ぼくらの近代建築散歩 in韓国[釜山・群山・木浦篇]——万城目学×門井慶喜 #2

5月18日(金)17時0分 文春オンライン

 あの名物企画が帰ってきた!  『ぼくらの近代建築デラックス!』 で大阪、京都、神戸、横浜、東京の名建築をたずね歩いた万城目学さんと門井慶喜さん。今回は韓国に渡った建築探偵コンビ。日本統治下時代に日本が造り、韓国が残してきた建築遺産を人気作家の2人はどう見たのでしょうか——。「 ソウル・仁川篇 」に続く「釜山・群山・木浦篇」の後編です。(全2回/ #1 より続く)



釜山タワーから釜山港を見下ろす2人 ©石川啓次/文藝春秋


◆旧釜山税関庁舎(釜山)



門井 今回の旅の最終目的地、釜山にやってきました。1876年に開港した韓国第2の都市です。


万城目 釜山の街を歩いていると、都市として元気がよくて、独自性を感じますよね。釜山タワーに上り、街のスケールを感じたのちに、釜山税関まで歩いてきました。


 ここには渡辺節(わたなべせつ)が設計した1911年完成の本庁舎があったのですが、残念ながら道路拡張時に壊されて、いまは現在の税関庁舎の玄関脇に、このように鐘楼の一部が寂しく残されるのみです。横浜の開港記念館にそっくりな建物で、ランドマークとして釜山市民に愛されたそうなんですが……。



門井 もし残っていたら、渡辺節の朝鮮時代を代表する物件になっていたことは間違いないですからね。


万城目 本当に。写真で見る限り、朗らかな海と晴れた日がよく似合う建物だったのに。建設当時は言ってみたら帝国主義の先鞭としてまず港をおさえて、貿易額を上げて外貨を獲得するため税関を作るというのが、渡辺節が所属した度支部の仕事。だから、釜山税関の庁舎も相当大きかったようですね。


あと10年持ちこたえていれば……


門井 壊されたのは1979年だそうです。


万城目 そうなんですよ。僕の生まれたときにはまだあったんですよね。


門井 あの時代が、もっとも取り壊しが多い時期なんですよね。


万城目 日本でも保存しようなんて言い出したのは90年代じゃないですか。


門井 それこそ藤森照信さんたちが近代建築について活動して盛り上がった時代からですよね。この釜山税関も、あと10年持ちこたえていれば、保存派が生まれていたかもしれない。ギリギリのところで負けちゃった。


万城目 釜山は日本からも本当に近い。今朝上った釜山タワーからも晴れた日は対馬が望めるそうです。関空までも飛行機で1時間そこらで着いちゃう。


門井 東京=大阪間の感覚です。


万城目 そうなると、渡辺節さんは頻繁に帰国していたんでしょうね。


門井 以前にも紹介しましたが、渡辺節は韓国滞在中も福岡や広島に愛人がいて、週末ごとに連絡船で帰国していたそうなんですよ。


万城目 艶福家、渡辺節の本領発揮ですよ。釜山で図面を引いて、土日になったら対馬海峡を渡っていたんですから。



◆影島大橋(釜山)



門井 釜山って、日本でいうと大阪に近いと言われますけど、どうですか。


万城目 あまり大阪感はないですね。分からないなぁ。


門井 人口は確かにソウルに次いで2番目。そして、ソウルより南で暖かい。


万城目 そういえば、車の運転は荒かったですね。木浦から車で4時間は走って、釜山で高速を降りた途端に、殺伐とし始めた。


門井 そういう点は大阪か(笑)。


万城目 それで大阪って言われるのも、僕はちょっと不満ですけど(笑)。


 そうそう、途中の木浦からの高速道路の風景が、何となく奈良に似ていたんです。背の低いなだらかな山が続いて、木の豊かな感じが奈良あたりの高速を走っているようで。まさにかつての百済(くだら)の地を通過してきたわけで、ひょっとしたら百済から日本に逃げてきた渡来人は、奈良をふるさとと重ねたかもなあ、なんて思いました。


門井 僕はどっちかというと、港湾都市として神戸に近いような気もしました。そして、いよいよ最後の建築は港町らしく影島(ヨンド)大橋。万城目さんのお勧めです。


万城目 最後にふさわしく、いまも市民の役に立っていると思われるものということで、この影島大橋です。


 橋ができる前は、渡し船が島から市内への交通手段。住民はポンポン船に乗っていたのを、日本統治下の1934年に橋を架けた。大型船が通行できるようにと跳ね橋になっていて、いまも毎日午後2時にセレモニーとして跳ね上げる。今日も、そのタイミングに合わせてやってきました。観光客が300人くらい集まっていて観光名所と化しています。


名曲『釜山港に帰れ』が流れてきた!


 ……おぉ、橋の跳ね上げが始まったと思ったら、その動きに合わせて大音量でチョー・ヨンピルが流れてきました……(笑)。



門井 これは、名曲『釜山港に帰れ』ですね。


万城目 いい雰囲気ですねぇ。いつもだと、門井さんが「建築でない近代建築」と言って挙げるものに近いんですが、跳開橋を今まで見たことがないこともあって立ち寄らせてもらいました。最後に朗らかで、楽しいものを見られてよかった。


門井 ダイナミックに動きますね。動く近代建築というのも新鮮だな。


万城目 この橋には、まったく歴史の因縁も何もないじゃないですか。隣の島との交通手段。別にそこに収奪や蹂躙(じゅうりん)といった言葉が出てくるわけでもない。ただひたすら、みんなの役に立っている。だから、とても健康的な日帝残滓だなと思いました。


門井 橋が動くのを万城目さんと待っている間、海沿いですから、空高く雁の大編隊がサーッと飛んでいくんですよね。大陸に来ているなという感じがして。


万城目 見事な編隊で、最後に見送られるようですね。



探訪を終えて


万城目 僕がもともと韓国の近代建築を訪れたいと思ったのは、韓国に残っている日本統治時代の建物が反日感情によって壊される方向にあると聞いたからなんです。それなら、今のうち行っておくのが一番だろうと。


 でも実際に訪問して、今回見た建物は20年後も全部残っているんじゃないかと思いました。韓国の人たちが用途を考え、建物の活かし方を確立している。僕が心配していたのは全くの余計なお世話でした。日本より余程ちゃんとしているのではないか、と感じたほど。まさに百聞は一見に如かず。


門井 僕も、現地の人が日帝時代の建物を積極的に残していることに、頼もしさを感じました。その反面、もはや私たちも支配の歴史に引け目を感じる時代ではないと思いますので苦言も呈したい。今回、歴史博物館に転用された建物が多かったので、おのずと展示室を目にしましたが、その展示は残念ながら発展途上。展示物に実物が少ないんです。やっぱり実物が博物館の華ですよ。実物がガラスケースの中にあって、歴史を実感させるのが基本ですから。現状はパネルやジオラマ、写真がメインになっている。



万城目 いくら日本統治下とはいえ、地元の人が残した本とか、物とか収集できる気はしますよね。


門井 例えば、今回持参した朝鮮銀行の株主総会で配った営業報告書( [ソウル・仁川篇]#1「旧朝鮮銀行本店(ソウル)」の項 を参照)みたいな資料だって、私でも簡単に手に入るレベルなんですよ。そこには万城目さんが先におっしゃったように、韓国のアカデミズムが日帝時代を研究したがらないという事実があるのだと思う。韓国国内の「忖度」がある。


 なぜ、僕が実物にこだわるかと言えば、議論というのは、具体的なものを挟むと極端にはなりにくいからなんです。日朝史、日韓史という漠然とした枠組みでの議論は激しいぶつかりあいにならざるを得ない。だけど、今回の近代建築のように具体的なものを通して議論するとお互い話しやすい。実物を置かないで写真だけおいて、その下にキャプションを並べるのは、やっぱり危険。


万城目 プロパガンダになりかねないですからね。


門井 もちろん実物が少ないのは、韓国が自国の歴史を外に発信し始めたのが、極めて最近だという事情もあります。日本が去った後も、朝鮮戦争があってアメリカ軍に占領され、1980年代になってやっと民主化の波が訪れる。


万城目 88年のソウル五輪後ですよね。2004年まで日本語の歌のCDを売ることすら駄目だったわけですから。それが昨日、門井さんと街を歩いていたら、店先から懐かしいKiroroの歌声が流れてきた。なぜにKiroroなのかと思いながらも、それが日常の風景になっている。時代が変わったということなんですよ。


門井 そうそう。最終日に無理を言って連れて行ってもらった釜山郊外の「釜山市民公園」が象徴的でした。


 ここは1920年に日本人が競馬場として開場したのを戦後アメリカ軍が接収して基地に使っていて、2010年にやっと韓国人のものになった土地です。



 実際に行ってみると、公園とはいえ人も少なくて、植えたばかりの木々もまだ細々としたまま。そこに、僕は韓国の近代建築研究、あるいは近代史研究の風景を見たような気がしたんです。まだ始まったばかり、でもとにかく始まった。これからどんどん発展していくに違いないんです。その時は日帝時代の歴史を超えて、日本人も協力しなくてはいけないし、韓国の人にも日本に「資料を見せてくれ」と言ってほしい。


70年の時を経て、新しい一歩を踏み出しているんじゃないか


万城目 集団の記憶って70年って言いますよね。70年経つとどうしても忘れてしまう。集団として共有していたはずの記憶が、70年も経つとバラけてくる。そして次の新しい考え方が生まれると思うんです。いま70年の時を経て、ようやく傷が癒えて、日本も韓国も新しい一歩を踏み出しているんじゃないですかね。だって、韓国をこれだけ歩いても、日本人だからって嫌な思いをすることは一つもなかったですよ。


門井 一切なかったですね。


万城目 身構えていったけど、肩透かし。礼儀正しい国、ごはんのおいしい国でした。皆さんもぜひ開かれた現実を見て欲しい。


門井 行くっていうのが、最高の実物教育ですからね。このシリーズも、台湾、韓国ときたから、次は奉天を中心とした旧満州に行きたいなぁ。


万城目 行きたいですね、暖かいときに(笑)。まだ国内にも面白いところはあるし、お互いが還暦になっても行けたら嬉しいですよね。「おお、ヨシさんやぁ」とかいいながら……って、60で言わんか(笑)。


門井 「今の若いもんは歴史を知らん」とか、愚痴をこぼしながら(笑)。



■万城目学さんお勧め建築

1「仁川税関旧倉庫」(仁川、明治後期)

2「旧京城医学専門学校付属医院」(ソウル、1928年)

3「旧ソウル駅」(ソウル、1925年)

4「旧木浦日本領事館」(木浦、1900年)

5「旧釜山税関庁舎」(釜山、1911年)

6「影島大橋」(釜山、1934年)



■門井慶喜さんお勧め建築

1「旧済物浦倶楽部」(仁川、1901年)

2「旧朝鮮銀行本店」(ソウル、1912年)

3「旧京城裁判所」(ソウル、1928年)

4「梨花女子大学」(ソウル、1935年〜)

5「明洞聖堂」(ソウル、1898年)

6「旧広津吉三郎邸」(群山、1935年)



■番外

「東大門デザインプラザ」(ソウル、2014年)


※年は完成年





万城目学(まきめ・まなぶ)/1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒。近著に 『パーマネント神喜劇』 。現在、週刊文春で「万城目学の人生論ノート」を連載中。



門井慶喜(かどい・よしのぶ)/1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒。本年 『銀河鉄道の父』 で直木賞。別冊文藝春秋で辰野金吾を描く「空を拓く」を連載中。





(「オール讀物」編集部)

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