ヤクルト・中村悠平が正捕手の伝統"背番号27”を受け継ぐとき

5月29日(火)11時0分 文春オンライン

 キャッチャーというのは、つくづく難儀なポジションだ。9つある守備位置のうち、一人だけみんなと違う方向を見て、装着に手間のかかる重そうな防具を身にまとって、扇の要として、そして司令塔として、グラウンド全体を見渡しながら、試合をリードしていく。ときにはファールチップが直撃したり、大振りする打者のバットが後頭部に当たったり、ホームベース上のクロスプレーで負傷することもある。


 もちろん、試合結果を大きく左右する投手とは一心同体であり、バッテリーとして、そして女房役として、すべてのピッチャーと阿吽の呼吸が求められる。基本的に、投手とはわがままな人種だという。唯我独尊で、お山の大将だからこそ、マウンドというグラウンドの小高い位置から、一人だけグラウンドを支配することができるのかもしれない。


 個性も能力もバラバラな投手陣を相手に、それぞれのキャラクターに合わせた気遣いを見せ、ときには優しく、ときには厳しくみんなを引っ張っていくのだ。抑えれば投手のおかげ、打たれれば捕手のせい。データの裏付けとともに、洞察力をフルに生かし、考えに考え抜いたサインを出してみても、投手がど真ん中に失投を投じれば、もはやどうにもならない。けなされること、批判されることは多いのに、褒められることは滅多にない。やはり、キャッチャーというのは、つくづく難儀な職業、ハードなポジションだと思うのだ。


すべての批判を一身に背負って……


 さて、改めて中村悠平である。チームが低迷状態にあるとき、批判の矢面に立たされるのは、ベンチでは監督であり、グラウンドではキャッチャーだ。チームが最下位に沈んでいる現在、正捕手である中村に対する批判を目にする機会が増えた。「単調でマンネリ気味の配球」を指摘する意見もあれば、自軍投手の長所や相手打者の欠点を優先するのではなく、「自分本位のリード」を批判する声もある。


 あるいは、5月26日付の日刊スポーツでは、「ここぞの場面で手間を惜しみ、疑問符がつく配球が目立つ。これではベンチの信頼は得られない」と、野球評論家の谷繁元信氏から厳しい指摘も受けている。


 かの野村克也氏が言うように、「優勝チームに名捕手あり」という格言を鑑みれば、低迷が続く現在のヤクルトには名捕手はいないのかもしれない。けれども、わずか3年前の2015年、リーグ制覇を果たした際の正捕手は紛れもなく中村だったことを忘れてはいけない。そして、この年行われたプレミア12において、侍ジャパン・小久保裕紀前監督は「中村を中心選手として考えている」と発言していたことは、きちんと記憶にとどめておきたい。



リーグ制覇を果たした2015年の正捕手は紛れもなく中村悠平だった ©文藝春秋


 しかし、翌16年には極度の打撃不振もあって、強打を誇る西田明央と併用される機会が増え、「不動の正捕手」としての地位も安泰ではなくなってしまった。捲土重来を期した昨年は、127試合に出場して前年の不振から脱出する兆しも見えた。そして今年は、選手会長とキャプテンを兼任。「今年こそ!」の思いで開幕を迎えたものの、4月、5月ですでにルーキーの松本直樹や2年目の古賀優大にスタメンマスクを奪われる試合もあった。


 それでも、腐ることなく、キャプテンとして、選手会長として、ベンチ内で必死に大声を出してチームを鼓舞する姿を見ていると、実に切なくも複雑な心境になってしまうのである……。



「背番号《27》の系譜」を書かなかった理由


 昨年、僕は長年のヤクルトに対する極私的な思いをまとめた『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)という本を出版。多くの歴代OBや現役選手にインタビューをし、僕なりに「ヤクルトの系譜」を考えてみた。たとえば、「ミスタースワローズの系譜」では、若松勉を筆頭に、池山隆寛岩村明憲、青木宣親、そして山田哲人が背負った背番号《1》の重みについて、それぞれに話を聞いて原稿をまとめた。


 さて、この本では「書こうと思ったけれど、書かなかったテーマ」がある。それが、「背番号《27》の系譜」、つまり、「スワローズ正捕手の系譜」だった。ヤクルトの背番号《27》は、古田敦也の引退以来、ずっと空白状態が続いているが、あの400勝投手「カネやん」こと金田正一のパートナーだった根来広光(故人)を筆頭に、78年のV1戦士・大矢明彦、そして90年代の黄金時代を支えた古田敦也。彼らがスワローズの正捕手として背負ったのが背番号《27》なのだ。


 09年に相川亮二がFA移籍してきた際に、彼に背番号《27》を譲渡するという話が持ち上がったことがある。しかし、この番号の重みを知る相川はこれを固辞。結局、背番号《2》を背負うことになった。こうした経緯を踏まえて、大矢、古田、そして相川、さらに、長年にわたって背番号《28》を背負い続けてきた「もう一人の捕手」八重樫幸雄に話を聞いて、この番号の重みや意味を描こうと考えた。しかし、僕はすぐに思いとどまる。


(この物語を書くときは、中村悠平が晴れて背番号《27》を背負ったときだ……)


 そう考えたからである。そして、中村のインタビューも加えて、この物語を書く時期は、すぐそこまで来ていると僕は思っていた。だから、拙著には「背番号《27》の系譜」を掲載することはなかったし、「近い将来、この物語を書きたい」と思っていた。しかし、現時点におけるチームの低迷、そして苦悩の表情を浮かべている中村の姿を見るにつけ、この物語を書くのは、しばらく先のことになりそうな気もしている。いや、そもそも、この物語が陽の目を見ることは……。僕はまたまた切なくも複雑な心境に陥ってしまうのである……。



それでも、ヤクルトの正捕手は中村しかいない!


 僕の手元には、二冊の『週刊ベースボール』がある。一冊は中村がプロ4年目を迎えた12年2月6日号。そしてもう一冊は、彼がすでにチームの中心選手となっていた17年2月13・20日合併号。ここにはともに中村悠平インタビューが掲載されている。プロ4年目のインタビューは、次の言葉で結ばれている。


「相川さんを追い越すくらいのつもりで、勝負を挑んでいきます!」


 そして、初めての減俸を経て迎えたプロ9年目に挑む際のインタビューでは、大先輩・古田について、そして背番号《27》について、こんな言葉を述べている。


「なかなかうまくはいかないですが、そこに近づけるようにコツコツと積み重ねたい」


「追い越す」べき存在だった相川はすでに現役を引退している。そして、今もなお背番号《27》に「近づけるようにコツコツと」歩み続けているものの、その道程ははてしなく険しく思える。その間に、前述した古賀はハフとバッテリーを組んで、見事に今季初勝利のアシストを成し遂げた。もはや、「ヤクルトの正捕手」として安穏としている状況にはないのかもしれない。


 それでもやっぱり、「ヤクルトの正捕手は中村しかいない!」と僕は思う。盗塁阻止率は14年.262、15年.315、16年.265を経て、昨年は.337と急上昇した。経験がモノを言う捕手というポジションにおいて、入団10年目を迎えて円熟味を増す一方で、この6月に誕生日を迎えてもまだ28歳という若さもある。「経験と若さ」という相反するものの両立。中村には、それがある。前述の『週ベ』のインタビューで彼は言っている。


「自分のサイン一つで抑えることができたり打たれたりする。責任を背負っているわけですから。そういった責任感、使命感というのはしっかりと背負ってやるべきだなということですよね」


 この言葉を聞いて、僕は改めて思った。中村の言う「責任感、使命感」を「しっかりと背負」うことができて初めて、ヤクルト正捕手の系譜である背番号《27》を背負うことができるのだろう。それが近い将来であることを、心から望んでいる。さぁ、今日から交流戦が始まる。頑張れヤクルト、頑張れ中村悠平!


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(長谷川 晶一)

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