西城秀樹さん見送った野口五郎、ライバルを超えた特別な関係

5月28日(月)7時0分 NEWSポストセブン

西城秀樹さんの葬儀に参列した野口五郎(写真:時事通信フォト)

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 5月26日、西城秀樹さんの葬儀・告別式が東京・青山葬儀所で営まれ、1万人以上が参列した。1970年代、西城さんとともに『新御三家』と呼ばれ、絶大な人気を博した盟友の郷ひろみ野口五郎が弔辞を読んだ。


『新御三家』の中で最も遅いデビューだった郷は、「僕は秀樹のことを兄貴という風に思っていました。というか、まず最初にデビューした五郎が長男で、秀樹が次男。僕が三男。その思いは今でも変わっていません。これからも、秀樹の背中を見て、心の中でそう思って、ずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで、本当にありがとう。そして、安らかに眠って下さい」と西城さんを見送った。


『新御三家』の中で最初にデビューした野口は、「デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければと考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている」、「僕もひろみも、秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。おまえの分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに」などと読み上げた。2人の言葉に、会場からは嗚咽が止まらなかった。


 1985年、西城さんは1974年から11年連続出場をしていたNHK紅白歌合戦に落選している。その時、プライベートでも親交の深かった野口から電話が掛かってきたことを、生前の西城さんが明かしている。


〈「オイ、オレは心配して電話してるんじゃないゾ」っていうの。「うん、わかってるよ」っていったら「わかってるよじゃねえよ」っていうから、「じゃあやっぱり心配してかけてきたのか」って聞いたら、「そうじゃないけどがんばれよ」だって。(笑)〉(週刊平凡1986年4月25日号)


 デビュー2年目の1972年、『めぐり逢う青春』で初出場を果たした野口は1981年まで10年連続出場を続けていたが、1982年に落選。翌1983年に『19:00の街』で復活するも、1984年以降は選ばれていなかった。それでも、野口は西城さんにこう声を掛けた。


〈「『紅白』に落ちたのはオレのほうが先輩だ」なんてジョークいって、ホントいいやつなの、アイツ〉(同前)


 自分も悔しいはずなのに、親友を気遣ったのだ。芸能記者が話す。


「『新御三家』はレコード売り上げや音楽祭などで争っていたし、ライバルと思われがちです。でも、彼らからしてみれば、同じ時代に、同じくらい多忙で、同じくらい騒がれるという境遇を経験している芸能人は他にいない。


 五郎さんは『紅白』に落選した秀樹さんの気持ちが誰よりもよくわかるから、電話をしたのでしょう。秀樹さんにとっても、五郎さんから声を掛けられるのは特別。他の人から同じ言葉を言われたとしても、重みが全く違う」


 ライバルを超えた特別な関係だった野口さんは弔辞をこう結んだ。


「秀樹、お疲れ様。 そして、ありがとう。もう、リハビリしなくて良いからね。もう頑張らなくて良いから。君のかわいい子どもたち、家族を、いつも見守ってあげて欲しい。そしておまえの思うラブソングを天国で極めてくれ。秀樹、お疲れ様。そしてありがとう」

NEWSポストセブン

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