78才女性写真家 ライバルから「今頃写真集なんか出して」

5月18日(金)7時0分 NEWSポストセブン

運動会の盛り上がり種目だったパン食い競争(昭和34年)

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 もう少しで平成が終わろうとしている今、昭和30年代の人、物、暮らしを映した群馬県・桐生市の齋藤利江さん(78才)の写真が、多くの人の目と心をわしづかみにしている。写真家になる夢を抱き、夢中でシャッターを切っていた10代の写真は、長い間、父に捨てられたと思って恨んでいたが、還暦になった年、偶然見つけたクッキーの缶に、往時のネガがびっしりと詰まっていた。そして、そこに、父の思いと昭和の現身が再び現れた──。“オバ記者”こと野原広子が、齋藤さんともに、当時の写真を見ながらその魅力に迫る。


オバ:そもそも、齋藤さんとカメラの出合いは? 私は齋藤さんより18才年下だけど近所にカメラを持っている大人なんて1人もいなかったし、10代の女の子が持ち歩く? ありえない!


齋藤さん:わが家は、私の上の子も下の子も早くに亡くなって、私1人が生き残ったの。昭和14年、戦争の足音が忍び寄っているときに生まれたから、父親がこの子に何か残してあげたいと思い、私の写真を撮り出したんだって。まず父がカメラにハマったわけ。


オバ:お父さんの職業は?


齋藤さん:桐生は織物の町。父は、今でいえば繊維問屋かしら。桐生の織屋さんから布地を集めて、東京のデパートなどにセールスをする仕事をしていました。そのとき、織物の見本を切って見せるより、写真という手があると思いついたのね。


 私は生まれたときから、父親にあっち向け、こっち向け、洋服買ってきたからカメラの前に立てって。ただ撮られているのもつまんないから、父が見ていないすきにパチパチ撮って、現像したら「あれ? おれが撮っていない写真がある」(笑い)。しかも父の写真より構図がいい。


オバ:初めてのカメラはどんな?


齋藤さん:蛇腹カメラでしたが、すぐに最新型のオリンパスワイドになりました。父は新商品を買いたい。遠出して撮影会にも参加したい。私はそのダシに使われているうちにカメラのとりこになったの。家に6畳の現像室があって、この写真はすべて家で父が現像したものです。


◆「西の西陣、東の桐生」の繊維の町の豊かさ


オバ:それにしても、昭和30年代の桐生は豊かだったんですね。子供たちを見ても、みんな身なりがいい。昭和40年の夏、茨城でお下がりのシュミーズで遊んでいた私とは大違い。


齋藤さん:繊維業は軍需産業でもあるの。パラシュートやリュック、軍服など、布物が大量に消費されるから、最盛期は大正から昭和初期。芸者さんが町に170人くらいいたそうです。今は1人もいないけど。



オバ:最初に取った大きな賞は?


齋藤さん:中学3年のときの群馬県主催の『赤城山写真コンテスト』の最優秀賞。このときの賞品が映写機で、父もすごく喜んでくれました。


オバ:高校では写真部の部長でしたよね? 女子高だから「女のくせに」とは言われなかった?


齋藤さん:写真部が写真コンテストで賞を取ると、引き伸ばし機やらの備品が学校に贈られるから、高校の先生も、私が授業に出ないで写真を撮りに行くことを黙認してくれ、そのうち「撮り終わったら何時限目からでもいいから、学校に来いよ」と。


オバ:今なら、「あの子ばっかりズルい」とか、騒ぎになるね。


齋藤さ:えへへ。そのうちコンテストで入賞するコツがわかってきちゃったんですよ。


オバ:たとえば?


齋藤さん:悪天候。雨、雪、嵐の日はカメラを持って町にすっ飛んで行きました。カメラ小僧たちは天気のいい日に撮りたがるけど、悪天候の日は外に出ないから、入賞の確率がグッと上がる。


 あとは子供。私は「何して遊んでるの? 撮らせて〜」と遊びに交ぜてもらいながら撮るから、子供たちが身構えないの。それを「女だから撮れる」などとよく言われました。


 面白かったのは、当時、私がコンテストで賞を取ると、「女に負けた」と悔しい思いをしていた男の人がずい分いたようで、彼らと先日、60年以上の歳月を経て再会したんです。入選常連者のほとんどはプロのカメラマンになって、活躍した後、引退しているのに、「あの齋藤利江が今頃写真集なんか出して」だって(笑い)。本当に人生って何があるかわからないですね。


◆運動会でスナップ写真を撮って、実費で焼き増し


オバ:おお、昔懐かしいパン食い競争。今はむき出しのパンは不潔だとか言って、ビニールに入れてあるそうだけど…。


齋藤さん:糸で吊るしたアンパンを口でくわえて取って走る。たったそれだけなのに、運動会の盛り上がり種目でした。どうにかして食べようとするその姿がおかしくて、みんなお腹を抱えて笑ったもの。


オバ:母親は、運動会にスーツ? 髪も前日にパーマ屋さんでセットしている。そういえばずい分後まで、大人のカジュアルってなかったのよね。普段着とよそゆき。


齋藤さん:人が集まる運動会は、よそゆき。母親は一張羅のスーツで絶対にスカート。この日のために自分で縫った人も多かったのよ。



オバ:秋晴れの日に万国旗がはためき、軽快なあの音楽が流れてくると、みんな高揚してね。保護者席はグラウンドの周囲に縄を張って、地べたにござや新聞紙を敷く。お昼になると子供たちはいっせいに親のところにかけて行って、重箱に詰めたお稲荷さんやのり巻きを食べたっけ。


齋藤さん:騎馬戦、組体操は、今では禁止されたりしてるけど、いっぱい練習したのか、それとも子供の体のつくりが違うのか、けがする子を見たことがない。


オバ:この裸の子たちは?


齋藤さん:「それ、行くぞ。1、2の、3」。渡良瀬川で声のする方に近づいて行くと、ふんどし姿の大きな子が小さい子を渡良瀬川に投げ込んでいたの。投げ込まれた子はキャッキャッと声を上げて喜んで、次に投げ込まれたい子が控えている。海なし県の群馬県ならではの夏の川遊びね。


──しかし、こんな素敵な写真を40年もの間、齋藤さんはないものと思っていた。結婚後、コンテストに応募して入賞したことが父の怒りを買い、ネガは全部捨てると言われて。


 それが、齋藤さんが還暦になった年に偶然見つけたクッキーの缶に、父のていねいな字で撮影日時と場所が書かれ、眠っていた。このネガが日の目を見るまでの40年間。カメラマンとしては生きなかった、そして生きられなかった齋藤さんの波乱の人生はさらに続く。


◆「三丁目写真館」展は5月末日まで小学館本社1階ギャラリーで開催中

◆齋藤利江 写真展『三丁目写真館 〜昭和30年代の人・物・暮らし〜』(東京都中央区銀座2-9-14 1F写真弘社内 a´ギャラリー・アートグラフで6月1〜7日)

◆『三丁目写真館 〜昭和30年代の人・物・暮らし〜』(写真・文/齋藤利江、小学館刊、1944円)


※女性セブン2018年5月31日号

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