公共放送にあるまじき好き放題……糸井重里が語る「Eテレ」の名番組「YOU」のこと

5月18日(土)17時0分 文春オンライン

「Eテレ」は、今年60周年を迎えた。日本唯一の教育専門チャンネルの、誰もが知る名番組の裏話を、出演者・制作者たちが語る。今回は1982年から5年間放送され、若者に圧倒的支持を集めた「YOU」。初代の司会を務めた糸井重里さんが語る番組の舞台裏とは。


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 この「YOU」って、ゲストを交えてワンテーマをスタジオへ来てる若い人と話し合う番組。僕はそこで1982年4月から3年間、司会をやってました。仕事を依頼してきたプロデューサーが前番組の「若い広場」(62〜82年)へ出演した僕を見ていたんですね。テレビに出るなら野球中継で偶然、映り込んじゃう位が好きなので、司会なんて想定外。台本通りに仕切るなんて出来ない性格だから無理とプロデューサーに言うと、「それは問題ない」なんてサラリとしりぞける(笑)。で、ヒマだし、ちょっと興味もあるのでなんとなく引き受けるような流れになっちゃったんですね。だけど、局の偉い人はコピーライターでそれなりに金を稼いでるであろう僕の起用に難色を示してたらしい。「軽薄なギョーカイ人が勤労青年の苦悩を理解できるのか」なんて(笑)。


一番面白かったのは企画会議


 番組に参加して一番面白かったのは企画会議。アイデアを持ち寄る番組スタッフがほぼ同世代で話が弾むんです。当時は受験戦争や校則問題が話題で、教育がテーマになることが多かった。そうなると「こんな先生がイヤ」的なネガティブな流れになりがちですけど、難しい問題って粗探しより、良い面を探る方が解決法を導きやすいんです。だから僕は「好きな先生を探そう」って提案しました。すると学校の庭で無心に穴を掘る謎の先生がいたり、教職者のイメージを壊す先生が発見出来て面白かったです。


 だから会議が僕の本番で司会はオマケみたいなもの(笑)。基本、よほどのことが無い限り編集なしの、ほぼ生番組だったんです。番組スタッフも呼ぶと収録中に出てくるし。僕は応募で集まった若い人たちにスタジオで囲まれて、司会なのに台本をその場で読んじゃう。ゲストや僕、スタジオのみんながタメ口になるくらい言いたい放題なんですよ。アシスタントの荻野目慶子さんの代打で洋子さんが出た時に「妹の方が可愛い」とか言っちゃうし(笑)。そんな観覧者の中に若きみうらじゅん氏もいました。怪獣や少女漫画、アニメとかも取り上げていたから若い視聴者に支持されてましたね。



少女漫画特集で山岸凉子(中央)、美内すずえ(右)と(「YOU」より)



生徒会がテーマの回で“良い意味で炎上”


 生徒会がテーマだった回もよく覚えています。スタジオで生徒会長たちが「みんながついてこない」とか、つまんない意見を出すんです。すると「制服をなくして私服にする校則を作りたい」って子がいた。僕が「服装に厳しい学校なの?」と訊くと、「いえけっこう自由なんですが」なんて答える。「じゃあ校則変えなくていいよね」って言うと、「そうですね」だって(笑)。これ、リアルを見ないお役所っぽい思考法ですよね。官僚の練習を生徒会でやってるなって感じたので、つい「生徒会長はダメなやつだよね」と言っちゃったんですよ。そこから良い意味で「炎上」して。僕が素で発言して、それで盛り上がるのは新鮮でしたね。議論の途中で煮詰まれば休憩にしたり、盛り上がれば収録時間を延長したりしてました。


 ゲストも井上陽水さんが途中で道に迷ったって遅刻したり、仲畑貴志さんは番組の休憩中に「居心地悪い」って帰っちゃったり。そんな簡単に抜けられるなんて居心地がいい証拠(笑)。YMOのみなさんはお互いの番組でゲスト出演する仲だから常連です。坂本龍一さんの音楽講義はみんな面白がってましたね。タモリさんや新人時代のとんねるずの2人にネタを見せてもらったり。横山やすしさんがゲストの時は丁寧に高校生と話し合う、真摯な一面が見られて発見でした。


サユリストが嫉妬


 岡本太郎さんの回は忘れられないですね。当時の岡本さんは変なおじさんとして面白がられる存在で。でも僕は芸術家という文脈で向き合ったんです。すると岡本さんも素直に応じてくれた。スタジオから芸術の定義を訊かれて「〈何だこれは!?〉というのが芸術だ」って仰った。その瞬間、僕は「ちゃんと放映しないと死んじゃう言葉だ」と背筋が伸びました。そういう本物に出会った感動は13代目の片岡仁左衛門さんでも起きました。仁左衛門さんが「歌舞伎の芝居は型です」って実演して下さった。番組を忘れて痺れましたよ。そういう僕を見た吉本隆明さんが「司会者の立ち位置がゼロなのがいい」と褒めてくれたのも嬉しかったですね。


 ドキュメントのコーナー「青春プレイバック」では武満徹さんや立花隆さんの不遇時代を何も知らない若者にシリアスに見せるんだから凄かった。吉永小百合さんが出た『キューポラのある街』の舞台を歩く回だけ、彼女の希望で僕が同行取材したんです。サユリストに嫉妬されるし、ロケバスに知らない人が沢山乗っていたり可笑しかった(笑)。



視聴率はどうだったか


 視聴率も、当時計測不能の枠だったはずが2、3%数字が付くようになったんです。スタッフは大威張り(笑)。批判的だった上層部も番組を認めるようになりました。それで83年の正月特番は総合テレビでやったんです。リクエストでゲストを呼んでビートたけしさんが来たり、忌野清志郎さんがアントニオ猪木さんの肩に乗ってギターを弾いたりしてね(笑)。



 ワクワクしながら企画して、あとはやっちゃえって日々でした。アシスタントを一般から選出する企画もその1つ。アニソンを熱唱した河合美智子さんが場をさらったけど、埼玉県の通称「じでんしゃ」ちゃんや、のちにパルコに就職した東北の白石さんの3人がアシスタントになったりね。投書で番組文化祭をやったのも可笑しかった。模擬店で出た広島のお好み焼きを初めて食べて、すっごい美味かったのを思い出すなあ。


 ホント、公共放送にあるまじき好き放題をやったんですけど、スポンサーのある民放では永遠に無理な番組でしたね。でも、3年もやると楽しいはずの会議なのに、こうやれば続くかなって考える時もあって。これは義務感でやることじゃない、もう辞めようって決めたんです。悔やまれるのは、あの3年で自分がもう少し成長すべきだったことかな。そうすれば2代目司会の日比野克彦さんや後継番組に出たいとうせいこうさんに託せる遺産があったはずなんですよね。


 改めて振り返ると遺伝子として「YOU」は引き継がれていったのかなと思います。関わったスタッフは後に大きな仕事をやり、かつての視聴者は作り手になって、「SWITCHインタビュー」とかEテレの枠をはみだす番組を送り続けているんですからね。ただ今は昔より番組で面白さの不確定要素に賭ける感じはなくなったのかな。「つまんないかも知れないけど、やってみよう」という感じがもっと欲しい。


 僕は司会してて得しました。あの仕事のおかげで吉本隆明さんや芦田愛菜ちゃん、有名無名どんな人を前にしても自分をゼロにして喋れるようになれたんだから。22年目になる『ほぼ日刊イトイ新聞』を続けている原動力の一つにもなってるんだと思います。



いといしげさと

1948年、群馬県生まれ。コピーライター。『ほぼ日刊イトイ新聞』主宰。広告、作詞、文筆、ゲーム制作など、多彩な分野で活躍する。『イチローに糸井重里が聞く』(朝日文庫)が4月16日に発売予定。




(岸川 真/週刊文春 2019年4月18日号)

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