ずん飯尾和樹50歳が明かす「同期芸人のウド鈴木とコンビを組まなかった理由」

5月26日(日)17時0分 文春オンライン

「ペッコリ45度」「よろけたついでに由美かおる」……など独特の世界観を感じさせるボケが印象的なずんの飯尾和樹さん。


 じわじわとこみあげるおかしみはどのように築かれたのか。小さい頃見ていたテレビのこと、芸人を志したワケ、そして同期芸人のキャイ〜ン・ウド鈴木さんとの出会いについて聞きました。(全3回の1回目/ #2 、 #3 も公開中)


◆◆◆



お笑いコンビずんの飯尾和樹さん


「1+1は?」「3デシリットル!」が原点


—— 子供の頃、テレビは好きでしたか?


飯尾 好きでしたね。ずっとバラエティ番組がついているような家でした。伊東四朗さんと小松政夫さんの『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』、大将(萩本欽一)、ドリフ(ターズ)から、マンザイブーム、『(オレたち)ひょうきん族』。それから、とんねるずさんの『夕やけニャンニャン』、『夢で逢えたら』でダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさん、清水ミチコさん、野沢直子さんの存在を知って……っていう。王道ですね。あと、両親の実家が滋賀なんですよ。夏休みに帰省するんですけど、吉本新喜劇がすごく面白くて、東京に帰ってきてチャンネルを合わせるんだけど、やってなくて、「なんで新喜劇は東京でやってないんだ」ってよく親に訊いてました。


—— その中でも特に好きだったのは?


飯尾 伊東四朗さんと小松政夫さんの「電線音頭」は、シュールでゲラゲラ笑ってましたね。あと、小松政夫さんが鼻垂らしてる子供で、伊東四朗さんが、おたまを持って、「さあ、ボクちゃん、勉強いたしましょうね」「あい」「さあ、算数やりましょう。1+1は?」って聞いたら、小松さんが「3デシリットル」って答えたんですよ。そのボケ、いまだに覚えているんですよね。なんで「3デシリットル」? 「3」でもいいのに、「デシリットル」もつけるんですよ。それがすげえなって子どもながらに。



—— そういう笑いはクラスメイトとも共有できました?


飯尾 僕、今でも「ぱっくりピスタチオ」ってギャグをやるんですけど。それはある日、親父がピスタチオをつまみで食べてて、「ピスタチオ」って語感が面白くて、2〜3時間ずっとゲラゲラ笑ってたんですよ。親父にもう笑うなって言われるぐらい。それで次の日に小学校行って、友達に「ちょっと目つぶってよ」って言って、「ピスタチオ」って言ってみたんです。そのとき笑う奴は「3デシリットル」でも笑ってた奴なんですよね(笑)。



“殺人事件のコント”を作って校長室に呼び出された


—— 「3デシリットル」が飯尾さんのギャグの原点なんですね。


飯尾 僕が住んでいたところは転勤族が多い地域だったんで、小学校で歓迎会とかお別れ会がたくさんあったんですよ。そういう時に、友だちとコントめいたことをやり始めて、先生からはまったく意味わかんないとか言われたりして(笑)。


 一度「ロン麻雀殺人事件」っていうのを作ったんですけど、校長室に呼び出されて「あれは何をやっているんだ」「人を殺したら良くないよ」って(笑)。「ローン!」って言った瞬間、みんなで1人の首締めるっていう。それをゲラゲラ笑ってて。そいつの死に方がまた面白かったんですよ。


—— どういう発想でそのコントができたんですか?


飯尾 おじいちゃんが雀荘をやっている時期があって。そこに2回ぐらい行ったんです。そのときに「ローン」とか「ポーン」とか「チー」とか言っている、その語感。それでゲラゲラ笑ってたんです。とにかく語感が好きでしたね。



—— テレビドラマは好きでしたか?


飯尾 好きでしたね〜。当時、小学校が月曜と火曜は6時間授業で長かったから特に苦手で、そのストレスをテレビを見て解消してた。だから暗くて悲しいようなドラマは全然見なくて、『探偵物語』、『西遊記』とか『熱中時代』、あとは『男女7人』シリーズとか、明るいエンタメドラマが好きでした。


—— 好きなアイドルはどうでしょう。


飯尾 うちの両親が映画『男はつらいよ』が好きだったんですよ。毎回、マドンナが出てくるじゃないですか。みんなが松田聖子さんとかに夢中になっているときに、僕は子供っぽいなあなんて思いながら、そっちにひかれてましたね。桃井かおりさん、竹下景子さんとか高橋恵子さんみたいな女優さんのほうが好きでした。




両親を見て「ああ公務員になりたいなあ」


—— それで、お笑い芸人を目指すようになったのは?


飯尾 自分が高校の時ってバブルで働き方もすごくて。今みたいに週休2日じゃなくて、サラリーマンが月曜から金曜まで働いて、土曜も接待で、日曜は仕事でゴルフ……、そういう生活が続いて、過労で死んだっていうニュースを見て、「何のために働くんだろう」って思ったんですよ。うちの両親は公務員なんですけど、定時で帰ってきて家ではバラエティ番組ばっかり見てるから、ああ公務員がいいなって(笑)。しかもなぜか仙台の公務員になろうと。「杜の都」なんだから、ああ、緑がたくさんあるんだって(笑)。「いいなあ、そういう人生も」って思って。


 でも高校から大学に推薦で行けるって話になった時に急に「やっぱりお笑いをやりたいな」って思ったんです。いざとなると、どうやったらいいかわからなくて、小さい劇団に間違って入っちゃった。そのときは踊りの稽古をするのが合わなくて3カ月で辞めちゃいましたね。そのあとはフリーターみたいになったんですけど、ある先輩が浅井企画の住所を教えてくれて連絡してみたら返事がいいから入れたんです。



浅井企画に入ってすぐに仲良くなったウド鈴木


—— 返事がいいから?


飯尾 そのときの常務が、王(貞治)さんとも対決したことある元高校球児で。僕も体育会系のバレー部だったから間を開けないでなんでも「はい!」って返事をするのがクセになってたんです。それで「お前、返事がいいな〜」ってなって。普段はタレントを募集してなくて、毎日のように断ってるんだけど、ちょうど2、3人採用して、喜劇をしようと思ってたって。そのとき「半年前にも飛び込んだヤツがいるから、そいつと会わせるから」って言われて、顔合わせに来たのがウド鈴木でしたね。


—— ウドさんの第一印象は?


飯尾 「かっこつけてるな〜」と思いましたね(笑)。最初のころはあんなモヒカンじゃないんですよ。ちょっと短髪で。すぐ仲良くなったんですけど、あいつのアパートに行ったら、高倉健さんのポスターが貼ってあって。「ああ、かわいそうに。憧れてるんだな」と思って(笑)。ないものねだりなんだな、人間というのはって。


 僕の場合は唯一、幼年期から18歳ぐらいまでの自分を一つだけほめてやれるとしたら、ジャニーズ事務所に履歴書を送らなかったこととバンドをやらなかったこと。自分の容姿に対して冷静な判断ができたということだけはほめてやりたいですね(笑)。




なぜウド鈴木とコンビを組もうと思わなかったのか


—— 初対面からすぐに仲良くなったウドさんとコンビを組もうとは思わなかったんですか?


飯尾 これがね、一切思わなかった。浅井企画のライブで、コントか漫才をやれと言われたときにも、一度も2人でやろうかという考えは一切なかったし、ウドの頭にもなかったと思います。たぶんつぶし合うと思ったんでしょうね(笑)。ウドが「ワー」とか、僕が「ペッコリ」とか言い合って、収拾がつかなくなって路頭に迷うと思ったんじゃないですか。今では一緒にロケとかやったら楽しいし、一番仕事したいヤツですけど。 



—— キャイ〜ンにしろ、ナインティナインにしろ、飯尾さんの同期の芸人さんは売れるのが早かったと思いますけど、彼らを間近で見ていてどのように思われていましたか?


飯尾 キャイ〜ンなんて結成3年後に『(笑って)いいとも!』に出てましたからね。でも僕も相方のやすもやっかめなかったんですよ。だって100人のお客さんの前で、持ち時間3分という同じ条件で、やっぱりキャイ〜ンはウケてましたから。文句の言いようがないんですよね。


 キャイ〜ンがどんどん仕事増えていったときに、1度相談しようと思って食事に行ったんです。そしたら逆に向こうが暗い顔しているんで、「どうしたの?」って訊いたら、「いや、実は自分たちの番組が始まるんだけど、打ち合わせで、やりたいことをバーッと言ったんだけども、最終的にやりたいことの1割ぐらいしか入ってない」と。「でも僕たちはこの1割を一所懸命やって、それを15%、20%、25%と増やしていくしかない」って。壮大な悩みと解決法を聞いたときに、お客さん20、30人の前で「ペッコリ45度」がウケないっていう相談ができなくなっちゃって(笑)。そのあと「飯尾っち、何だっけ」って言われて、「いやいや、最近、元気かなと思って……」なんて言って。


 あんなにライブで受けて認められて、深夜番組のゲストでチャンスつかんで、深夜番組の冠持って、それが好評で次はゴールデンの冠持って……まだそんな悩みあるのかと。それでテレビに出る前に“予防注射”を受けた感じになりましたね。



(#2へ続く)

写真=山元茂樹/文藝春秋




#2 50歳ずん飯尾和樹が振り返る「40歳で食えなくなって清掃のバイトをした話」

https://bunshun.jp/articles/-/12068


#3 ずん飯尾和樹が語る恩人“出川哲朗”「隊長は僕のお笑いコーチなんです」

https://bunshun.jp/articles/-/12069



いいお・かずき/1968年生まれ、東京都出身。1990年、浅井企画に所属。1991年、お笑いコンビ「チャマーず」を結成しデビューを果たすも、翌年解散。1992年、村山ひとしと「La.おかき」を結成。その後、1997年のLa.おかき解散後からしばらくは1人で活動。2000年に同じ事務所のやすと「ずん」を結成し現在に至る。ボケ担当。


◆6/8(土)〜 WOWOWプライム 毎週土曜 午後10時〜(全4話) 『連続ドラマW ミラー・ツインズSeason2』 出演


◆6/23(日) 開演17:30(〜20:00頃) 『浅井企画 お笑いダイナマイトショー 2019 〜Go Go 高円寺〜』 に出演




(てれびのスキマ)

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