寺島しのぶ 蜷川幸雄氏の言葉一つ一つが突き刺さった

5月21日(月)16時0分 NEWSポストセブン

『のみとり侍』が公開中の寺島しのぶ

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、出演映画『のみとり侍』(全国東宝系)が公開中の女優・寺島しのぶが、文学座在学中に出会った演出家の故・蜷川幸雄氏に言われたことについて語った言葉をお届けする。


 * * *

「四十五歳になっても、やはりまず父と母が最初に紹介されて、それで私の名前が出るんですよ。嫌だと思っても、そこは削ってくださいと言うのも面倒くさくなっちゃいました。これは一生つきまとうものなんだなということで、今は『まあいいか』と思うようにしています」


 今回のインタビューで寺島しのぶは、そう語った。彼女の役者人生の出発点について記す際、どうしても両親の名前は外すことができない。父親は七代目・尾上菊五郎、母親は富司純子という役者の一家に育ったからだ。


「自分がやるとは考えていませんでしたが、子供の頃から歌舞伎を観ていたというのは強いですね。こんな五感を刺激させる経験を早くに得られていたんだと後になって思います。


 真剣に考えるようになったのは、大学生の時です。同級生が就職活動を始めて自分も職業を考えなければとなって、役者をやっていきたい、と思いました。


 でも、歌舞伎はできませんし、親に迷惑をかけない所でやりたかったので母のいる映像の世界にもいけない。そんな時に、太地喜和子さんが父と共演して我が家にいらした時、初めてお会いしたのに、『あなた、女優をやりたいんじゃないの? だったら文学座でやればいいじゃない』と仰ってくださったんです。


 そんな劇団があるのも知らなかったんです。ただ親と違う所で勉強したくて、評価されたいと考えていましたから、出会うべくして出会ったんだと思っています」


 研究所での養成期間を経て、文学座には一九九二年から九六年まで在籍した。


「私はラッキーなことに杉村春子さん、山田五十鈴さんなど素晴らしい女優さん方と共演させていただけました。ただ悲しいかな、得られたものは後からわかることがほとんどなんです。あの頃は何も考えていませんでした。今この歳で共演させていただけていたら、と思います」


 文学座在学中の一九九三年には、清水邦夫が戯曲を書き、蜷川幸雄が演出した舞台『血の婚礼』で早くも主演をしている。


「文学座研究所の卒業公演が清水邦夫さんの戯曲で、それを観た清水さんが蜷川さんに電話してくださったそうです。『あの女優を主演に使って』と。蜷川さんはその言葉を信じて、いきなり主役に使ってくださいました。


 十代から二十代前半は蜷川さんにお世話になっています。いろいろ罵倒されましたし、私も若くて生意気でしたから言い返すこともありました。


 蜷川さんに言われたのは『お前はしょせんお嬢様だ。それをハングリーに変える必要はない。今の生意気なまま言いたいことを言っていろ。下手な若造のクセに何言ってやがると思われるだろう。でも、貫け。そして三十代、四十代になって技が付いた時、生意気なことを言っても文句を言われない女優になれ。だから貫け』ということです。それから、『汚い役をやっていけ』とも。『汚い役でも、お前の育ちの良さで美しく見える時がある。だから土に根付いた役をやれ』というお話でした。言葉一つ一つが突き刺さりました」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。


■撮影/藤岡雅樹


※週刊ポスト2018年6月1日号

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