“競馬する小説家”高橋源一郎が語る『うるぐす』とダービーと『カルテット』

5月27日(日)7時0分 文春オンライン

テレビ草創期からの生粋のテレビっ子・高橋源一郎さん。小説家としての活動の傍ら、競馬評論家としてテレビ出演も多くし、昨年は『カルテット』で印象的な役も演じました。てれびのスキマさんによる「テレビっ子」インタビュー、中編では『スポーツうるぐす』の真剣勝負、松たか子と見つめ合った思い出までを伺いました!(全3回の2回目/ #1 より続く)



小説家・高橋源一郎さん



どうして小説に「アラレちゃん」を登場させたか


—— 高橋さんの小説、特に初期の作品には、「アラレちゃん」や「ドラえもん」、「中島みゆき」などテレビや漫画関連のモチーフがたくさん登場します。小説の中にそういったものを引用するのはどういう発想からだったんですか? 


高橋 小説には何でも使おうと、それに尽きるんです(笑)。少し真面目な話をすると、小説というのはそもそも詩なんかと違って、新しく生まれたジャンルなんですね。いろんな説があるんですけど、17世紀の終わりから18世紀ぐらいにロマンスとかゴシップとかいろんなものが集まって近代小説ができたと考えられています。その起源の一つが(ローレンス・)スターンの『トリストラム・シャンディ』という長編です。これはもう悪ふざけで長編を書きました、みたいな小説。小説は生まれつきそんなところがあるんです。冗談で長いのを書いちゃうみたいなところが。それは1つの考え方だという人もいるけど、僕はそれが本筋だと思っています。小説は雑食性で、近くに何か楽しそうなものがあったら食べて自分の一部にしてしまう。だから、17世紀、18世紀はテレビも漫画もないけど、テレビや漫画があったら絶対取り込んでいたはずなんです。



——なるほど、小説は雑食性。


高橋 もう1つ、小説は「物語を語るもの」です。この雑食性と物語性、両方あって近現代小説なんですね。ですから、難解で芸術的と言われるジェイムズ・ジョイスの作品群は20世紀小説の最高峰と言われてますけど、よく考えたらサブカルチャーに近いものから、俗語から何でもかんでも取り込んで、物語っている。だから、その時代の文化みたいなのが全部入っているというのが、小説の、正しいと言ったらおかしいですけど、ひとつのオーソドックスな形だと思うんです。とはいえ、知らないものは取り入れられないので、自分の知ってるものを中心に何でも入れていく。アラレちゃんを出したりするのは、僕の考えでは普通の発想だったんです。


デビュー当時は「まるで訳が分からない」って言われていた


—— ただ、高橋さんがデビューした当時の日本の純文学でそういうのをやっている人ってたぶんいなかったと思うんです。


高橋 いなかったですね。



—— その反応ってどうでしたか?


高橋 「まるで訳が分からない」って(笑)。でも、自分がやってることは間違ってないという確信がありました。今に分かるよ、と。その辺は別に、何か言われても、「この人たち、読んでないな」と思うだけでした。


 考え方としては、例えば、分野は異なるけれど、(ジャン=リュック・)ゴダールの影響は受けてると思います。ゴダールは映画の中に引用を持ち込んだんですよね。オーソドックスな映画に対して、漫画とか音楽とか言葉とか、山ほど引用してる。まさに雑食ですよ。映画って映像における小説ですからね。だから、映画以外の外にある文化的なものをどんどん吸収して出すというのがゴダールの映画なんです。それを僕は小説的だなと感じました。だから、小説を最初に書いた時はゴダールの映画を基準に考えていました。小説と映画というのは後から来た芸術ジャンルということで似てるんですよね。そういう、映像として使えるものは全部使うという考え方。だから、小説も言葉として使えるものは全部使う。遅れてきたジャンルだから「みんないただきます」っていうのでいいんじゃないのかな。



『スポーツうるぐす』で競馬予想は「ウケ狙い」できなかった


—— 映画といえば、高橋さんは『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986年)に参加されますが、どういう経緯だったんですか?


高橋 あれは、『さようなら、ギャングたち』をもとに映画を作りたいから、シナリオを書いてくれと言われたんです。でもシナリオと戯曲って別物ですからね。似ているがゆえに、非常に難しい。



—— 演劇の脚本を書くのとは違っていた?


高橋 劇ってやっぱり言葉なんですよね。人は出てくるけど、セリフですから。でも映画ってセリフじゃないんですよね。映像なんです。映像がないとシナリオにならないんだけど、僕はどうしても言葉しか思いつかなくて。それでギブアップ。映画監督の山川直人さんがほぼ全部シナリオを書いて、僕は参加したとはいえ、ただいるだけでした。それはちょっと心残り。今だったら映画やりたいんですけどね。


—— 90年代になると、『スポーツうるぐす』をはじめ、テレビ出演が増えますよね。『うるぐす』の依頼が来た時はどう思われましたか?


高橋 競馬担当ですからね、それはやりますよ(笑)。あれは毎週だったんですけど、わりと自由もあって面白かった。基本的にスポーツニュース番組ですけど、僕は競馬を中心に、ちょいちょいコメントをする役目。


——あれだけ競馬コーナーが充実していたスポーツニュースも珍しかったですよね。


高橋 江川卓さんとG1レースを中心に馬券を買って、当たったお金で「馬を買う」という馬主ミッションがあったでしょう。あの馬券につぎ込んだお金、番組の予算じゃなくて、全部僕と江川さんの自腹なんですよ。



—— そうだったんですか!


高橋 1回、3万円ずつ自腹なんです。ガチで予想するから「ここは複勝も買う」みたいな、わりと手堅いこともやっていたでしょう。ウケ狙いで馬券を買ってみましたっていう企画じゃないんですよ。だから、2人で3万ずつで1回6万円。で、15回ぐらいやったから90万ぐらい投資したことになる。でも、毎回70万以上戻ってきてます。


ハイセイコーの中央デビュー戦を観たのも、テレビ


—— 結構な回収率。


高橋 回収率8割ぐらいですよ。すごくないですか。でも大変でしたよ、普段あんなに真剣に予想しないもん(笑)。


—— 企画では結局、一口馬主になったんでしたっけ。


高橋 なりました。バーボンカントリーっていう馬で、結構走ってくれました。


—— 競馬にそもそも興味を持ったのはハイセイコーからだそうですが? 


高橋 そうですね。73年ですね。ハイセイコーの(中央競馬の)デビュー戦からです。


—— 競馬場で観たんですか?


高橋 いや、テレビです。



—— やっぱりテレビ!


高橋 ちょうどその日、引っ越して、最初にテレビをセッティングしたんです。で、テレビをつけたら弥生賞のパドックだった。


—— そこから競馬が好きになった。


高橋 そうですね。70年代はテレビも観てたけど、ほぼ毎週競馬場行ってました。だから競馬にはずいぶん時間を……、時間だけじゃなくてお金もね(笑)。まあ、壮大な無駄ですけど、無駄はやったほうがいいですね。ある種、壮大な無駄っていうのもやっておかないと、か弱い人間になってしまうと思うんですよね。だって、人生そのものが無駄なんですから。……そういうふうに自分を説得して競馬やってます(笑)。



三島賞の賞金100万円を、ダービー単勝1点勝負に突っ込んだ


—— サンスポの競馬予想連載(「こんなにはずれちゃダメかしら」)、すごく長いじゃないですか。


高橋 88年の秋からやってますから、もう30年ですね。しかも、一回も休んでないんです!


—— おお!


高橋 FAXさえない時代には海外から電話で原稿を送ったこともありますよ。



—— 電話で?


高橋 「アは愛情のア」みたいに一字一字担当者に口頭で伝えるの。600字とか結構な分量の文章を国際電話で。めっちゃ電話代がかかる(笑)。


—— 88年に『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞を受賞されますよね。その賞金をダービーに突っ込んだという逸話があるんですけれども、あれは本当ですか?


高橋 本当です。それで「そんなバカなやつがいるんだ」ということでサンスポの連載が始まったんです。


—— それがきっかけなんですね。


高橋 三島賞の発表の日に、『FOCUS』の記者が来てたんです。それで受賞が決まって、「賞金100万円どうしますか?」って言われたから、翌週がダービーだったから「ダービーの馬券買います」って言ったら、「取材させてください」という話になって。『FOCUS』の取材下で100万円、単勝一点勝負。



—— えーっ、そうだったんですか。


高橋 半分冗談で言ったんですよ。そうしたら、本当にやるハメになった(笑)。で、第55回日本ダービー。僕はメジロアルダンっていう馬の単勝を100万円買ったんです。これが6番人気で、単勝11倍ぐらい。複勝でも330円。で、今でも覚えてるんですけど、最後の直線でサクラチヨノオーが先頭に立ったところ、岡部幸雄のメジロアルダンが抜いて先頭に立ったんです。そうしたら、ゴール前で差し返された。日本ダービーってこれまで80回ぐらいの歴史があるんですけど、いったん抜いた馬が差し返されたって歴史上この一戦だけ。ああいうレースでは、差し返す余力はなくて、抜いたら抜かされることはないはずなんですよねえ。


—— それがよりによって。


高橋 クビ差の2着。もしそのまま勝ってたら1100万ぐらいになった。


—— うわ〜。


高橋 それがパー。まあ逆に当たってたらサンスポの連載してなかったわけだから。


寺山修司が教えてくれたこと


——あの連載では、いまだに高橋さんの肩書きのところに「三島賞作家」と入っていますよね。すでに谷崎賞なども受賞されているのに。でも、そういう因縁があるのかと合点しました。



高橋 まあ、それは今さらデザインを変えるのも面倒臭いってだけなんじゃないかな(笑)。


—— 競馬する文学者といえば寺山修司がいますが、高橋さんは寺山修司の影響は受けていますか?


高橋 寺山さんは僕たちの中学の頃からのアイドルというか、アイコンですよね。あの人も詩を書いて、短歌、劇、評論、小説、テレビ、映画……。要するに全部やっていた。だから、すごく親近感があるというか、僕たちにとって非常によく分かる存在でした。いわゆるマルチに活動するという人の先駆けですよね。彼の場合は詩がいい、短歌がいいんじゃなくて、「何でもやる」こと自体がいいんだと、僕たちに教えてくれました。ジャンルの越境者、解体者として憧れを持つ人ですね。



タモリさんのことは、尊敬しています


—— 僕がずっと高橋さんに伺いたかったのはタモリさんのことなんです。というのも、タモリさんもデビュー当時、ハナモゲラ語とかで言葉を解体するというようなことをやっていたじゃないですか。それは高橋さんのスタンスに通ずるところがあるんじゃないかと思うんですが、当時はどのようにみていましたか?


高橋 タモリはデビューした当時からみてました。イグアナのモノマネとか「四カ国語麻雀」をやるアイパッチの人のイメージが強くて、朝日新聞か何かに「異能の芸人」って紹介記事が出ていたのも憶えています。筒井(康隆)さんや赤瀬川原平さんたちとハナモゲラの活動もしていましたよね。だから、60年代から70年代のサブカルチャーを生きて、それを独自のエンターテインメントにしていった人だと思ってます。あと、タモリがヘビーなジャズオーディエンスっていうのは知ってた。すごくたくさんジャズを聴いてるでしょう。植草甚一さんが亡くなった後、彼のジャズのレコードコレクションを買ったんだよね。



—— そうですね。


高橋 未亡人が処理しきれなかったのをタモリさんが何千枚も一括して買ったそうですね。さすが、と思いました。サブカルチャーの帝王だった植草甚一のコレクションを買うのはタモリしかいないだろうと思っていましたから、尊敬してますよ。


『カルテット』第3話、松たか子と見つめ合ったときのこと


—— 昨年は坂元裕二脚本の『カルテット』第3話にゲスト出演されましたね。


高橋 ドラマはいいですよね。「僕は素人だ」って威張れるから(笑)。やっぱり文学の話をする時、「僕は素人だ」って言えないじゃないですか。俳優としての仕事は無責任に「できません。絶対無理」って言えるので、ドラマはウェルカムです。役にもよりますけどね。


—— 『カルテット』の役どころは素晴らしかったです。


高橋 あれは娘(満島ひかり)を見捨てた詐欺師の役。いい役だなと思って(笑)、それならやってもいいやと思ってお受けしました。元マジシャンの役なんで、手品をやらなきゃいけなくて練習が大変だったけど。



——どんな練習をしたんですか?


高橋 それがですね、僕は不器用だから、さぞや特訓してくれるんだろうと思ったら、スタッフが動画を送ってきて「これを観て覚えてください」って。


—— 自主練!


高橋 マジか? って(笑)。で、撮る当日にいきなり「できますか?」って。「取りあえずやってみてください」って言われてやったら「素晴らしい。何の文句もないです」だって。まあ、完璧に覚えようと10日間ぐらい真剣にやりましたから(笑)。だから、ほとんど手品のことしか覚えてない。


—— でも病室で横たわっているシーンは画になってました。


高橋 満島さんと絡むシーンはなかったんですけど、松たか子さんと見つめ合うシーンがあったんですよ。恥ずかしい、絶対無理だって思ってたら、メガネ取っていいっていうんで外しました。あのシーン、僕が何も見えなかったから、見つめ合えたんです(笑)。で、何テイクか撮って終わった瞬間、松さんが爆笑してるんだよね。「何がおかしいんですか?」「いや、おかしかったです」って。楽しかったですね。



#1 テレビっ子歴50年! 小説家・高橋源一郎「朝まで生テレビに出るわけないでしょ」

http://bunshun.jp/articles/-/7503


#3 「ユーチューバーはテレビの未来を担うか?」小説家・高橋源一郎の“生活と意見”

http://bunshun.jp/articles/-/7505


写真=鈴木七絵/文藝春秋



たかはし・げんいちろう/1951年広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。6月7日より『日本文学盛衰史』が平田オリザ脚本によって舞台化される( http://www.seinendan.org/play/2018/01/6542 )。




(てれびのスキマ)

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