テレビっ子歴50年! 小説家・高橋源一郎「朝まで生テレビに出るわけないでしょ」

5月27日(日)7時0分 文春オンライン

現代日本文学をリードする小説家は生粋のテレビっ子だった! 今明かされるテレビカルチャーをちりばめた小説世界の源泉、50年来の「テレビの履歴書」。テレビっ子インタビューシリーズ15回目のゲストは高橋源一郎さん。てれびのスキマさんが伺います。(全3回の1回目/ #2 、 #3 へ続く)



小説家・高橋源一郎さん



テレビが家に来たのは小3の頃です


—— 僕、大学の卒論のテーマが「高橋源一郎」だったんです。


高橋 そうですか、それはご苦労さまです(笑)。


—— 憧れの方を前にとても緊張してます……。高橋さんは特に初期作品でテレビを小説のモチーフにしたり、引用されることもあるので、テレビもお好きなんじゃないかと今日はお伺いしました。幼いときからテレビは家にありましたか?


高橋 1951年生まれなんですけど、テレビの最初の記憶といえば街頭テレビとか、おそば屋さんのテレビで流れている番組とかかな。テレビが家に来たのは小3の頃です。ですから60年頃の『ララミー牧場』とか『うちのママは世界一』とか、ああいうアメリカンホームドラマはなめるように観てました。日本のドラマは生放送も多かったんですよ、あの頃は。だからNHKの『事件記者』とかもよく憶えているし、クレイジーキャッツのお昼のバラエティ番組も生で観てました。そうだ、あと小学校の教室にテレビが置いてあったんだよね。教育番組を観せるためだと思うんだけど、『ベン・ケーシー』を先生と一緒に観て「わあ、キスしてら」って(笑)。



—— やっぱりアメリカのものが多かったんですか?


高橋 多かったですね。国産でいうと、『七人の刑事』とか『若い季節』とか、バラエティーでは、ザ・ピーナッツが出てた『夢であいましょう』。ああいうのはもちろん全部フルで観てます。『紅白歌合戦』は全部自分で採点してたし(笑)。


僕の映画教育係はテレビと母でした


—— かなりのテレビっ子ですね。


高橋 家帰ったらずっとテレビを観ていましたね。NHKの大河も1作目から観てるし。


—— 『花の生涯』ですか?


高橋 そうそう。おばあちゃんが大好きで一緒に観てました。中学1年ぐらいのときだと思うんですけどね。だから、小3から中3ぐらいまではほんとによく観ていて、中でも一番観てたのは小5〜6ぐらいじゃないかな。中学になると映画館に行くようになったので、テレビを観る時間は減ったんですが、フジテレビで午後3時頃から「テレビ名画座」という番組をやってたんですよ。フランス映画の名作が中心で、それこそ『望郷』とか、ジャン・コクトーの『オルフェ』とか『天井桟敷の人々』とか、ルネ・クレールの『自由を我等に』とか30〜40年代の作品ですね。ああいう古典名作は母親が好きだったから、一緒にテレビで観ましたね。「ペペ・ル・モコっていうのはね……」とか母が解説してくれるんですよ(笑)。だから僕の映画教育係はテレビと母でした。




伊丹十三が主演のドラマ『源氏物語』、あれは凄かったなあ


—— カルチャーの入り口はテレビからだったんですね。


高橋 今の若い子たちがネットをやるのと一緒ですよ。“ネット漬け”ではなく僕は“テレビ漬け”。親も夜更かししてたから、夜10時とか11時ぐらいまで観てましたもん、『拳銃無宿』とかね。スティーブ・マックィーンが映画に出る前に初主演したドラマです。だから、マックィーンは僕らにとってはテレビの人なんですよ。『コンバット!』も第1回から最終回まで全部観てます。



—— 当時はビデオもなかったわけですよね?


高橋 そう、録画して後から観ることはできないから常にリアルタイムでテレビの前に座ってました。この前、知人と話したんですけど、1965年ぐらいに市川崑監督の『源氏物語』っていうドラマがあったんです。知ってます? エミー賞を取ったんですよ。


—— へえーっ!


高橋 当時はビデオがないんで残ってない。記録と僕たちの記憶だけが残っている(笑)。光源氏は伊丹十三。当時はまだ「一三」と名乗っていました。


—— ええーっ!


高橋 脚本に谷川俊太郎も参加していた。音楽は武満徹。



—— すごいメンバー! 連続ドラマですか?


高橋 そうだったと思います。よく覚えてますよ。当時の最高の女優をキャスティングしているんだけど、市川流のリアリズムを追求しているのでみんな眉毛剃られていました。だから、女優さん、誰が誰だか分からないんです(笑)。にもかかわらず、会話は全部現代語なんですよ。今なら「ヤバいじゃん」みたいな感じでしゃべる。しかもセットは能舞台みたいな白い空間ですよ。姿格好はリアリズムなのに、セリフは全て現代語という、映画でもできないような実験的ドラマ。あれは凄かったなあ。


『11PM』ほぼ放送事故の対談企画


—— 今のお話を伺うと、明治の文豪が「たまごっち」とかをやる高橋さんの『日本文学盛衰史』に通ずるものを感じます。


高橋 遠い影響はあるかもしれませんね。この市川崑の『源氏物語』の考え方って、今でいうとポストモダンの考え方だと思います。格好は完璧に再現して、その過去の人たちをそのまま連れてきて現代語で喋らせる。50年前にとんでもない企画が存在したんですよね。



—— それが残ってないのは本当にもったいないですね。


高橋 『11PM』だって映像はほとんど残っていないんじゃないですか? ムチャクチャな企画があったんですよ。お互い全く面識がない「偉人」の対談を即興で、生放送でやるっていう。特にスゴかったのが当時もう80歳くらいのノーベル賞級の詩人・金子光晴とボクサー・輪島功一の対談。初対面のスタジオで「さあ、どうぞ」って、あとは放置(笑)。「何なさってる方ですか?」「詩を書いてます」「詩? 難しいですね」「……」みたいな。


—— その場に司会はいないんですか?


高橋 いない。だから、しょっちゅう沈黙が続いちゃって、ただ2人っきりの時間が流れていく。ほぼ放送事故ですよね(笑)。あとから番組司会の藤本義一が興奮して「面白いね、これは!」って。こういう企画に文句を言われなかった時代なんですよね。



中学で書いた「前衛的な『8時だョ!全員集合』」みたいな脚本


—— 当時お笑いはご覧になっていましたか?


高橋 僕は大阪なんで、藤山寛美とか渋谷天外とか松竹新喜劇育ちです。まだ吉本全盛ではなかった。あと、藤田まことの『てなもんや三度笠』とか。藤田まことがのちに“剣客”になるなんて思いもしなかった。



—— “はぐれ刑事”にまでなりました。


高橋 藤田まことで言うと『スチャラカ社員』っていうコメディードラマがあったんです。ミヤコ蝶々、横山エンタツ……、あと富司純子さんが出てましたよ。『緋牡丹』シリーズに出る前の、まだ20歳ぐらいとかで。


—— いやぁ、よく観てますね。


高橋 考えたらよく観てるなあ(笑)。テレビの生き字引ですね。僕の基本的な教養はテレビでできてるのかもしれません。


—— 中学になると演劇の脚本を書かれたそうですが、それは「前衛的な『8時だョ!全員集合』みたいな感じだった」そうですね。


高橋 今考えるとね。シナリオ書こうと思うと、やっぱり関西なんでどうしても笑いが出てきちゃう。当時はベケットからフランス古典劇までいろいろ戯曲を読んでたんで、それにプラス、松竹新喜劇。しかもミュージカルにして、好きな音楽も入れました。後になって、夢の遊眠社とか第三舞台を観て、「僕、やってたよ、こういうの」って思いました(笑)。


——知的に早熟な子ども時代ですよね。


高橋 アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』の翻訳が、現代思潮社からちょうど出た頃で、上演したこともありますよ。19世紀フランスの有名な前衛演劇で、もともとダジャレに満ちた戯曲なんですが、これをさらに関西風にアレンジしたんです。だから『ユビュ王』の日本初演って、実は僕らなんじゃないかなって。



—— 一緒に演じたメンバーはやっていて理解できていたんですか? 


高橋 分かってるっていうか、僕より読んでる子ばっかりでした。しかも勝手に解釈をする。僕がセリフを書くと「これは高橋君、分かってないよ」「ここは現象学的な意味でジャリは言ってるんだ」とか言ってセリフがズタズタになっていく(笑)。面白かったですね。


サルトルを読むそばから、ダジャレ言ってる仁鶴の声がする


—— 先ほど、映画も好きだったとおっしゃっていましたが。


高橋 中1ぐらいから毎週4本ぐらい行くようになりました。


—— 毎週!? それは映画館に?


高橋 そう。4本から6本。全部点を付けていたんです。1年50週だから、年200本とか300本ぐらいか。新作は全部観てましたから、古いのを名画座で観て。そうしたら3年ぐらいで観る映画がなくなっちゃった(笑)。漫画は相変わらず読んでいたし、もちろんテレビは観てたでしょう。劇を作って、ジャズ聴いて、本読んで、合間に勉強。それにプラス、僕はラジオっ子だったから一晩中ラジオ聞いてた。


—— うわー、寝れない。


高橋 僕が中学の頃は笑福亭仁鶴さんのパーソナリティー番組が関西で一番人気がありました。だから、あの人は僕らにとってはラジオのパーソナリティーなんです。関東で言う(笑福亭)鶴光さんみたいな存在。



—— 本はどんなものを読んでいたんですか?


高橋 現代詩から、思想から、SFから、何でも読んでました。


—— それを仁鶴を聴きながら。頭がすごいことになりそう(笑)。


高橋 そう。サルトルを読むそばから、ダジャレ言ってる仁鶴の声がする。やっぱり、こういうなんでも入ってくる感じは、自分の小説に影響してるかもしれませんね。



学生運動もして、テレビも観て、漫画も読んで


—— 学生運動は高校の頃から始められたんですか?


高橋 灘高時代、高2ぐらいからですかね。69年の3月の卒業なので、68年の4月に高校3年生になって……、だから高2の秋からですね。学生運動が盛んになってきた頃に、関西でもやろうと。


—— 学生運動中もテレビは観てました?


高橋 もちろん観てました。大事なのはテレビですから(笑)。だから、政治もやって、テレビも観て、漫画も読んで。で、ちゃんと試験も受けて。デモ行った次の日が試験とかありました。デモ中に単語帳見て暗記したり(笑)。 



—— 学生運動の仲間たちは、テレビをバカにしたりしてなかったんですか?


高橋 そこは分かれますね、完全に僕と一緒に何でも観ちゃう人とほんとに全く観ない人に。「あんなつまらないもの観るな」というマジな人。漫画も読まないで、政治の本だけ真面目に読む。彼らと付き合うのはなかなか苦痛でした(笑)。基本はいい人たちなんですけど、真剣の方向性が違うんじゃないかって思っていたんですけどね。でも、両方やる人もいるんです。要するに、政治党派幹部みたいなのでガチガチのことを言ってて、でも漫画を読むっていう人。こういうのは得難い面白い人で、話が合うんです。「松竹新喜劇いいよね」「ドリフ最高だよね」「タイムボカンはいいよね」とかがないと、なかなか理解は難しいですね。


—— 学生運動の人たちの間で『少年マガジン』に連載されていた『あしたのジョー』が人気があったって話を聞くんですが、そうだったんですか?


高橋 そう、『あしたのジョー』はみんな読んでました。1969年11月に大きなデモをやって、一晩で3000人ぐらい捕まったんですよ。僕も捕まったんですけど、未成年だったから、留置場の後、少年鑑別所に取りあえず入れられるんです。その時の少年鑑別所、普段は普通の非行少年が来るんだけど、ほぼ全員、学生運動の学生という異常状態だったんです。で、その時話題になったのが、『あしたのジョー』。ちょうど力石徹と矢吹ジョーの決戦の途中で捕まっちゃったので、「あの結果はどうなったんだ」と。みんな自分の身の上じゃなくて、力石とジョーの対戦のほうを気にしてた(笑)。もともとあの2人は少年鑑別所で会ってるという境遇も、みんなを興奮させたのかな。この間、ちばてつやさんご本人にお会いした時に言いましたよ。「今まで一番悔しかったのは、あの回をリアルタイムで読めなかったことだ」って(笑)。



『朝まで生テレビ』に出るわけないでしょ


—— 学生運動に参加していた頃って、政治番組とか討論番組は観ていましたか?


高橋 観ないですよ、そんなの!


—— そんなの(笑)


高橋 あれは、政治に興味がない人間が観るものです。本当に政治に関心がある人は外に出て動いていますよ。


—— なるほど!


高橋 あんなの観ても何の役にも立たない。そんなものを観るならドリフを観るべきですね(笑)。僕はああいう討論番組で語られる政治の言葉を極端に嫌悪してたからね。


—— 今まで『朝まで生テレビ』からのオファーはありませんでしたか。


高橋 出てくれという話もあったけど、出るわけないでしょ。バカみたいだし(笑)。僕にとって大切なテレビで、政治の話なんかしたくないです(笑)。



#2 “競馬する小説家”高橋源一郎が語る『うるぐす』とダービーと『カルテット』

http://bunshun.jp/articles/-/7504


#3 「ユーチューバーはテレビの未来を担うか?」小説家・高橋源一郎の“生活と意見”

http://bunshun.jp/articles/-/7505


写真=鈴木七絵/文藝春秋



たかはし・げんいちろう/1951年広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。6月7日より『日本文学盛衰史』が平田オリザ脚本によって舞台化される( http://www.seinendan.org/play/2018/01/6542 )。




(てれびのスキマ)

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