦開港と同時に領事館を置いたのは日本だけだったそうです。イギリスもロシアも置かなかった。そしてたった3年で、日本はこんな立派な領事館を建てた。


 屋根には煙突が4本もあって、飾りかと疑いましたが、建物に入って一つ一つ確かめたところ、すべて暖炉に直結した本物でした。燃料の消費量は相当なものだったでしょう。1900年時点でこれは贅沢です。面白いのは1910年の日韓併合後、建物の名前が、領事館から「木浦府庁舎」に変わる。


万城目 そのまま日本の内政機関になるわけですね。終戦後は木浦市庁舎となり、図書館や文化院として使われ、いまは歴史近代館。設計者は分からないんですが、細かいところまで凝って作られています。窓の上にパチンコ台のクルクル回る部品みたいなマークがあるなと思ったら、菊の花だそうです(笑)。


門井 1900年段階でこのデザイン、これも広い意味で「辰野式」と言っていいかもしれない。赤レンガを積んで、細いながらも白い花崗岩のラインをつける。これは当時、内地でまさに一番流行していた。まったく遅れていないですね。


万城目 僕はレンガ造りが基本好きなんですけど、たいてい穏やかで明るいイメージを振りまいているものなのに、この建物はめずらしいくらい分かりやすく威張っていますよね。今日は天気が良いから明るい建物に見えますけど、天気の悪い日には嫌だろうなぁ。どんよりとした空の下に、帝国主義の親玉が住んでいるという、絵にかいたような悪ぶり方(笑)。地元の人々からすると、怖かったんじゃないですかね。


 でも、間違いなく今後この町には永遠に生まれ得ない建物でもあると思うんです。だから、どうしてもオシャレな近代建築として存在は残っていくと思うんですよ。いいイメージの建物として。それはやっぱり「まかりならん!」ということで、慰安婦像が配置され、いいイメージに流れるのを相殺している。


 そうなんです。我々が建物の見学を終え、階段を下りるとそこに突如2体目の慰安婦像が。東国寺のものと同じようなデザインでした。



門井 まさに相殺。天秤のもう一方のお皿におもりを乗せている感じですね。



万城目 どれほど「恨」の国とはいっても、韓国の人も、やっぱりいつかは忘れていっちゃうと思うんですよ。それで、オシャレな建物が丘の上にあるとしか思わない時代がくる。その予防のための、20年30年後を考えた配置やなと。で、いつか韓国の人も、この慰安婦像ですら歴史の一コマになって、「そんなことで揉めていたときがあったんだ」という時代がやってくる。その時に両国のポジションが完成するのかな、と思いますね。まだ揺れていて、記憶をどう色づけるかのせめぎ合いの中です。


 僕らは、丘の上の公園まで車で上がりましたから、建物をあちこち楽しく見て回って、写真撮影をして、さあ帰ろうと丘を下って行ったら、群山に続いてまた慰安婦像と再会して……。


門井 冷や水を浴びせるかのように(笑)。


万城目 慰安婦像に叱られましたね。領事館から石段を下っていくと、そこから港まで大通りが一直線に伸びている。普通の観光客はその道から来ますから、「あそこに領事館がある」と向かってくると、まず慰安婦像がお出迎えするという仕組みになっております。マフラーや靴下を身に着けていて、腰には貼るカイロ。見た目は少女だけど、イメージはお婆さんなのかも。


門井 確かに。年齢的にはそういう意識なのかもしれませんね。


万城目 韓国を歩いて気付いたのは、この国は日本では考えられないくらい、いたるところに銅像があるんですよね。何十倍も。それもきわめて写実的な金銅像が街中に唐突にある。


門井 そうなんですよ。もともと路上にそういうものを置く文化が、慰安婦像より先にあった。


万城目 作ることも、置くこともあまり違和感のない文化なんでしょう。なので、ここも日本の感覚で捉えると、韓国の実際より加重されて伝わってしまうところがあります。


高校生が犠牲になったセウォル号事件 追悼の黄色いリボン


門井 木浦では、引き上げられたセウォル号も見かけました。



万城目 仁川から済州(チェジュ)島に向かう途中に沈没して高校生ら295人が亡くなった大事故。遺骨が見つかっていない遺族の声に押され、事故から3年が過ぎた2017年に莫大なお金をかけて引き上げられた先が木浦新港でした。海辺の強い風で一斉に揺れる、ものすごい数の、追悼のための黄色いリボンに圧倒されました。もう、遠くから船体を眺めて手を合わすことしかできませんでした。


門井 そうですね。


万城目 周辺には被害に遭ったクラスの集合写真が貼ってあって、みんな笑顔で。まだ高1ですから幼くて……。


門井 船が横に寝ているっていう視覚的な強烈なインパクト。現代芸術家でも思いつかないようなフォルムが、悲惨な事故のインパクトを伝えていました。


万城目 船が静かに死んでいる、って思いましたね。


( #2 に続く)



■万城目学さんお勧め建築

1「仁川税関旧倉庫」(仁川、明治後期)

2「旧京城医学専門学校付属医院」(ソウル、1928年)

3「旧ソウル駅」(ソウル、1925年)

4「旧木浦日本領事館」(木浦、1900年)

5「旧釜山税関庁舎」(釜山、1911年)

6「影島大橋」(釜山、1934年)



■門井慶喜さんお勧め建築

1「旧済物浦倶楽部」(仁川、1901年)

2「旧朝鮮銀行本店」(ソウル、1912年)

3「旧京城裁判所」(ソウル、1928年)

4「梨花女子大学」(ソウル、1935年〜)

5「明洞聖堂」(ソウル、1898年)

6「旧広津吉三郎邸」(群山、1935年)



■番外

「東大門デザインプラザ」(ソウル、2014年)


※年は完成年





万城目学(まきめ・まなぶ)/1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒。近著に 『パーマネント神喜劇』 。現在、週刊文春で「万城目学の人生論ノート」を連載中。



門井慶喜(かどい・よしのぶ)/1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒。本年 『銀河鉄道の父』 で直木賞。別冊文藝春秋で辰野金吾を描く「空を拓く」を連載中。





(「オール讀物」編集部)

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